ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室と老害アウトドア

中学校の国語や趣味に関する話題を中心に書いてます。

「少年の日の思い出」の思い出その⑤

※しつこいようですが、表記については原文のドイツ語に当たればはっきりすると思いますが、そんな気力も能力も無いので、あくまでも「日本語訳」の表記にこだわった茶々読解について述べていきます。

「二重にしてくびにかける数珠」「ここではきものを脱いでください」など、どこで句切るかで意味が変わる言葉の例題はたくさんありますが、前回挙げた

そこで、それは僕がやったのだ、と言い、詳しく話し、説明しようと試みた。
 すると、エーミールは、激したり、僕をどなりつけたりなどはしないで、低く「ちぇっ。」と舌を鳴らし、しばらくじっと僕を見つめていたが、それから、「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」と言った。

の下線部は、いったいどこで区切って考えれば良いのか、これに実はひっかかっています。たぶんほとんどの人は、「①言った+話した+説明した。」(そしてそれを全て聞いた後で「すると、」以下に続く)というふうに捉えるのが当たり前、と思っているのではないでしょうか。でも、だとしたら「と言い、詳しく話した。」あるいは「詳しく説明した。」で良いですよね?そして何よりもなぜ、「試みた」という文末表現にしたのでしょうか?(ここで原文のドイツ語が分かれば良いのですがね。英語のTRYにあたるような単語があったのでしょうか?)

「話した。」「説明した。」と「試みた。」を比べると、受ける印象がかなり違います。つまり、「試みた。」という表現には、「成功しなかった。」というニュアンスがかなり強く感じ取れます。だとしたら、成功しなかったのはどの部分なのか?

別の区切り方として「②言った+話した。さらに説明しようとしたがうまくいかなかった」という考え方もできます。しかしこれだと、「話した」と「説明した」の内容は、一体どう違うのか。いずれにしても、この状況で主人公がエーミールに話す、あるいは説明するべき内容は以下のようなことになると思われます。

(1)自分もクジャクヤママユが好きで好きでたまらなかったこと。(2)せめて一目見せてもらいたいという気持ちで来たこと。(3)部屋の鍵が開いていたので、一目見るだけのつもりで勝手に部屋に入ったこと。(4)見ている時に出来心でどうしても欲しくなって持ち出したこと。(5)潰すつもりは全くなく、物音に怯えて慌てて起こったアクシデントであること。(6)エーミールに許してもらえるよう頼みにきたということ。・・・他にも考えられますが、まぁ最低限これくらいのことは伝えようと「試みた」のでしょう。しかし、そうなるとやはり「話す」部分と「説明する」部分を分ける必然性がますます感じられません。以上のことから私は、自己満へそ曲がり流読解でこの部分を「③言った+話したり説明しようとしたりしたが、それはうまくいかなかった」という意味合いに捉えるべきではないか、と考えます。

そう捉えるとどうなるか?非常に悲惨な結果になりますよね。つまり、「それは僕がやったのだ。」だけは伝えたが、その後の「なぜやったのか」「どういう気持ちでやったのか」「何をしに来たのか」という、一番大事な部分をきちんと伝えられなかった、ということになります。さらに言えば、この「きちんと伝えられなかった」にも二通りの考え方ができます。

一つは「(1)〜(6)の内容を、説明はしたのだが、全く相手にされなかった。」という考え方(これをA案とします。)

もう一つは「説明しようとした時にエーミールに舌打ちされてしまい、そこから先(1)〜(6)の内容が全く説明できなかった。」(これをB案とします。)

Aの考え方も、Bの考え方も十分あり得ます。なぜなら、主人公がエーミールのところに行くことをためらった理由が、まさにそれだからです。曰く「あの模範少年でなくて、他の友達だったら、すぐにそうする気になれただろう。彼が、僕の言うことをわかってくれないし、おそらく全然信じようともしないだろうということを、僕は前もってはっきり感じていた。」と。Aの考え方はまさにこれであり、Bの考え方も、このことが意識の中にあったから、「説明しようとしたが、舌打ちされた段階で説明しても無駄だと気づき、それ以上何も言えなくなってしまった」というように考えることができるからです。とはいえ、AだったのかBだったのかによって、その後の主人公の悲惨さ、トラウマの強さが全然変わってくることになります。では、「説明は一応できた」のでしょうか、それとも「そもそも説明出来なかった」のでしょうか。          自己満へそ曲がり流読解で言わせてもらえば(何度も書いたとおり、原文はいざ知らず、日本語表記だけから読み解くとするならば)少なくとも「説明」はされていない、となります。なぜならば説明「しようとした」という表記は、「未遂だった」と読めるからです。そして「説明」は未遂だが、「話し」だけは遂行された、というのもつじつまが会いません。以上のことから私はB案、つまり「それは僕がやったのだ、だけは伝えられたが、それ以外の説明はできなかった」と読み取りました。では、もしもそうだったとしたら一体それはどういうことを意味するか。その考察については次回にさせていただきます。よろしれけばまたお付き合いください。

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