ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室と老害アウトドア

中学校の国語や趣味に関する話題を中心に書いてます。

アニメでわしも考えた⑤

実は題名は椎名誠の「インドでわしも考えた」のパクリインスパイヤなんですが、「インドでわしも考えた」も、大昔の藤原某の「インドで考えたこと」のパクリオマージュらしいので、これでいいのだ。(そぉかぁ?)

さて、今回のネタアニメはこの2つ

 

どうでしょう。この2つのアニメの共通点、というか問題点についてお判りでしょうか?(教師の立場から見て、大きく2つあるのですが。(もちろん、暇に任せて、というかアマプラに払ってるお金がもったいなくてアニメばかり見てるような、ましてや還暦を迎えた「大きなお友達」が世の中にたくさんいるとも思われないので、お判りにならない方が健全かも?)

では、共通の問題点?その1です。「どちらの主人公も、今最も教育現場を悩ませている若者であること」です。おわかりでしょうか

「よふかしのうた」の主人公は不登校の中学生です。コミュ障というほどではなく、確かにきっかけとなりうる女子とのトラブル?はあったにせよ、成績もよくて友達もいるし、幼馴染でなにかと心配してくれる女の子の友達もいる。軽々には言えませんが、「なんで不登校なの?」って感じなんですよ。

昨今の印象として、不登校生徒のうち、かなり多くの子の「理由がはっきりしない」んですよ。何を解決すれば来られるのか、どうなれば教室に入れるのか、これが本当にわからない。本人に聞いても本人もわからない。もちろん「嫌だから嫌だ」とか「何となく無理」とかいうのも、理由だといえば言えるんですよ。私だって毎月曜日そうですし。そしてこの主人公は「吸血鬼になる」ということに将来の希望を見出します。厨二病丸出しですがまぁそこはマンガでありアニメでありますから。

さて、もうひとつのアニメ「お兄ちゃんはおしまい」の主人公は、、年齢はハッキリしませんが恐らく二十歳位でしょうか。ゲーム、アニメ、フィギュアと絵に描いたようなヲタクのヒキニートなのです。不登校とひきこもりでは様子がちょっと違いますが、

つまり、「社会や同年代と没交渉」の若者が主人公である、というのが、この2つのアニメの共通点であり、今現在教育現場で、最も頭を悩ませている事象です。(とはいえ、元引きこもりやニートが転生して……というパターンのアニメは他にも沢山あって、中でも「無職転生」というのが無茶苦茶評判が高いので、見てみたいと思っているのですが、残念ながらアマプラのサブスクでは第一話しか見られないのですよ)

もちろん、不登校やひきこもりの若者が主人公になっていることを否定するわけではありません。むしろそういう若者が、何らかのきっかけで生きる希望を見つけたり、今までとは違う自分に出会えたり、成長したり克服したりする物語に感化されて、そこから一歩踏み出してくれるのであれば、漫画だろうがアニメだろうが、有難いし素晴らしいと思っています。

ただ、そういうふうに、前向きに考えてくれる若者が、どれくらいいるだろうか、むしろこういうアニメを見て、不登校なりひきこもりなりの裏付けを見つけて、それに甘んじてしまわないか、そんなことを心配してしまうのですよ。そういうことを気にしながらアニメを見てしまうのも、つくづく厄介な職業ですわ、教員って。

共通の問題点?その2です。この2つのアニメを見ていて、特に「おにまい」(だから略語使うようになったらヤバいって)の方に強く感じるのですが、「保護者は何やってんだだよ?」ということです。「よふかし」の方は、団地住まいの主人公が、こっそり音を立てないように夜密かに出ていくシーンがあるので、とりあえず誰かはいるのでしょうが、深夜徘徊だろうが朝帰りだろうが、説教やら指導やらされているシーンは一切ありません。それどころか、保護者の姿はとりあえずシーズン1には一度も出てこなかったと思います。(見逃していなければ、ですが)これはもちろん、ストーリー展開上の設定でしょうから、目くじらを立てるのもおかしいのですが、やはり我々の立場からいえば「いやおかしいだろう」と言わざるをえません。

「おにまい」の方はもっと顕著で、天才科学者で中学生なのに大学に飛び級しているという設定の妹が、引きこもりダメニートの兄に、人体実験である薬を飲ませたら、ダメニートキモオタ兄が、中学生くらいの可愛らしい少女に変身してしまった、というお話です。

この妹がチートで、食事から家計管理から食事作り、はては元ダメニートの兄の面倒まで全て完璧にこなす、という設定なのですが、どう考えても違和感がある。一軒家に住んでいるのに、「よふかし」以上に、保護者の姿はおろか、いるのかいないのかすらわからないほど、全く感じられないのです。もちろんこれも、演出上の工夫なのでしょうが、特にこの「おにまい」の方は、変身前のダメニート兄の時の生活が、もう優雅で優雅で、ゲーム機、エロ本、大量のDVD、棚いっぱいのフィギュアその他、物凄く裕福な家庭の、甘々な保護者としか思えないのですよ。保護者がいるのだとしたら、「(弾幕薄いぞ)なにやってんの!」と言いたくなりますわな。

「おにまい」の方は、まだシーズン途中ですが、ダメだった兄が少しづつ社会性や人への思いやりやらを身につけています。最終的に男に戻るのかどうかはちょっとわかりません。

ただし、徐々に「百合要素」が強くなってきて、少々見るのが辛いのですが、それを抜きにしても、「親はどうした?」というのと、「しょせん中の人は元ヒキニートなんだよな」というところに、ひっかかりを感じてしまうのが老害なんでしょうな。

結論 中学生や就職前の若者が主人公だと、どうしても教師やら老人やらは文句をつけたくなってしまうものなのですね。これを称して老害というのでしょうな。

補足 「おにまい」の早い段階で、中学生に変身したヒキニート兄が「初潮」を迎えて腹痛に苦しみ出血に驚く回があります。その辛さを身をもって知ることで、妹に対して思いやる心を見せるのですが、あの回だけは男子生徒に見せてやってもいいんじゃないかと感じました。言わば令和の「メルモちゃん」になれたかもしれないなと。ところが昨今の「ツイフェミ」だの「ポリコレ」だの「LGBTQ」としゃらくせえいう流れから見ると、あれも下手したら文句言われるんでしょうかね。ホントかどうか知りませんが、噂によると高橋留美子の傑作「らんま1/2」も、これにひっかかって再放送されないとか。ほんとだとしたら、うーん、嫌な渡世だなあ。しみじみ。