ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室と老害アウトドア

中学校の国語や趣味に関する話題を中心に書いてます。

こんな雑談をしてきたその13(平家物語と桃太郎)

その12では、「故郷」の表記にかこつけて、陰陽五行説の雑談をした話を書きました。で、今回は「平家物語」(扇の的)にかこつけて、時刻と十二支からの~「桃太郎」につながる、という雑談の話です。

「ころは二月十八日の酉の刻ばかりのことなるに、をりふし北風激しくて、磯打つ波も高かりけり。・・・」と続く「扇の的」の出だしです。この「酉の刻」ってのが、午後六時頃というのは、口語訳の中にでてくるわけですが、さてこの酉の刻とはどういうことか?もう午後六時ってことは教科書の脚注に書いてあるわけで、それで済ませても全然良いわけですが、ここから桃太郎の話にどうつながるのか乞うご期待。

まずは十二支を知っているかどうか、というレベルから探っていくことにしますが、そもそもの話として、生徒が「年賀状を書かない」ようになってきていることもあってか、十二支の順番すなわち子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥・・・が分からない生徒がかならいの割合でいます。そこでまずは時計のようにこの十二支を描き、二十四時間で一回り、つまり二時間ごとに一刻となることを説明します。

十干十二支・時刻と方位 横浜市泉区

子は23時~1時、この区切りで行くと午(うま)が11時~1時。したがって12時は「ちょうど午」つまり正午となり、コレより前が午前、後が午後になる、というあたりは、生徒でも結構気づいてくれますね。ちなみに午と書いてあっても「牛」と読む生徒は沢山居ます。「牛の角がないだろ、だからこれは「うま」と読むんだ。」とか雑な説明でお茶を濁してから次へ。(そういえば、うさぎの「卯」も、「卵」と読む生徒もたまにいますね。例の牛丼屋「なか卯」を「なかたまご」と読んでたらしいです。)

従ってこの区切りで行くと、酉の刻は午後6時頃になると。(この字が偏だと「とりへん」と読む、ということは1年生の時に学習しているのですが、まぁきれいさっぱり忘れてますわナァ。残念。)

さらに、合わせ技で時計の様にも見えるけど、方位磁石にも見えるよね?と振っておいて、強引に方角の話に持っていくわけです。(この辺り、多分に個人的なオカルト趣味の押し付けになってしまいますけどね。反省はしている。だが後悔はしていない。)

さて、北の方角が子(ね)の方角になります。皆さんご存知とはおもいますが、続く丑の方角、寅の方角の間、つまり北東の方角を「艮=丑寅(うしとら)」の方角といいます。つまりそして昔からこの北東の方角を「鬼門」と呼び、色んな説がありますが、この世とあの世をつなぐ方角であり、この北東から邪なる「モノ」がやってくるのだとされているとか。(このあたり私なんぞよりディープな知識をお持ちの方はたくさんいらっしゃると思いますが、まぁ中学生への説明だという前提で、笑って許してください。)

で、「草木も眠る丑三つ時」である午前1~3時ころが、一番お化けがでる時刻とされてます。

中学生への振りはこう続きます。「さて、鬼門とは鬼の門と書き、この「うしとら」の方向から鬼やらモノノケが出入りするわけだが、ここで何か気づかないかね?」ぽっかーん。「・・・鬼ってどんな格好している?」あっ!・・・ここで鬼が「牛の角が生え、虎のふんどし(パンツ?)をはいている。」のは何故か?に気づきます。

さらにここから目を転じさせて、「では、裏鬼門、つまり丑寅の逆側は何の方角になる?」未申(ひつじさる)「つまり鬼の逆サイドが「ひつじさる」なわけだが、羊はちょっとおいといて、さるの次は?」とり!「その次は?」いぬ!「さる、とり、いぬ、で何か気づかないかね?」あ、桃太郎!「そう、北東の方角である鬼門から来る鬼に対して、南西の方角である裏鬼門のさる、とり、いぬで対抗したのだそうだ。」へー。

これも中国から入ってきた考え方だし、たぶんですが昔は日本でひつじは一般的では無かったので、一つずらしてさる、とり、いぬにしたのだと思います。酉(とり=直接キジではないでしょうが、そこは日本の国鳥とされるほどなじみが深い鳥だったから、鳥族代表としたのでしょうね。

とまぁ、例によって「ほんのちょっとだけ関係のありそうな雑談」をして、また授業が進まないという、いずれ市教委や文科省から「メッ!」とされそうな内容の話でした。反省はしている。だが後悔はしていない。

まぁ・・・薄々おわかりだと思いますが、そもそも反省もしていません。でもやらかした生徒でも「とりあえず反省の様子を見せれば指導が通った」ことにされてますし、だいたいはまた同じ事をやらかしますが、結局はそれの繰り返しなわけです。だから、「これでいいのだ。」←ひどいケツのまくり方だなぁおい。

 おあとがよろしいようで。