皆さんご存知のこの小説は、主人公が闇の中で、自分の集めたチョウの収集を一つ一つ指で粉々につぶしてしまうシーンで終わります。
僕は、そっと食堂に行って、大きなとび色の厚紙の箱を取ってき、それを寝台の上にのせ、闇の中で開いた。そして、ちょうを一つ一つ取り出し、指で粉々に押しつぶしてしまった。
なぜそうしたのか?という理由については次回触れようと思いますが、もう一つこのシーンで大切なのは「闇の中で」つぶしていたことだと思います。つまり、想像するしかないのですが、「主人公はどんな表情でつぶしていただろうか?」なんてことを考えてみるのも重要な読み取りではないでしょうか。苦悩に歪む表情なのか、泣き顔でつぶしているのか、能面のような無表情でつぶしているのか・・・さすがに笑いながらつぶしていると考える生徒はいないでしょうが、ここで「カオナシ」で終わらせているあたりは、作者ヘッセの計算だろうと思います。
とともに、この場面って既視感がありませんか?そうです。ビフォーアフターのアフターパートの最後のシーンです。つまり
彼は、ランプのほやの上でたばこに火をつけ、緑色のかさをランプにのせた。すると、私たちの顔は、快い薄暗がりの中にしずんだ。彼が開いた窓の縁に腰掛けると、彼の姿は、外の闇からほとんど見分けがつかなかった。私は葉巻を吸った。外では、かえるが、遠くから甲高く、闇一面に鳴いていた。友人は、その間に次のように語った。
のシーンです。「カオナシ」その1ですね。現在のシーンの最後と、回想シーンの最後を、どちらも「暗闇の表情を見せない」ことでそろえる、という設定は、これは日本語訳どうこうということで変わりはないでしょうから、明らかにヘッセが、全体の構成を意識してあえてこうしたのではないでしょうか。(変なものに例えるならば、お笑いの世界でいう「天丼」ってやつにちょっと似てるかも。)現在のシーンでの主人公は、どんな顔をしているでしょうかね。苦笑いの表情なのか、懐かしい表情なのか、恥ずかしいと言っているとおり羞恥心にみちた表情なのか。「世界観がぶちこわしにならない限り想像を膨らませるのは全然アリだ。」と生徒には指導していますが、はっきりいって私にもよくわかりません。でも、どれもアリだと思います。「みんな違ってみんな良い」的な読み取りのできる、こういうシーンがやっぱり教えていて面白いんですよね。ところで、このビフォーパートのラスト「なぜそうしたのか」の読解について、以前から微妙に読解になやんでいる表記があります。その表記について次回述べようと思いますが、皆さんはいかがお思いでしょうかね。お暇でしたらお考えをコメントいただけるとありがたいです。それではまた、次回その④でお会いしましょう。