今回は特定のアニメというか、いわゆる「追放系」と呼ばれるジャンルのアニメを見て気づいたことなんですが(1話見ると最後まで見ちゃうんでちょっと疲れ気味です)
何を思ったかというと、わりと流行のジャンルらしいけどなんだか既視感があるなぁ、どこかで見たことがあるなあ、でもそれがなんだかよくわからない、ということでモヤモヤしていたのです。
しかし先日やっと気がつきました。なぁんだこれって結局、西洋の「小公子」「小公女」であり、日本の「安寿と厨子王」「鉢かづき姫」であり、さらに言えば「シンデレラ」「キャンディ・キャンディ」とも通じる、いわゆる「貴種流離譚」とか「継子いじめ」の亜種じゃんか、ってことです。
「追放系」というのは、パターンとして「冒険者グループ(パーティ)の中で目立たない仕事をしていた主人公が、実はすごい能力の持ち主で、リーダーから無能と判断されパーティから追放されたのち、そのすごい能力を発揮して別のところで大活躍するのに、追放した元のパーティは、主人公がいなくなってからその存在価値を思い知らされて、ひどい目に遭ってざまぁみろ」という流れです。
目立たないが実はすごい実力の持ち主だった、という設定は、確かに徹頭徹尾「俺TUEEE!」の、胸焼けしそうな万能チート主人公よりは、個人的には好きですし、こちらの方がスカッとすると思います。
……が、今回「追放系」でググったら、ヤフー知恵袋で以下のような書き込みを見つけてしまいました。曰く
そもそも主人公が無敵だとか万能という設定自体、物語を成立させないものです。なろう系は物語を楽しむという小説本来の需要に応えるものではなく、万能感や優越感をとにかく満足させたいという欲求に答えるもので、一種のポルノです。
出版社の調査によると主たる読者層は中高年(中高生ではない)の低所得者層だそうで、そういった層の方々が憂さ晴らしのために読むものであると言えます。そういった方々は「社会は俺のすごさを分かっていない」という不満を常々抱えていたりしますので、 「自分の価値の分からない、リア充に仲間扱いされず疎外された。(読者層の思う自分の人生そのもの)しかし自分は本当の価値を発揮して賞賛を受けるようになり、その一方で自分の価値を分からなかったリア充は没落することになった、ざまあみろ」 というのは、読者層にとって一番スカッとする筋書きであると言えます。
・・・・・・・すげぇ納得しました。特にこの「中高年の低所得者層」ってあたりが「ア痛タタタタ」ですわ。そうかそうか。だから年寄りや中高年は「水戸黄門」や「遠山の金さん」が好きなんだと。
と同時に、恐ろしさを感じました。こういう承認欲求が強いにも関わらず、不遇を託っている人が何かひとつこじらせると、いわゆる「無敵の人」になってしまうのだろうと。そしてそういう人たちが犯す犯罪が、なんだか近頃どんどん増えてきているのではないか?(前回触れた京アニの犯人も、秋葉原の殺傷事件も、その他もろもろ言い出すときりがない)
と、ここまで打ってはたと気づかなくて良いことに気づいてしまいました。
ブログ書くって承認欲求そのものじゃん!
でっかいブーメランが刺さったところで、今回はオシマイ。どっとはらい。
ちなみに↓これが一番胸焼けしたアニメでした。パート2は遠慮させていただきました。