さて、中学校の行事の一つに、陸上競技大会というものがあり(学校によりますが)教師が手分けして審判や誘導などをします。かなり昔の話、広い競技場でお互いに連絡を取るために、小型のトランシーバーを使っていたのですが、ある時、年配の先生がものすごい大声でどなってるんですよ。「だからさっきから何回も百メートルの生徒を集合させろっていってるだろ!聞こえないのか!」なんてね。トランシーバーのスピーカーからは延々と「出発係そろそろ時間ですけど準備いいですか?応答願いますどうぞ!」と流れている。ははん、わかった。「先生、喋るときに通話ボタン押さないと通じませんよw」」「お、おう(汗)」なんて事がありまして・・・、で。
おわかりいただけただろうか(心霊特集かよ)
携帯電話やハンズフリーの電話ならともかく、昭和の無線機やトランシーバーだったら、音声を送るときは必ず通話ボタンを押しながらでないと通じませんよね。
いや、現在でも、送信が終わって返事を待つとき、警察?やアマ無線なら「どうぞ」、自衛隊なら「送れ」、外国なら「オーバー」とか言って、送信ボタンを離して返信を待ちますよね。
つまり、「通信機を卵の近くに置」いただけでは、ハッチアウトはおろか、たとえ殺人事件がおきていても、相手には何も聞こえません。(たとえば「送信ボタンをガムテープで固定して」なんて記述があれば別ですが。)だからそもそもこの話は、「音が聞こえるはずがない」ので、「話そのものが成立しない」のです。
「無線機の電源が入っていたから、部屋の中で争う音が聞こえたんです!」なんて証言をしたら、裁判官が「それはおかしい!」と判断するのと同じ案件だったのです。
「理屈バカ」でドン引きされるかもしれませんが、このことに気づくと、どうしても授業で教える時に引っ掛かりを感じでしまい、純粋に「深イイ話」として教えるのが難しかったです。(一通り授業を終えてから、「ところで私はここが引っかかるんだけど」という前置きで、このミスを生徒に教えましたが、生徒は8割ポカーンとしてましたね。)
そもそもなぜ私がこの話を、教科書会社に電話したのかというと、まだ若かりしその頃、誰か先輩の先生が「教科書のミスを見つけて連絡すると、謝礼が貰えるらしいぞ。」と、何かの話の中で教えてくれたからでした。それが本当なのかどうか、いまだにわかりませんが、それを信じて勇んで教育出版に電話してみたのです。返答は・・・
「はぁ、そうですね。上の者に伝えておきます。ご指摘ありがとうございました。ガシャン ツーツー・・・」でした。おいおい、謝礼は???
改めて考えるに、これは作者のミスであって、教科書会社のミスとは言えないからなのかもしれませんね。にも関わらず、私はその後さらに2回、理屈バカ的なしくじりを見つけては、教科書会社に電話をかけたのです。その話はまたいずれ。どっとはらい。
では、次回は私の国語に考え方を考え方を、根底から変えてくれたこの本の話など。
お暇でしたらごらんください。 ※ハリィ-ケメルマン「九マイルは遠すぎる」