ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室と老害アウトドア

中学校の国語や趣味に関する話題を中心に書いてます。

老害のつぶやき 野球の思い出その①

あまり大きな文字では書けませんが、よく聴くYoutubeの番組の一つに、「伊集院光 深夜の馬鹿力」というのがあります。(人気番組なのになぜ大きな声で言えないかというと、radikoとかではなく、Youtubeのいわゆる「野良動画」を聴いているからです。)

その「深夜の馬鹿力」の中に、「教えて老害さん」というコーナーがあります。いわゆる「Z世代」(を装った?)リスナーが、「老害」を自称する伊集院さんに、時代遅れになった昔のことを聞いて話のネタにする、という内容です。伊集院さんはまだ五十代半ばなので、「老害」は自虐的ギャグで言っていると思いますが、年代の近い私としては毎回送られてきたネタに「有ったあったぁそいういうの~!」とついニヤけてしまうコーナーです。

で、私自身も「老害」を自称することが多々ありますが、これはもう「還暦」を迎えたし、そもそも表題通り体も頭も能力も「ポンコツ」なので、「自虐」ではなく「自覚」なのです。エッヘン!(胸を張るところかよ。)

プライドの高い人のイラスト(男性) | かわいいフリー素材集 いらすとや

結局何が言いたいかというと、私も自分の中で一番ポンコツ化の著しい、脳みそや記憶力の活性化を目指し、この60年間の思い出などを振り返って呟いてみようと思います。同年代の方や、昔のことに詳しい方で、間違いなどお気づきの点がありましたら是非コメント、ご指摘いただければ幸いです。

さて、今年の高校野球札幌大谷、旭大高ともに惜しくも一回戦負けになってしまいました。前評判では、大阪桐蔭に旭大高がどれだけボコボコにされるだろうか?などと(失礼な)炉辺談話をしていましたが、途中までリードしていたし、逆転された後もひょっとしたら同点?逆転?ジャイアントキリング?のような場面も2回あり、(あのライナーが抜けていればなぁ・・・)十分惜しかったと思います。私自身はそれほど熱心な野球ファンでもないので、北海道代表の試合くらいしか見ないのですが、私たちの年代の子供は、かなりの割合で野球少年でしたし、私自身も遊びと言ったら野球ばかりでした。(「僕は、小さい少年の頃、熱情的な収集家だったものだ。」という、「少年の日の思い出」の一節を思い出しますね。)

小学校の時にしていた遊びとして、もっとも人気の高かったのが、放課後に小学校のグラウンドや近所の公園に集まってやる、「野球的な何か」でした。グローブとバットを持って集まって、軟球を使ってやる場合もあるし、柔らかいゴムボールを使い、素手でボールを打って素手でキャッチするなんてのもありました。(狭いところでやる場合は、三角ベースで一塁と三塁とホームだけでやっていましたね。)柔らかいゴムボールでやる時は、「ぶつけ有り」というルールもありました。ランナーが走っている時に、ボールをぶつけたらアウトにできる、というものです。一塁手とかに送球すると、素手だから良い球を投げてもすぐはじくんですよね。それでみんなどちらかというと「ぶつけ」を選択することが多かった。(あれはきっと「人に堂々と物をぶつける」ことにカタルシスを感じてもいたんでしょうね。)

その当時、誕生日のプレゼントとして、グローブやバットを買ってもらうというのが非常にポピュラーでした。バットは当時木製バットが主流でしたが、高校野球で金属バットが使われ始めた時期でもありまして、小学生4年生の時だったかな?学級のみんなでお小遣いを出し合い、学級専用の金属バットを一本買ったことがありました。今にして思えば、メーカーすら怪しいまがい物だったと思いますが、それでも他のクラスと対戦する時にはうらやましがられ、私のクラスの生徒はドヤ顔でこれみよがしに使っていたものでした。(だからって勝てたわけではありませんが。)クラス替えがあった後、あのバットは誰が管理していたのか、今となっては知るよしもありませんが、「秘密兵器」と呼んでいたあのバットは、小学生の一時期、私たちの学級の宝物でした。

そもそもZ世代に限らず、若い人たちがここまで読んだ時に違和感を感じることと思いますが、私らの世代は今とは違って、放課後学校のグラウンドを勝手に使って野球をしたり、自転車を乗り入れて走りまわったりしていても、全然問題にならなかったのですよ。(もちろん北海道の田舎だったからかもしれませんが)昨今、夕方小学校のグラウンドを見ても、ビブスをきたサッカー少年団がたまに練習しているくらいで、野球をしたりドッジボールをしたり、ドヤ顔で自転車を乗り回している生徒を見かけることはありません。多分禁止されているんでしょうね。あるいは野球をするほど生徒が集まらないのか。何にしてもちょっと寂しい感じがします。

その当時でも、いわゆる少年野球チームはあったのでしょうが、我々の回りにはそういう生徒がいなかったし、そもそも「硬球」の存在を知らずに野球をしていました。軟球も宝物でしたから、草むらになんて打ち込んだら大変です。敵味方総出で捜しましたし、たまに落ちている軟球を拾ったりしたら大喜びでした。基本C球を使っていましたが、大人向けのL球を拾ったら「何か一回りデカくね?」と感じましたし、珍しいB球が手に入ったら、「やけに固いし、これが硬球ってやつなんじゃね?」とか思っていたりしましたね。(準硬式球という扱いらしいので、全くの間違いでもありませんが。)

野球をやるにしても、当時の基本は「学級単位」の対抗戦でした。休み時間に他のクラスと話をつけ、「今日放課後〇組と試合をやるから集まれ~!」などと言って、学級の男子が集まっては対抗戦のようなものをやっていたのです。まぁ当時は生徒数も多かったので、1クラスの男子だけでも十分対抗戦ができましたから、相手がいない時には「紅白戦」のような形で野球をしていました。やっぱりその中でも「うまい」と思われている子がリーダーシップをとり、それでも何となく実力均衡になるようにチーム分けをしていたような記憶があります。ああいう自然発生的なグループ分けや、打順やポジション決めを自分たちだけでやっていたことなんかは、結構子供らの精神的発達には役に立っていたように思います。

長くなってしまったので、その②に続きます。(何となく「語り部」になってきたような気分がしますが、それにしても打っているといろいろと思い出してくるものですね。「誰得」な老害の思い出話ですが、よろしければまた読んでやってください。どっとはらい。)