ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室と老害アウトドア

中学校の国語や趣味に関する話題を中心に書いてます。

「故郷」(魯迅)についての以前からの素朴な疑問

札幌は名実ともに「もう真冬の候であった。」・・・ということで、今回はこれまたロングセラーの、魯迅「故郷」について、以前からどうもビミョーに説明がつかないことについての、素朴な疑問を書いてみようと思います。

さて、元大地主の息子であった、魯迅をモデルとする「私」と、その元雇い人の息子であるルントウの、「ビフォーアフター」と、一番最後の場面「もともと地上には道はない。歩く人が多ければ、それが道になるのだ。」の読解の2つが、「故郷」の授業をおこなうときのミソだと思っていますが、その「ビフォーアフター」のマクラというか暗示というか、とにかく生徒にとっては、主人公やルントウ以上にインパクトの強い「ヤンおばさん」の変貌が、私の授業では前半かなり重要になります。(あと「チャー」もインパクト強いですが。)

楊夫人?楊小姐? ←これは明らかに違う

さて、そのヤンおばさんが登場したシーンの記述は以下の通り。

「まあまあ、こんなになって、ひげをこんなに生やして。」不意に甲高い声が響いた。
 びっくりして、頭を上げて見ると、私の前には、頰骨の出た、唇の薄い、五十がらみの女が立っていた。両手を腰にあてがい、スカートをはかないズボン姿で足を開いて立ったところは、まるで製図用の脚の細いコンパスそっくりだった。
 私はどきんとした。
「忘れたかね。よくだっこしてあげたものだが。」
 ますますどきんとした。幸い、母が現れて口添えしてくれた。
「長いこと家にいなかったから、見忘れてしまってね。おまえ、覚えているだろ。」と、私に向かって、「ほら、筋向かいのヤン(楊)おばさん……豆腐屋の。」
 そうそう、思い出した。そういえば子供の頃、筋向かいの豆腐屋に、ヤンおばさんという人が一日中座っていて、「豆腐屋小町」とよばれていたっけ。しかし、その人ならおしろいを塗っていたし、頰骨もこんなに出ていないし、唇もこんなに薄くはなかったはずだ。それに一日中座っていたのだから、こんなコンパスのような姿勢は、見ようにも見られなかった。その頃うわさでは、彼女のおかげで豆腐屋は商売繁盛だとされた。たぶん年齢のせいだろうか、私はそういうことにさっぱり関心がなかった。そのため見忘れてしまったのである。ところがコンパスのほうでは、それがいかにも不服らしく、蔑むような表情を見せた。まるで、フランス人のくせにナポレオンを知らず、アメリカ人のくせにワシントンを知らぬのを嘲るといった調子で、冷笑を浮かべながら、
「忘れたのかい。なにしろ身分のあるお方は目が上を向いているからね……。」

どの部分に素朴な疑問があるのかという前に、前提として

①「私」は現在アラフォーであること。(彼と知り合ったとき、私もまだ十歳そこそこだった。もう三十年近い昔のことである。

②「私」がこの地に戻るのは約二十年ぶりである。(厳しい寒さの中を、二千里の果てから、別れて二十年にもなる故郷へ、私は帰った。

③ヤンおばさんは「アラフィフ」なので、私より十歳くらい年上である。(五十がらみの女が立っていた。

・・・ことを踏まえての疑問というのが、「なぜ私はヤンおばさんを見忘れてしまったのか?」ということです。ちょっと何言ってるのか分からないかもしれませんし、生徒に質問したらおそらく、母の言葉をもとに「長いこと家にいなかったから」と答えることでしょう。

では改めてその「長いこと」というのはどれくらいか?はい、「二十年ぶり」ですよね。つまり現在アラフォーの「私」がこの「故郷」を離れた時、「私」は二十歳前後だったことになります。おわかりでしょうか。

物心つかぬうちにこの地を離れていたのなら、それこそ「抱っこ」されるくらい小さなころに離れていたのなら、近所の優しいお姉さんのことを忘れるのはうなづけます。そもそも「抱っこ」されるくらいの年は幾つくらいか?どれだけ大きくても5歳くらいではないでしょうか。ならばそのときヤンおばさんは15歳くらい。15歳だとしたら「豆腐屋小町=町内で評判の看板娘」にはちょっと早いかも知れない。白粉や口紅を塗るのにもちょっと早いかも。(昔の中国のスタンダードはわかりませんが。)

まぁここは「鬼も18番茶も出花」と想定してみましょう。ならば前述の「子どもの頃」とは、私が大体10歳年下なので、8歳くらいの時になります。それなら「年齢のせい」で、「そういうこと=キレイなおねーさんがいるゾォ」ということにさっぱり関心がなくても普通でしょう。(↓とはいえ、こういう例外もいますけど)

ななこおねいさんと手をつなぎたいゾほか|おはなし|クレヨンしんちゃん|テレビ朝日 

だがしかし、これが「20歳近くまでこの家に住んでいた」にもかかわらず、そしてヤンおばさんが「筋向かい」に住んでいた豆腐屋だったのにもかかわらず、「見忘れてしまった」というのがどうも解せません。

「筋向かい」は、直接斜め向かいに住んでいたわけではないでしょうが、少なくとも同じ町内?でしょうし、同じ町内に何軒も豆腐屋があるとも思えず、何よりも「私」は少なくとも「一日中店番をして座っているヤンおばさん」を目撃しているわけですから、20歳になるまでに何度も豆腐屋の前を通ったことでしょう。

さて、私が20歳の時、ヤンおばさんは30歳くらい。ヤンおばさんが結婚していたかどうかは分かりませんが、逆に「美魔女」とか「女盛り」(※おんなざかり、ですよ。打っていて一瞬「女体盛り」に見えてドキッとしたわ。←立派なセクハラですな。御容赦を。)だったのではないでしょうか。

ならば、20歳そこそこの私なら、意識の中にけっこう入ってくるのではないか?まぁ少なくとも忘れてしまう、ということはありえないと思うのです。では私はなぜ見忘れてしまったのでしょう?・・・これが以前からの素朴な疑問なのです。

(ちなみにググると、日本では「年増のうちでも美しい時期を年増盛(としまざかり)とも呼んだ。 江戸時代には、数え20で年増、25で中年増、30で大年増と呼んだそうです。ナンボ平均寿命が違うとはいえ、ハタチで「年増」はちょいとキツいですな。)

こういう重箱の隅ばかりつつくような読み方ばかりしているので、一向に授業が進みませんが、このシーズンになると故郷の授業が入ってきます。授業のたびに気になっていた疑問を書いてみましたが、結局納得のいく解釈ができないまま、定年を迎えようとしています。お読みの方でこのモヤモヤを晴らしてくださる方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えていただきたいと思います。それではまた。

(「スカートをはかないズボン姿」で思い浮かぶのが「酔拳」のこのおばさん・・・)