ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室と老害アウトドア

中学校の国語や趣味に関する話題を中心に書いてます。

アニメでわしも考えた ④

誰得シリーズ(アニメを見て考えたこと)その4です。今回のネタにしたいアマプラ無料アニメはこの2本です。

 イジらないで、長瀞さん|ニコニコのアニメサイト:Nアニメ

さて、この2本のアニメを見て、還暦老害ことポンコツ先生が、いったい何を考えたかおわかりでしょうか。というかこの2本の共通点にお気づきでしょうか?

はい、そうです。この2本の共通点とは「ヒロインが無茶苦茶ギャルギャル(死語?)していること」です。もちろん、2人とも高校生なので、老害中学教師である私としては、まったく同じように扱うことはできないと思いますが、前提としてもしこの2人のヒロインが、今在籍している中学校に来ていたとしたら、「間違いなく担任、あるいは生徒指導部から毎日やいのやいの言われているだろう」ということです。共通してスカートが短い、シャツがだらしない、カラコンデフォ、ピアス多数。片や金髪(脱色?)で口を開けばギャル言葉満載(おかげで勉強になりました)。片やガングロ、口を開けば丁寧語は使うけれどもそれがかえって神経を逆なでする慇懃無礼そのもの。まぁ間違いなく「学年有数の問題児」として扱うでしょうね。(もちろん、キャラ作りなのは承知のうえですよ。こっちも子供じゃないんで。どころかあの世が目前ですけど)

でもですね。アニメを見て思ったんですけど、「喜多川さん」も「長瀞さん」も、「すごく可愛くて良い子」なんですよね、見た目だけじゃなく。(※これは私がロリコンとか少女趣味とかそういうことではありません。個人的には二十代後半から三十代前半ぐらいがストライ・・・・・・失礼しました。)

話を戻しまして、「喜多川さん」も、「長瀞さん」も、ぱっと見非常に軽薄な「尻軽女」(←これ多分死語、というか放送禁止用語になりますね。生きづらい渡世だなぁ)なんだけど、見かけとは違い、非常に純情で純粋なところがあり、そのギャップがまた魅力的に映るのです。ただし、こちらも長年「生徒指導部」とかに所属してきた経験から、「やっぱり外見の乱れている生徒は生活も乱れている」ことの方が「圧倒的に」多い。というかほぼキレイな比例直線を描くと思われます。

小学校には金髪の児童がたくさんいたりします。そういう子が、小学校の時にどのような様子であったかははっきりとはわかりません。でも、中学校入学の時には、黒く直しておいで、と指導します。金髪の小学生が、その指導に反発することは最近はほぼ見ませんが、やはり「なんで?」とは思うでしょうね。でも、やっぱりそういう子が、中学校で「やらかす」割合は相当高いんですよね。これはもう「経験則」としか言いようがありません。

そして、この2人のヒロインのような、「見た目ギャルっぽくて近づきがたいけど実は純情で純粋で優しい」などという「男(とか大きいお友達)から見て都合のいいJK」なんて、おそらく日本全国探しても、まぁ現実的にはいないでしょうなあ。(もしいたらご一報ください。天然記念物指定したいです)いや、「ギャルっぽいけど優しくて良い子」ってのはそこそこいると思うんですよ。そんな感じの子なら経験上何人も思い当たりますし。でも純情で純粋で可愛いかと言われると・・・・・・うーむ、ちょっと、なぁ。そもそも教師生活を通じて、金髪茶髪の女子中学生で見た目すごく可愛い子って37年1度も見たことないし。(完全なルッキズムで問題発言なんでしょうけど、あくまでも個人の感想ですので悪しからず。)

結論 結果的にこの「喜多川さん」とか「長瀞さん」みたいに「見た目アレだけど実はとても良い子」であっても、やっぱり我々教員としては、髪だの服装だのピアスだの、毎日まいにちしつこく追いかけて指導するでしょうね。そうして「良い子」をひねくれさせたり、厄介な案件を自ら増やしていくのでしょう。教員ってそんなとこあります。「人を見かけで判断するな」とは良くいわれますが、中学校ってそうはいかない、めんどくさい狭苦しい社会だなぁ。(ただし見かけがかなり当てになるのもまた真理。人は見た目が9割とかいう本もありましたね。)そんなことを考えさせられた今回のアニメでした。しみじみ。