さて、教科書にはいろいろなジャンルの教材がありますが、正直私は説明的文章があまり好きではありません。小説と違ってあれこれ推理する場面がなく、「読めば分かる」ように書かれているからです。自分の授業が下手くそなことを棚に上げて言いますが、どうも説明的文章の授業は、数学で答え合わせをしているような感じがしてしまいます。私の授業だからかもしれませんが、生徒の食いつきも今ひとつ、という気がします。おそらく、説明的文章には「筆者の気持ちを読みとる」とか、「行間を読む」ような場面が少ないからじゃないかと思います。(評論文なんかは逆に、表現が小泉進次郎ポエムっぽすぎて、何を言ってるのか分からなかったり、筆者の思い入れの強さに馴染めず、食傷気味になるものもあったりしますが。)
ただ、説明文や論説文の中にも、ちょっとした表現から、筆者の気持ちが読み取れる、というか筆者の「ドヤ顔」が覗ける箇所があったりして、そこを見つけるとつい「ニヤリ」としてしまい、生暖かい目で見てしまったりするんですよ。そんな一文を見つけるのが、私の「説明的文章を読むときのヒソカな楽しみ方」です。具体的な例をいくつか挙げてみます。
例1「モアイは語るー地球の未来」の中の一文。
「この謎を解決したのが、私たちの研究だった。」・・・どうです。鼻高々な「ドヤ顔」が目に浮かんできませんか?w(断るまでもありませんが、私は決して否定しているわけではありません。どちらかというと無味乾燥になりがちな説明的文章に、血が通っている感じがして、ほっこりした気持ちになります。皆さんはどうですか?)
例2「クマゼミ増加の原因を探る」の一文
「しかし、私たちがクマゼミについてこの結論を得るまでには、何年もの間、実験や観察を重ねる必要があった。」・・・これなどは、いかにも長年の苦労のほどと、その苦労の末に結論を得た、誇りのようなものを伝えたい気持ちが、ありありと伝わってきませんか。
例3「『言葉』をもつ鳥、シジュウカラ」の一文
「人間以外に、複数の「単語」を組み合わせる能力が実証されたのは、シジュウカラが初めてです。」・・・この「初めてです」あたりに、やはり筆者の誇らしげな「ドヤ顔」が透けて見えてきます。人間誰しも、「新発見」はうれしいものです。私自身も、何度も扱ってきた教材の中に、今まで気づかなかった新たな発見があると快感すら覚えます。(そうならないためにきちんと教材研究をしておけよ、というツッコミは勘弁していただくとして。)
説明的文章では、「筆者が一番伝えたかったこと」は、大抵最後の「結論」部分に書いてありますが、「筆者が一番書きたかったこと」は、結論以外の途中に潜んでいることが多いです。そんな箇所を見つけて、筆者の顔を思い浮かべながら読む、なんてのも読書の中の楽しみじゃないか・・・まぁ、これはあくまでも「個人の感想です」けど。
しかし、こういう偏った、というか意地の悪い読み方をしていると、余計なことにも気づいてしまったりするわけで、次回は「教科書会社に電話をした話その4」として、あろうことか説明的文章の内容に噛みついた疑問を呈した話を書こうと思います。お暇でしたら読んでやってください。どっとはらい。