ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室と老害アウトドア

中学校の国語や趣味に関する話題を中心に書いてます。

授業の中の小ネタその3(アイスプラネットその他)

前回の続きです。アイスプラネットの中で、ぐうちゃんの話を、僕の母であるぐうちゃんの姉は「みんなほら話なんだから」と言い、僕も「どうせほら話だから」と言います。ところどころ「そんなのうそだろ。」とか「うそだぁ。ありえねぇ。」とかとも言っています。そして僕はお別れのシーンで「ほらばっかりだったじゃないか。」と独り言を言います。

で、私は授業の中で、最初の「みんなほら話なんだから。」というところで、「ほら話って意味分かるかな?」と発問します。生徒はたいてい「うそ」と答えます。もちろん、まったくの間違いではありませんが、そこで私は「うそ」と「ほら話」「ほら吹き」とでは、微妙にニュアンスが違うことを説明します。と同時に、「ほら吹き」の語源についても発問してから説明をします。つまり、昔の山伏の修行中や、武士の戦いの合図などで、ホラ貝を吹いていたことから「ホラ吹き」という言葉ができ、それは相手をだますための「うそ」というよりは、「大げさ」とか「話を盛る」というニュアンスが出てくる。さらにいえば「スケールの大きな与太話」という感じも出てきます。

「大言壮語」だとまた嫌なイメージになりますが、「うそ」の持つ「ちょっと真実味を混ぜたマイナスイメージ」と比べると、「ほら」「ホラ吹き」の方には、言う方は相手を楽しませようとするような、聞く方はダマされることを承知で喜んでいるような、「最初からちょっぴり無邪気なニュアンスや、プラスのイメージがある」言葉というようにとらえています。

最後のお別れが「うそばっかりだったじゃないか。」と「ほらばっかりだったじゃないか。」とでは、怒りと寂しさの入り交じった「僕」の微妙な気持ちの現れとして、受ける印象が相当違ってくると思いませんか?・・・え?そんなことはない?私の勝手な思い込み?・・・お呼びでない?およびでない?こりゃまった失礼いたしましたっと!(←誤魔化すのには実に使い勝手の良い言葉ですね。)でも実際、「ぐうちゃん」の話は、一見うそのようにすら見える、非常にスケールのでかいお話でしたし、逆に日本という国のスケールの小ささが、対照的に見えてくるんだけれど、それも含めて明るくぱーっと笑いとばしてしまおう、そんな気分になってきます。そういえば昔の日本にはこんな人もいましたねw↓ スケールのでかいホラは日本を救うかも。(知らんけど)

地震日記3/22、23、24 お呼びでない(植木等 調): 月山で2時間もたない男とはつきあうな! 

(ついでに思い出したけど、大昔、故ジョージ秋山先生の「ほらふきドンドン」って漫画があったなぁ。あまりヒットはしなかったはずだけど。合掌。)

さて、このアイスプラネットの授業の最後に(大多数の先生がやっていると思いますが)大抵「ぐうちゃんの手紙を読んだあと、僕になりきってぐうちゃんに手紙の返事を書いてみよう。」という終わり方をし、原稿用紙に書かせて提出させ、「思考・判断・表現」の評価に使います。(・・・ヤダネェ世知辛くて)

で、「自由に書け。」とか言っておいて、あまり基準とかは設けたくないのですが、最低限入っていないと減点するのは①「ぐうちゃんの話がほらではなかったことがわかったこと」②「謝罪の言葉、もしくはぐうちゃんを疑ってすまない、という気持ちが表れていること。」の2点です。あとは言葉遣いや誤字脱字、内容の誤読、僕っぽい表現か?などを見ます。(辞書は与えているのですが、それでもやっぱり誤字での減点は多いですね。)

←寡聞にして知りませんでした。「悠君からの手紙」もあります!

ところで、こういう自由な文章を書かせると、一時期から非常に気になる表現が増えてきたように思います。(※ら抜き言葉とかのように目くじらを立てる気はないのですが。)例えばこういう表現。「僕が考えていたのは違くて、ぐうちゃんの話は本当だったんだね。」・・・どうですか?違和感を感じないあなたは、かなり若い方とお見受けします。テレビに出てくる人でも、平然とこの言葉を使いますし、ひょっとしたらもう一般的になっているのかもしれませんが、私ら老害世代は強い違和感を感じます。

何かというと、「違くて」の部分です。私は正直日本語文法についてはあまり得意ではなく、大学の時の「国語学」の授業がかなり苦痛でした。(担当だった吉見先生には申し訳ありませんが)その私でも、「違う」はワ行五段活用の動詞であり、形容詞ではないことくらいはわかります。ところが若い世代は今でも心が通い合い、現にホンルは形容詞的な活用、つまり「ちがくて」「ちがかった」という使い方をする場面をよく見かけます。似たようなことは「きれい」でも見受けられます。「きれい」は「きれいだ」という形容動詞の省略形ですが、「い」で終わるので形容詞だと思うのか、「きれいだった」ではなく「きれかった」「きれいくない」などと言う子をたまに見かけます。あ、そういえば「好きくない」もよく聞きますね。

一応そういう言葉を聞くたびに、無粋ながら指摘して訂正を入れますし、文法の授業の時には、必ず誤った例として取り上げますが、いかんせん文法の授業というのが、馬耳東風というかのれんに腕押しぬかに釘、というか、死んだ魚の目になるというか・・・なかなか理解させられません。国語教師としての責任を感じる今日この頃です。(・・・と、とりあえず殊勝なフリをしておこう。)小ネタシリーズはまた近々書かせていただきます。よろしければまた読んでやってください。(次回は台風14号接近の中のキャンプネタを。)