2年生の説明的文章で「モアイは語るー地球の未来」という題材があります。以前のブログで「筆者のドヤ顔がうかがえる」という、見ようによってはまことに失礼な内容を書かせていただきましたが、今年度の授業をするにあたって、とうとう教科書の扱いのタブーにふれてしまいまして、教育委員会に呼び出されて、「メッ!」ってされるかもしれません。何かというと、モロに教科書の内容をひっくり返したYouTubeを生徒に見せました。(もちろん一通りの学習を終えて、参考資料として見せたわけですが)まぁ生徒の「今までの授業は何だったんだ!?」感の漂うこと漂うこと・・・
ところで、私自身もこの「モアイは語る」については、かなり昔からちょっと疑問を感じていました。一つは、本当にヤシの木のコロで、「溶岩だらけの火山島を十キロも二十キロも運」ぶことが可能なのだろうか?ということです。相当の大きさと重さのあるモアイを、ヤシの木のコロで運んだら、ヤシの木が潰れてしまって動かなくなるのではないか?と以前から疑問視していました。で、これについてはもうかなり前から、あるテレビ番組(何だったかも思い出せない)で、「モアイを歩かせる」斬新な方法で移動させる映像を見て、「これだ!」と思い、インターネットで動画を探して、授業が全て終わってから生徒に見せて締めくくりにしていました。左右と後ろの三カ所で縄でつないだモアイを、左右に揺さぶりながら少しずつ前に進めていく方法は、私たちも重いものを移動させるときによく使う手法です。コロよりはずっと手間がかからないし、木を切る必要も無いので、私はこちらの「モアイを歩かせる」方法がすっと腑に落ちました。画像を見終わったあと、歩かせる方式だったと考える生徒の方が圧倒的に多かったです。実際にどうだったのかははわかりませんけれど、この段階で「教科書批判」ととられるのならば、「禁断の?授業」だったと言えるでしょう。(「教科書批判」ととられておしかりを受ける危険性は感じつつも、知ってることは教えたがるあたりが自己満へそ曲がり流。)
二つめとしてはこの表現→「人口は100年ごとに二倍ずつ増加し、十六世紀には一万五千から二万に達していたと推定されている」という記述と、「十一世紀に人口が急激に増加を始めた」の整合性です。十六世紀に二万と書いてありますが、ならば逆算してして、単純な倍々ゲームだったとしたら十五世紀は一万、十四世紀は五千、十三世紀は二千五百、十二世紀は千二百五十・・・十一世紀には千人以下だったことにならないか?そんな人数しかいなくていきなりモアイを作り始めたりするだろうか?などということも引っかかっています。(まぁもちろんこれは単純な倍々ゲームではなかったのでしょうが、理屈バカの典型例ですね。)
三つめとして、「ヤシの花粉の量は、七世紀頃から、徐々に減少していき」と書いてありますが、モアイを作り始める四〇〇年前から徐々に減少していたのなら、作り始めた十一世紀段階で既にかなりヤシの木は枯渇していたことにならないか?というあたりも引っかかります。本当にヤシの枯渇がイースター島の文明崩壊の原因なのだろうか?などとモヤモヤしたままずっと授業をしてきましたが、今年度ひょんなことからイースター島にかかわる、あるYoutubeを見ていたら、何と「最新の学説」として、前述の「歩かせて移動させた」説とともに、イースター島の人々がいなくなった原因として、「奴隷商人による拉致」+「その際に持ち込まれた疫病」が原因、という説が紹介されていたのです。正直どちらも個人的には教科書の内容よりずっと信憑性が高いように見えました。教科書の記述を否定する気持ちも、筆者をディスるつもりもありませんが、今年の生徒には全ての授業が終わってからその新説のYoutubeを見せ、「信じるか信じないかはあなた次第です」と授業の締めとしました。余計なことをしたのかなぁ。でも事あるごとに「教科書だろうが何だろうが、盲目的に信じるのはやめろ」と言ってきた手前、自分が知った以上伝えるべきだろうなぁ。うーん。
(・・・と、迷ったふりこそしていますが、今までも散々国語の教科書の表現や内容のおかしな所を指摘してきたんですから。ナニヲイマサラ、ですよね。)
ちなみに、前回残した凡ミスですが、皆さんおわかりでしたか?(もしおわかりでない方のためのヒント「普通の中学校ならもれなくあるはずの何かが、この学校にはない」ということです。その一文がこれです。)
自習時間が終わり、昼休みに入った教室はがやがやしていた。
それではまた、よろしければ次回も読んでやってください。