ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室と老害アウトドア

中学校の国語や趣味に関する話題を中心に書いてます。

2023 初タト食反 例によって発寒川河川敷

新車、といっても自転車ですが、通勤ばかりではなくやっとディキャンプ?チェアリング?に出かけることができました。行き先は毎度お馴染み発寒川河川敷。まぁGWということもあって、駐車場はいっぱい、河川敷も隣との距離を考えると結構限られるレベルの混みよう。出不精の息子娘、当然カミサンにも相手にされず、思惑通りやむを得ずチャリにて詣でけり。

 

バッグを2つ付けるほど、大量の荷物が必要なわけでもありませんが、まぁ試運転ということで。ついでにマットをくくりつけたらどうなるかも試してみましたが、100均のゴムバンドで大丈夫そうだということがわかりました。いずれはテントとシュラフを何とかして、自転車キャンプにいきたい。明日のためにその1、です。とはいえ到着したのはすでに12時過ぎ。昼飯を作ります。例によって絶対失敗しない「なんちゃってペペロンチーノ」です。(そろそろ新メニューをなんとかしたいところ)

 

(ここに来るたびにタマネギとピーマンを切ってる気がする)

 

今回の新アイテムはこのデカシェラカップですが・・・・・・具が多すぎたかも。ちなみに通販で買いましたが、鹿番長とかの半額くらいでした。ので2個買いました(おいおい)

 

 

識者からは非難囂々かもしれませんが、調味料の中身は去年のままです。半年以上経過しています。まぁ自己責任ということで(←入れ替えろよ)

ここで半分に折ったパスタを茹でにかかったのですが、このモンベルのクッカー、丈が短くて入りきらない!うーん、大きいメスティン持ってくるんだった!

なんとかかんとか押し込みまして、ゆでること数分。芯が残った状態で火から下ろし、余熱で茹でる間に具を炒めます。(ちなみに、「塩こしょう」しか持ってきていないので、パスタも「塩こしょう」で茹でています。識者からは以下略)

 

(やはり具が多すぎた)

 

100均の粉にんにくと赤ほりにしであえるだけ、というサルでもできるお手軽ペペロンチーノです。で、分量をやはり間違えましたね。(パスタも多かった)18センチのプライパンがいっぱいになってしまいました。

(パスタのゆで汁を少し入れる、とかいうしゃらくさい由緒正しい制作法を忘れてしまった分、ちょっとパサついてますが、それらしいものができあがりまして、とりあえず満腹にはなりました。(というかさすがに多すぎた)

 

せっかく持ってきたので、マットでしばらくゴロ寝し、コーヒーを入れることにしました。ここでも半年前の残りがあったので消費してしまおうという、識者からは以下略

 

 

・・・・・・これは不味い。メーカーの名誉のために、というか100%こっちの責任なので、どこのコーヒーかは伏せますが、さすがに半年前のドリップコーヒーとなると、香りはほぼ無し、味もよく分からない、まぁヒドイものでした。ただの茶色いお湯。

その後川を見ながらぼーっとしたり、スマホでアニメを見たり(61の老害がやることかね)小一時間してから、これは今年のものである別のコーヒーを入れてみました。

 

近所のスーパーで買ったものですが、こっちはやっぱり「これぞコーヒ!!」って感じの味で、やっとほっと一息つけましたね。お湯をぶちまけたり、タマネギを落としたりといろいろやらかしましたが、休日の数時間をまったりすごすことができ、やっぱり外飯はいいなあ、とつくづく感じた今日この頃でした。

それにしても、ここに来る途中で2つの中学校のグラウンド横を通ったのですが、両校とも熱心に野球部が試合をしていました。考えてみたら、部活動と一切関わらないGWというのは教師生活で初めてだった気がします。(サブの時でも試合には行ってましたから)自ら好んでやっておられる先生にも、やりたくもないしやったこともない競技を有形無形の圧力に負けて不承不承やらされている先生にも、ちょっぴり面目ない、という気がしたデイキャンプでした。

(それにしても、指が完全に「お爺ちゃんのそれ」になっているなぁ、とほほん)

どなたか教えてください

現在の教科書を使うのも何週目なのか分からないのですが、今までずっと気づかずにスルーしていた部分に、今回急に疑問が沸いてしまい、個人的に考えていても結論が出ないくて、語源やら文法?やらに詳しい方に「助けていただきたい」という、割と切実なお話です。※ひょっとしたら「教科書会社に電話をかけるパート4」になるかも知れません。 

 

さて、今回取り上げたいのは、「熟語の構成」という教材です。私立高校の入試ではデフォルトで出題される題材なので、ちゃんと教えないと「損をさせてしまう」部分です。基本は二字の熟語の、上と下の字の関係を見分ける問題なのですが、大きく5種類の構成があります。光村の教科書の分類を使うと・・・・・・

 

①意味が似ている漢字の組み合わせ。

 拡大→拡(ひろげる)+大(おおきい) 例 思考・規則・縮小・山岳・搭乗など

②意味が対になる漢字の組み合わせ。

 善悪→善(よい)+悪(わるい) 例 前後・売買・強弱・禍福・慶弔など

③主語と述語の関係。

 地震→地が震える 例  国営・雷鳴・日照・人造など

④下の漢字が上の漢字の目的や対象を示す。

 洗顔→顔を洗う 登山→山に登る 例  開会・造園・遷都・帰郷・就職など

⑤上の漢字が下の漢字を修飾する。

 軽傷→軽い傷 激増→激しく増える 例 水路・熱心・俊足・猛犬・逆流など

 

というのが教科書の説明です。で、私がここの授業をやるときには、まず各自にランダムで「二字の熟語」をひとつノートに書かせておき、上の5種類の分類を説明したあとで、さっきランダムで書いた各自の熟語が、どれに当てはまるかを聞く、という流れでおこなっています。毎年、どれに分類するか迷う熟語が出て困ったり、逆にどれなのかを考えるのも面白かったりします。

極力、教科書の例は使わずに、その場で出された生徒の例をノートしてもらうことにしているので、ほぼ教科書の例は見ません。(ただし、③の例、つまり「〇が〇する」の、間に「が」が挟まるパターンは、一人もいないことが多いので、これだけは教科書の例を使うことがままあります。)

さて、今年の授業の中で「①のパターンだった人?」と発問し、いろいろな答えが出た中で、「拡大」と答えた子がいました。

それに対して私は「うーん、それは似た意味のものではなくて、『大きく拡が
(げ)る』という意味だから、④のレ点が入るパターンじゃないかな」と返答しました。すると、その子も周りの子も、なんだか微妙な顔をしているのです。

で、その段階で初めて教科書に目を落としましたら・・・・・・何ということでしょう!

①のところの例に、「拡大」がちゃんと載っているじゃあーりませんか! 

 吉本新喜劇は全く好きじゃないですが、合掌。

偶然なのか、それとも自分で考えるのが面倒で教科書を見たのかわかりませんが、そりゃ教科書で①のところに載っていれば、①のところで答えますよね。でもですよ?

そもそも意味は「大きく拡げる(拡がる)」ですよね?

「拡がる」+「大きくなる」とか 「拡げる」+「大きくする」って、無理筋じゃないですか?

さらにいえば 拡げる(拡がる)=動詞で、大(きい)=形容詞ですよね?動詞と形容詞を、「似た意味」として並べるのは、アリなんでしょうか?

(しかもご丁寧に「縮小」=「小さく縮める」も載ってます。これも縮む(める)=動詞 小さい=形容詞 ですよね?)

 

「広大」なら「広い」+「大きい」で、似た意味というのは分かるんです。(「狭小」も)今までずっとスルーしてきたけど、一度気づいてしまうとどうしても引っかかってしまうし、そもそも生徒に説明できません。

今年初めて気づいたのですが、どうして「拡大」は、④ではなく①なのががわかりません。どなたか助けてください。このままだとまた教科書会社に電話することになってしまいます。それはそれでネタとしておいしいけれど(←こらこら)

 

 コメントでご教授いただければありがたいです。

 

こんな雑談をしてきたその14 「アイスプラネット」について再び

ローテーション的に「アイスプラネット」の時期がやってまいりました。授業をやっていまして、また新しい発見がありました。というかある言葉が死語になりつつあることがわかりました。ではその2つの言葉

その①「さすがに頭にきた。」

キーボードに八つ当たりする人のイラスト(男性会社員)

これは「ぐうちゃん」に子供扱いされたと思った主人公が「怒ってしまった」ときの言葉です。一応確認として「頭にきたって意味はわかるよな?」と聞いたところ、生徒が何だか微妙な顔つきをしているんですよ。

意味はわかるらしいんだけど、ひょっとして?と思って「日常で聞いたり使ったりする人?」と聞いてみると、1/4~1/3くらいの生徒が手を挙げた、つまり半分以上の生徒には既に「死語」に近いということがわかりまして、結構衝撃的でしたね。

「腹が立つ」の方が認知度は高いようだし、怒ったときには何て言う?と聞くと、多いのは「ムカつく」「ムカムカする」あるいは「キレる」「ブチ切れる」の方が断然使用頻度が高いようです。「腹が立つ」が死語っぽくなってるのは残念な感じがします。

ここからは授業とは別の、完全なる雑談です。「キレる」の方は、調べてみると諸説その1「堪忍袋の緒が切れる」から 諸説その2 こめかみに浮かび上がった青筋が怒りの余り切れそうになるから……だそうです。我々老害世代は例によって「俺たちひょうきん族」とかで、片岡鶴太郎が「ぷっつん」という言葉を使って表していたのが印象的でしたが、彼が語源というわけではないようです。

そしてもう一つ、老害世代に印象深いのが、SF作家の筒井康隆氏の断筆宣言です。ある小説の中の表現について抗議を受け、「頭にきて」執筆活動を止める、と宣言したのですが、そのときに使ったのが「あたしゃきれました。プッツンします。」という言葉でした。わざとでしょうが、老獪な作家が、そんな流行語を使うんだ、と思ってびっくりしたのです。キレる、とかブチ切れる、という言葉は、個人的に何となくスラング的な印象があったのですが、意外と由緒正しく、頭にきたと同じレベルの汎用性があったんだと、改めて感じました。

その②「地上十階建てのビルぐらいの高さなんだ。そして、海の中の氷は、もっともっとでっかい。」の部分についてです。これは世界中を巡ってきた椎名誠の分身である「ぐうちゃん」が主人公に宛てた手紙の一節で、「世の中には実際に見えていないことの方がずっと多い」とか「自分の常識だけが全てではない」ことについての「隠喩」だったり「暗示」だったりします。テーマにかかわるとても重要な一節なので、授業では必ず触れますが、そのときに発問するのが「ここの表現から分かる、実際に見えている部分よりも、もっと多くの真実が隠れていることを表す慣用句は何か」、というものです。氷山の水面下には全体の7割~8割が隠れていることから出来たこの慣用句に、今回ピンと来た生徒はクラスに1人いるかいないかでした。

氷山の一角のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや 教科書の氷山は「一角」ではなく丸めでしたが。

ローテーション的には概ね3年に1回の割りで、このアイスプラネットの授業をし、そのたびにこの発問をするのですが、明らかに年々認知度が下がっているのを感じます。(中には「頭隠して尻隠さず」と答える生徒がいて、軽くかすっているけどちょっと違うという、国語科教師としては、話の広がるとても有り難い反応です)

結論 ちょっと偉そうですが、故事ことわざ慣用句が生徒の中でどんどん風化していくのはかなり残念な話ですので、気づいたものについてはできるだけ授業の中で触れていこうと思っています。

 

 

 

 

 

 

砂漠に水を撒くような その②

前回は文節に分けて、〇〇語という見分けをする、というところまでについての「なかなか記憶に残らない、砂漠に水をまくような作業であるところの文法授業」についてふれました。しつこいようですが、基本私のスキル不足の話なので、単なるボヤキなのですが、まぁこの辺を伝えるのにこんな工夫をしてみた(のだが焼け石に水)という、悲しいお話になります。(というかこれも誰得な話ですね)

さて、「ね」「さ」「よ」などを入れて文節に区切ったものを、さらに「単語」に区切ります。それぞれの単語の品詞(〇〇詞)がわかり、活用のある単語について活用形(未然、連用、終止、連帯、仮定、命令)がわかり、付属語の意味の違いがわかれば中学校の文法はほぼ網羅されたことになります。ただ、そもそも単語に分けること、さらに何詞だか見分けることができないんですよ。〇〇形なんてもう夢のまた夢。

で、文節を単語に分けるときに、いろいろ迷いそうな表現はたくさんあるのですが、とにかく「て(で)、た(だ)」は単語に区切れる、ということを覚えるだけで、かなりのアドバンテージになるのです。例として

踊る+みる+た=踊っ「て」み「た」

飲む+騒ぐ+だ=飲ん「で」騒い「だ」・・・となる。

①て(で)は接続助詞で、接続助詞は用言と用言(述語と述語)の間に入る

②た(だ)は助動詞である

ということも付け加えると、かなり使えます。(ついでに、て(で)た(だ)がついた場合、基本「音便形」になる。音便形になった、ということはつまり、活用形としては「連用形」になる。この一連の流れは本当に身近な会話の中によく出てきますので、ぜひ理解してもらいたい・・・・・・・のですが、まぁ生徒は「ポッカーン」ですわ。

さて、単語に分けることができたら(この「分ける」という作業も難しいのです)あとはまず「何詞なのか」を考えます。で、前段として「自立語なのか付属語なのか」という見分けから入りますが、これは簡単。つまり、「自立語は1文節に必ず一つだけ、しかも文節の一番上にある」ということを踏まえれば、機械的に判断がつきます。例えば次のような文があったとします。(アルファベットがそれぞれ何かの単語だとします)

A B/ C Ð E/ F/ G H /I J。 (※/は文節の区切りを表す)

単語が何かはわからなくとも、自立語と付属語の見分けはつきますよね。

自立語=A C F G Iであり、残りは付属語となります。文節に1個だけ、文節の一番先にある、これだけで少なくとも「付属語=助詞、助動詞」ではないことがわかります。

では次に、8個ある自立語のうちどれなのか、の見分けですが、まず10品詞の見分けについて、私はサザエさんで例えて教えています。(それが効果的かどうかはちょっと疑問ではありますが)

①自立語で活用のある3つは「フグタ家=用言家」で、磯野家と戸籍上別家族である。

 一番動きの激しい(活用がたくさんある)サザエさん=動詞

 サラリーマンで行動が決まっている(活用が1種類)マスオさん=形容詞

 サザエさんとマスオさんの子で、マスオさんと同性のタラちゃん=形容動詞

 

②自立語で活用のない5つはすべて磯野家の住人で、

 磯野家の主人(=主語)となる、フグタ家(用言)に対して体言である波平さん

 用言であるサザエさんとのからみの多いカツオくん=副詞

 波平さんにかわいがられてからみの多いワカメちゃん=連体詞

 上記の人たちをうまくまとめてつないでいるフネさん=接続詞

 誰ともつながらない独立語のタマ=感動詞

③磯野家でもフグタ家でもなく(自立語ではなく)、御用聞きでアクティブな三河屋のサブちゃん=助動詞

④磯野家ともフグタ家とも血縁がなく、裏に住んで小説を書いていてあまり動かない(活用がない)伊佐坂(いささか)先生=助詞

・・・と例えてグループ分けをしてきました。(ただし、最近の子供はあまりサザエさんを見ていないっぽいのですよね。年々通じにくくなってきています)

さて、品詞の見分けで一番先にするべきは「体言=名詞」です。教科書では「が」「は」「も」などを伴って主語になれる、と説明してありますが、ポンコツ先生流には名詞は

①「〇〇がヤバい」と言えれば名詞・・・と最近は教えています。ヤバいは実に応用範囲の広い言葉です。昔は~が大きい、~がある、~がない、などと言えれば名詞、と教えていましたが、ヤバいだとすべて網羅できるように思います。(例 速さがヤバい、苦しみがヤバい、など用言っぽい名詞もイケます)

②「しりとりで使えれば名詞」とも教えます。しりとりで「走る」とか「小さい」とかは使いませんよね。

③なんといっても使えるのが「カタカナ語、漢語、漢字で終わる語はすべて名詞」です。特に「漢語」「漢字で書ける」「漢字で終わる」(例「いじめっ子」など)は、余計なことを考えず反射神経的に見分けられます。でも教えないと意外と気づきません。

まったく「誰得」な内容ですが、奇特な初心者の国語の先生の参考になれば、と思い書いてみました。このシリーズももう少し続くんじゃ。どっとはらい

 

 

 

やらかしちまったやらかしちまった

というわけで、「くそったれのやらかし人生」を体験したポンコツ先生です。何かというと、「新型コロナウィルス感染症」になってしまいました。どっとはらい


再任用になり、新学期業務が始まらんとするその直前、春季休業の終わりごろのある日の夜、急激に発熱があり、次の日計ると8度台の熱があり喉が痛い。基本体調不良は「寝て治す」派なので、そのままひたすら寝ていたら次の日の午後の、今までインフルエンザでは感じられなかった強烈な倦怠感・・・。さらに次の日の朝。熱は上がったり下がったりを繰り返しています。これはまずいと思い、慌てて発熱外来のある近くの病院を探し、午後から検査してもらいましたところ、インフルエンザもコロナも陰性と診断され、ほっとして帰宅した夜、子供たちが高熱を発したのです。

これはまずいと息子を連れて朝一で検査できる病院に行き検査してもらったところ、見事にコロナ陽性が出てしまい、ならば私も、と再検査したところ、陽性との判断。1軒めはPCRではなく15分ほどで結果のでる抗原抗体検査だったので、まぁひっかからないことは十分にありえる話で、そのことでねじ込むつもりもないのですが、もし1軒めで引っかかっていれば、もう少し慎重に行動できていたのに、とは悔やむところです。コロナではなくて、のどが痛くて熱が出るとなると、昔からよくこじらせる扁桃腺炎あたりかと、希望的観測を含めて思いこんでしまったのですよ。

さて、2人ともコロナと判明したので、同時期に発熱したもう1人の子供を、帰ってきてからの午後、別の病院に連れていって検査してもらったところ、案の定陽性反応ですよ。息子はギリセーフでしたが、2人めは始業式に自宅待機がかぶってしまい、かわいそうに新しい学級が何組なのか、誰と一緒なのか、かなり遅れて知ることになってしまったのです。

もう今回の感染源が私であることは、時系列的に疑うすべもなく、まぁかみさんにおこられること。(ちなみにかみさんも若干遅れて感染してしまいました。病院には行ってないけど状況的に間違いないでしょう)

とはいえ、どこでもらってきたのか、まったく見当がつかないんですよね。発症の2日前の飲み会かと思いましたが、他に発症した人は誰もいないし。それこそ職場とコンビニくらいしか行ってないのに、いったいいつどこで?本当に見当もつきません。

正直なところ、罹患前まではかなりキツめのインフルエンザ、というイメージでした。破壊力的には死を覚悟するような状況にはなりませんでしたが、それでも物凄い感染力と(発症から家族全員感染までがあっという間でしたね)今までに感じたことのない倦怠感は、やはり半端じゃねえという実感です。

O M 俺のミルクはハンパじゃねぇのか?最終鬼畜牛番長・O - YouTube

無症状の人の割合が高いと聞いていたので、今までずっとかからなってないのは、てっきりもうすでに感染していて無症状だったのだろうと、高をくくっていました。なんやかやで発症から4日めですっかり熱も下がり倦怠感もなくなり、通常営業できそうなのですが、7日間の自宅待機期間と並行して新年度業務が進められているのに参加できない歯がゆさと申し訳なさ、これが一番キツかったです。結局始業式、着任式に間に合わず、ひっそりといつの間にか新学期が始まった感じになってしまいました。

結論 検査で陰性が出ても安心しないでください。のどの痛みがきついです。救援物資はすぐには来ません。かなり急いで手続きしましたが、きたのは手続きから2日後でした。各御家庭、ある程度の備蓄はあったほうがいいかも。(ちなみに下の画像が救援物資1人分です。これが3つ届きました)それではまた。



 

 

アニメでわしも考えた ⑨

どうも、春休みを乗り切り、無事新学期を迎え・・・・・・と思ったらどエライことになってしまったポンコツ先生です。何がどえらいのかと言いますと、また次回にでも書かせていただきます。

さて、今回考えさせられたアニメはこの2本。

 

どちらも異世界転生物としては有名な作品らしいのですが、その共通点ではなく、今回着目したのは下の2名のキャラクターです。

このファン】ダクネスのカード一覧【このすば】 | AppMedia 

「この素晴らしい~」のダクネスと、「ありふれた職業~」のティオです。ご存知の方はもうおわかりですね。そうです、この2名の共通項、それは「ド変態」だということです。

・・・なにをいきなり言い出すのかとお思いでしょうが、まずこの2人のキャラクター、見た目は美人で清楚そうなのですが、いわゆる「ドM」ってやつで、攻撃をうけたり劣勢になると「とらわれてとんでもない陵辱をうけてそのあとは・・・❤」とかあられもない妄想にふけったりする、そういうおかしな設定なのです。そして作中で何度も「ド変態」とののしられ、それがまた逆に「お好きな方にはたまらないかと」さらに萌え燃えあがる、という流れなんですが、ここで気になったのが「ド変態」という言葉なのでありますよ。

老害が何を言ってるのか、とお思いでしょうし、各方面に差し障りがありそうな内容なのでわざわざ触れる必要もないのでしょうが、昨今すごくめんどくさいと思っていることが、いわゆるポリコレとかLGBTQとかツイフェミがらみのことです。

いえ、別に「性同一性障害」とかを、軽視も蔑視もしているつもりはありません。ですが、単純に「なんかおかしくないですか?????」と思うのですよ。いえ、これはおそらく私が老害だから、というだけではないと思うのです。

(そういえば、ディズニーもポリコレに忖度してドエライことになっているそうですね。「ストレンジワールド」とかいう、黒人のゲイの少年が主人公の映画が、1億ドルの損失とか。あと人魚姫が黒人になるとかなんとか。そこまで忖度が必要ですかね?)

で、結局最初のアニメに絡めて何を考えたかというと、どのような性的指向性も「是」とすべきであるならば、「ド変態」という言葉も、この先もう使えなくなるのではないか、ということです。となれば、ツイフェミとかいう自称意識高い系の人々が魔女狩り言葉狩りし始めると、上記の2つの有名なアニメも、放送禁止になるかもしれない。それどころか、ありとあらゆるマンガやアニメが地上から消滅してしまうのではないか?と厨二病的な考えすら浮かんでしまうのですよ。いや、言いがかりクレームって、つけようと思えば何とでもつけられるんですよね。

さらに言えば何でもかんでも「差別だ!」と言ってしまえば、言った者勝ちの世の中になりつつある、そんな感じがするのは老害の私だけではないと思います。

(※「性的指向性」と「性的嗜好性」の境界線が、実は余り良くわかっていないのですよ。LGBTQの概念はともかく、ロリコンショタコン、マザコン、ブラコン、SM、ありとあらゆるフェチ・・・もう思いつかないくらい存在するエロエロイロイロな癖?との境目って?あるいはどこまでがノーマル、アブノーマルなのか?もう訳がわかりません。さすがにこのあたり、各方面から怒られそうでちょいと怖いですけれど)

極論であり暴論なのを承知で書きますが、お互いに「そういうのもアリだよね」くらいのゆるい認識が一番だと思います。無理矢理スポットライトを当てる必要があるのでしょうか。日陰者でなくなり、一般的な認知がなされればよいと思うのですが、なにやら首根っこ捕まえて引きずり出そうとしているような感じをうけるんですよ。そして、よく日本は諸外国から遅れていると言われてるそうですが、わたしはそうは思いません。むしろとっくに市民権を得ていると思います。例えば・・・

 

↑これはさすがに極論ですが、BLマンガや小説、アニメの隆盛を見るに十分なムーブメントだと思いませんか?よくネタにされますが、実は「腐女子こそが先駆者!」なのではないでしょうか。昨今は百合アニメの人気も高いですね。アマプラでもかなり多いですし、ガンダムまで百合化してるそうです。ついでですが・・・

 「新・やらないか」告知ビジュアル←ずっと昔からネタの宝庫だったこれ、アニメ化ですってね!驚き!

結論 誰が何と言おうと、わたしの娘が入浴しているところに、自称「心は女性」というむくつけき男性が入ってくるのは、たとえ法律が許そうと個人的に絶対に許せん!(結論というか単なる親馬鹿ですが、世の男親ならかなりの同意を得られるかと。)

結論2 それにしても、声優さんって本当にすごいですね。普通の演技もすごいけど、きっと妙齢の美しいお嬢さんが、ド変態の演技やら、濡れ場やら、あえぎ声やら、聞いてる方が赤面するようなことでも、しっかりとお仕事されている。どんな様子であんな声やこんな声を出しているのかと思うとお好きな方にはたまらないかと若者の間で、声優志望の人気は高いようですが、あれはそう簡単にできるもんじゃないと、いろいろなアニメを見て改めて思いました。(声優さんもそこにばかりに注目されるのは迷惑かもしれませんが)

 

アニメでわしも考えた ⑧

どうも、どうやら懲戒免職から逃げ切りまして、無事定年を迎えましたポンコツ先生です。再任用の先も決まり、もうしばらく先生を名乗らせていただきます。今後ともご贔屓に。

さて、今回考えたアニメはこれら。 

 

 (……何でもかんでも貼りゃぁいいってもんじゃないぞ)

一目瞭然、異世界×グルメの有名どころを並べてみました。多分他にもあるんでしょうが、今のところ見たのはこれくらいです。単なる年齢のせいなのか、あるいは睡眠障害の気があるのか、わたしは朝4時くらいに目が覚めてしまいます。することもないのでぼんやりYouTubeやアマプラを見ているのですが、上記の作品は実に罪なものばかりです。つまり「見ていると腹が減ってしようがない」いわゆる「飯テロ」ってやつですね。(※テロって言葉を、そう安易に使っちゃマズイとは思いますが)

基本どれもこれも、異世界(基本中世ヨーロッパ的な)の、人類も、それ以外の亜人やモンスターも、「うまいメシ」の虜になってしまう、という流れは同じですが、その根底には「日本人の料理に関する工夫のすごさ」があります。

別に「日本TUEEEE!」ということを言いたいわけではありません。が、例えば「とんでもスキル~」でいえば、肉を焼いたところに、ネットスーパーで取り寄せた(これが主人公のスキルなんですが)出来合いのタレをかけるだけでむちゃくちゃ旨くなる。あるいは出来合いの菓子パンやお菓子が、天上界の女神を虜にしてしまう、なんてのも、ありそうな話ですね。実際コンビニの出来合いの菓子パンやらスィーツやら、シンプルに旨いですし。

残りの二つ、食堂と居酒屋ということで、微妙にメニューの方向性が違いますが、なんにせよいわゆる「B級グルメ」です。海鮮丼やらカツ丼やら、身近な物が旨い。異世界なので銅貨何枚、とかいう単位だと思いますが、どれほど高くても2000円はしない、そういうリーズナブルな値段で旨いものが食える。昨今いろんなものの値段があがっていますが、さがせば銀貨1枚(=500円)でも十分旨いものが食える。1000円も出せば大満足。やっぱり日本ってTUEEEE!・・・・・・あれ?

世界三大料理は「フランス料理」「中華料理」「トルコ料理」だそうです。前2つは納得でも、トルコ?とは感じますね。調べたらどれも「宮廷料理」として発達したから、だそうです。日本料理もイタリア料理も、負けてないとは思いますがヨーロッパの人が決めたんだからまぁ仕方ないし、そもそも日本料理ってどこからどこまで?ってあたりが微妙なんでしょうね。

マンガにしてもアニメにしても、その味わい、旨さをセリフや言葉で表すのは難しいですね。いわゆる「食レポ」なんてのも、目を見開いて「んーーー!おぃしいーーー!」なんてのが定番になってますし。だからって美味しんぼみたいに「まぁ、まったりとして、それでいてちっともしつこくないの」とか言われてもよく分からないし。

グルメ番組でも料理をいかに旨そうに見せるか、食べるか、言い表せるかというのは大変な努力がいるのでしょう。でも、マンガの絵や、アニメの画像でそれを表すのは、実写の何倍も大変だということがつくづく感じられます。改めて漫画家やアニメーターの方々のすごさに頭が下がる思いです。

結論 B級グルメ万歳!(・・・・・・なんだそりゃ)

 

実はブラボーおじさんよりも味皇さまのほうがリアクションひどかったんですね

 

 

アニメでわしも考えた ⑦

さて中学校の修了式も終わりまして、無事定年を迎えましたこのポンコツ先生。あとは退職金さえもらっちまえばこっちのもの。春休み何事もなくすぎて、4月1日を迎えることができれば、そのあとはもう・・・うひひひ。アニメに例えるならば、3月31日までは

 で、4月1日からは

井口裕香、鹿乃 『ソード・オラトリア ダンまち外伝』OP&ED同時リリース! | | moraトピックス みたいなもの。

やっと36年間の教師生活=「本編」が終わり、ここから先(再任用)は、いわば「外伝」のようなもの、と考えております。給料も7掛けになることだし。(「ポンコツ先生」あらため「7掛け先生」にしようかと愚考しております)

さて皆様、ギャンブルで絶対に損をしない方法をご存知ですか?はい、そうです。賭けないことです。では、4月1日までトラブルを起こさず、退職金を絶対に没収されない方法は?はいそうです。学校に行かず外出もせず、家に閉じこもっていればよいのです。ということで残った年休を残らずぶっ込み、天岩戸作戦に出ながらまたアニメなど見ておりました。で、今回見て考えたアニメはこの2つ(1つは途中で挫折しましたが)

 

共通点は一目瞭然、どちらも「お仕事アニメ」だということ。両方とも営業職の会社員を主人公としたラブコメです。これらを見て(「氷属性男子とクールな同僚女子」の方は、私にとってはあまりにも甘々すぎて途中で止まってます)あくまでも個人的な好みとしては、「先輩がウザい後輩の話」の方が気楽な感じで見られました。(くどいようですが、好みの話です。善し悪しではありません。アニメガチ勢はちょっとしたことで炎上するからおっかない

で、今回見て考えたのは、ツィッターの教師垢でたまに話題になったり炎上したりする「教師はずっと学校でしか生活していないから社会のことを知らなすぎ」的な話題についてです。まぁある面において「そうかもなぁ」とは思います。

1例として「電話応対等の言葉遣い」を挙げてみます。上記の2つのアニメも、あるいは他にもたくさんある「お仕事アニメ」についても、確かに電話応対や相手との会話において、敬語の使い方に違和感を感じることはなかったと思います。おそらくそのあたりについて、ビジネス用語指導みたいな人がいて、セリフをチェックしてるのだと思いますし、とても参考になります。敬語の授業で生徒にみせてやりたいくらいでした。

ただ、それに対して例えば職員室での電話の受け答えについて「それはちょっと……」と思うことは結構あります。かなりの頻度で見かける例を挙げますと

①保護者「ポンコツ先生はいらっしゃいますか?」応答「ポンコツ先生はいらっしゃいません」→はい、まず「先生」はつけませんね。それと「いらっしゃる」は尊敬語なので、外部の人に対して、身内に尊敬語は使いませんよね。

②保護者「ポンコツ先生はおられますか?」応答「ポンコツはおられます」→これは保護者が相手に対して謙譲語の「おる」を使う段階で違いますし、応答も「おります」なら良いけど「おられます」は謙譲語なのか尊敬語なのか、わけがわかりません。たまぁに「おらっしゃます」とか、さらにわけのわからない言葉を使う先生もいたりして。

おそらく、このあたりのことは確かに、会社とかだったら新入社員の段階で研修を受けてたたき込まれることでしょうが、教師という人種人々は、そんな研修は何一つ受けず、極端な話採用されて初日から訳も分からない会議に放りこまれ、ヒドイ時には4日目から始業式でいきなり担任業務、あるいは5日目に入学式で新入生の担任、なんてこともあるわけです。(今年がその例で、4月1日が土曜日なので実質は4月3日から仕事始め、6日に始業式、7日に入学式という、超多忙スケジュールです。)言い訳に聞こえるかも知れませんが、教師の「研修」っていうのは、個人的見解では確かに浮世離れした内容ばっかりでクソの役にも教員として必要な内容に特化していて、電話の応対などは含まれていません。だから新卒の教員を、そのまま一般の会社に放り込んだら、確かにえらいことになることでしょう。

でもねぇ、逆もまた然り、だと思うのですよ。

どんな有名企業に採用された優秀な新入社員でも、いきなり訳の分からない子供らの中に放り込まれて、研修などほぼ受けることもなく、初対面の30数名の生徒に、朝から晩まで学習も生活も責任を持て、と言われて、できますかねぇ?

どっちの方が大変だ、とか非常識だ、とか言うのって、不毛じゃないですか?教員って、4%と言いますから本給20万として、どれだけ残業してもたった月々8千円しか出ないわけですよ。平日どんだけ熱心に部活とかやっても一切残業代出ないんですよ。

教員の給料体系は、確かに全世界的に見て非常識ですし、さまざまな業務に時間が取られて、残業が長くなっても「それは自分が好きでやってるんでしょ」と、つい先だって司法判断がでたそうですが、これも非常識です。(以前から常々世の中で一番浮世離れしてる職業は裁判官とか弁護士とかの司法界じゃないかと思ってました)だからって、そこでいたぶられている教師も「社会的常識がない」とレッテルを貼られるのはどうなんでしょう。

一般の会社は、一応一般の、常識あるはずの大人を相手にする仕事ですよね。教員は常識を身に付ける前の子供と、常識あるはず(なのになんでこうなの?という)大人の両面を相手にします。お互いにあずかり知らぬことがあるのが当たり前です。

結論 社会を知ってるとか知らないとかいう論議は、全く無意味だと思いますよ。それにしても、我々はクレームが来ても「いかに理不尽な要求であっても、相手の気持ちに寄り添って」対応せよ、という指令が出ています。(リアルにこういう内容です)これは社会を知ってるとか知らないという以前に、「異世界」のことのように考えてもらった方が近いかも知れません。・・・結局ボヤキになってしまいました。テヘペロ

追伸1 教師あるある 「先生方の机上の上にプリントをお配りしました」ブブー!

追伸2 「先輩がウザい~」の方は見ていて、なんというか「クッキングパパ」的なにおいを感じるのはなんでだろう?

砂漠に水を撒くような その①

題名は、文法の授業の後で、小テストをやった時の、毎回の感想です。まぁ(自分のスキルのなさを棚に上げて言いますけど)やってもやってもスカスカ抜けていく、覚えてもおぼえても直ぐに忘れてしまう、そんなボヤキです。

国語の教科書には、いわゆる「国語文法」のページが、それなりの分量あるし、また毎学期少しづつ教えるための時間もとっていますし、終わったら小テストもします。定期テストでもそこそこの点数を割り振っているのですが……まぁ足を引っ張ることひっぱること。

いや、分かるんですよ。生徒が文法の授業に「難しい」「わかりづらい」「つまらない」「眠たい」などの感想を持つことは。私自身が中学生の時もそうでしたし。(※何度も言いますが、面白くて分かりやすい文法の授業をなさる先生はたくさんいるわけで、私自身のスキル不足であることを自覚はしています。)

さて、うまくできていないのは自覚のうえで、それでも理解してほしいし、覚えてもらいたいし、そのためにいろいろと工夫したり比喩を考えたりしているわけですが、そんな苦労もちょいとネタとして上げてみようと思います。ほとんどの国語の先生方には噴飯ものの内容が多くなりますが、もし初任(に近い)の先生の参考になれば幸いです。それでは1年生の教科書の内容から順にボヤいていきます。

1年生の文法の学習の最初は、「言葉の単位」からです。つまり、①文章、談話→②段落→③文→④文節→⑤単語……と細分化させていくところからです。

①の「文章、談話」という大きな区分の「談話」という文言は、古い年代の私らからするとちょっと違和感がありますが、昨今の「話し合い」を重視する傾向から、そんな文言になったのかもしれません。昔は「文が複数あれば文章」と教えていた記憶があります。「作品」としていた時期もあったように記憶していますが、作品の一部であってもやはり「文章」でしょうから、ちょっとわかりづらいかもしれません。やはり一番単純なのは「文が複数あれば文章」なのかも知れませんね。

第2段階は「文章を文に分ける」ということですが、この文(や文節)に分ける区切りの目安である「句読点」が、「どっちがどっちだか分からなくなる」というのが1年生の半分くらいデフォルトなんですよ。とは言いつつも、意外と大人でも「あれ?どっちだっけ?」ってなるんですよ。(正解  。=句点   、=読点)そして読点の読みを聞くと「どくてん」と読むのもデフォです。

句点以外に、文で区切る目安として使うのは「?」とか「!」とか「……」です。さて、生徒に①「?」は「英語で」何というでしょう?という質問を出します。たぶん英語で教えていると思いますし、「クエスチョンマーク」は出てきますね。で、出てこないのが「!」の方です。「英語で」って言っているのに「ビックリマーク」と言い張るんですよ。(「エクスクラメーションマーク」は、習っているはずなのにクラスで数人しかわからないですね。(※これは英語の先生をディスっているわけではありませんので悪しからず)

次に②「ではそれぞれ日本語で何というでしょう?」という質問を出します。そうするとまぁ例外なく「びっくりマーク」「はてなマーク」と答えます。まぁ間違いというほど目くじら立てるほどではないですが、補足説明として「漢字三字で言うと?」と聞きます。「疑問符」の方は出てきますが、まず「感嘆符(かんたんふ)」は出てきません。こんなところから始めて、文を区切り、その次に「文節に区切る」という段階にすすむのですが、ここがまず難関です。

どの教科書にも「ね」を入れて区切りましょう、的なことが載っています。「ね」で区切ると子供っぽくなりますし、「さ」で区切ると馴れ馴れしくなりますし、「よ」で区切ると不良っぽい口調になります。

さてここで老害の話。昔々、今では見る影もなくなった凋落著しいフジテレビのバラエティが面白かったころ、「俺たちひょうきん族」という番組があり、その中で片岡鶴太郎がものまね芸人の立場で活躍していました。一芸として「浦部粂子」というおばあさん女優のまねをしていたのですが、その当時の生徒には、「鶴太郎がしてる浦部粂子のまねをすると区切れるよ」と教えていました。当時はかなりの高視聴率だったので、結構な割合で通じましたし、みんなで「浦部粂子のまねをする鶴太郎のまねをする生徒」というわけのわからない状態になってしまいますが、あれはあれで面白かったのですが、今を去ること四半世紀くらい昔で、今ではもう誰もわからなくなってしまったという、老害のボヤキでした。

エムカク on Twitter: "RT @m_kac:  『オレたちひょうきん族』で鶴太郎さんが披露した“おでん芸”は全部で10回ほど。最初は1984年3月17日、鶴太郎さんが浦辺粂子さんのものまねをしながら熱々おでんを食べたときのリアクションをたけしさんがおもしろがったことが始まり  ... 浦辺粂子 (うらべ くめこ )さん||大河ドラマの俳優|全3役を演じる!|家族や経歴で検索できます | JMMAポータル

こっちが鶴太郎バージョン        こっちが本物の「浦部粂子」

「あたしはねぇ、この年までねぇ、こんなめにねぇ、あったねぇ、ことはねぇ、ないんです、よぉ~」ってな感じでまねするんですよ。この「よぉ~」をみんなで合わせるのがコツです。

近頃は誰も知らないし、全く通じないので、「3歳児になってしゃべってみよう」という感じで指導しています。「んとね、僕ね、昨日ね、おかあさんとね、町にね、いったんだよ。」とかいうようにしゃべってみると、それらしくなります。

そしてその文節から、さらに単語に切る時のポイントは、「て・で・た・だ」にある、ということを、以前から生徒に強調しているのですが、例によってまあスカスカ忘れてくれるのです。その説明はまた次回ということで。今回ほとんど冗談を入れる余地がありませんでしたが、そもそもそれほど面白い冗談でもないので、これでいいのだ。

 ちょっと使い過ぎだなぁこれ。

 

アニメでわしも考えた ⑥

さぁーて、今回のサザエさんネタアニメは……これです。

 

まぁこれは一見して共通点はわかりますよね。どちらも文豪が、おそらくパラレルワールド的な感じで、超常的な力を発揮してバトルする、みたいな内容です。どちらも途中までしか見ていませんし、アルケミストの方はだいぶ昔に見たので、「小説の中の世界が消えていく現象に、文豪を召喚して立ち向かう」程度くらいにしか思い出せないのですが、何にしても「有名な文豪が出てきてバトルする」というのは同じです。(これはまぁ、モチーフは同じでテーマが違うもの、と捉えています)

さらに言えば、例えばマンガのこれとかこれ。

 

はっきり言いまして、私自身は一時期推理小説や冒険小説、その他特定の作家には耽溺していましたが、いわゆる「文豪」の作品をそれほど多く読んでいるわけではありません。というか普通の読書好きの人よりも、読んだ数は少ないと思います。それでも名前と代表作くらいは(入試対策も含め)知っている作家はそこそこいます。

何となくの感覚で言うと、「ストレイドッグス」の方が「アルケミスト」より認知度は高いようですが、どちらにしても「知っている」という子はポツポツいました。そしてそういう子らが、必ずしも国語の成績がよいわけではないのですが、それでも「知ってる」「聞いたことがある」くらいでも、大いに興味付けや関心のネタにはなっていました。いろいろなアニメを見ていると、ありとあらゆるものでバトル物が作られていますが、これらは文豪の作品の題名から、自由な発想でとてつもない破壊力の必殺技を考え出すとか、まったく若い人の発想には驚かされます。

とはいえ、国語教師としてはそれぞれの作品の内容などを、面白おかしく紹介して、子供らに「読んでみたい」と思わせるのが本筋ですが、残念ながらアニメを見ての印象づけよりも、生徒が覚えてくれるような紹介ができていないのが現実です。

でもやはり、中島敦の「山月記」なんて、このアニメを知らずに手に取る可能性は本当に低いと思います。(そもそも短編ですしね)だとしたら、ここはアニメ様々と感謝するべきでしょうね。

本当なら、学校図書館に「坊ちゃんの時代」シリーズ全5巻も、「私説昭和文学」もぜひ置いて欲しいし、読んでもらいたいです。ネタバラシで恐縮ですが、以前紹介した石川啄木に関する授業での雑談は、「坊ちゃんの時代」の、啄木の巻からほとんど情報を得ました。どちらの漫画も、遊郭のことや男女のドロドロした愛憎劇などが描かれていて、中学校の図書館では昨今のしゃらくせぇコンプライアンス的にちょっとマズイのかもしれませんが、今どきの子供ならばネットを使って、見ようと思えばいくらでもヤバい画像など簡単に見られるわけで、これくらい全然大人しいものですよね。(そういえばアニメにも結構卑猥なものはありました。これとかこれとか↓)

 

結論  ということで、国語教師としては本筋ではないという前提の上で、ぜひ漫画「ぼっちゃんの時代」シリーズと、「私説昭和文学」は学校図書館に入れていただきたいと思います。「ぼっちゃん~」の啄木の巻と、「私説~」の太宰治の章は、作家像の理解に凡百の解説書よりも、雰囲気を掴むのに物凄く役立つと思います。(ある意味敗北感を味わいますが)なんと言っても、谷口ジロー村上もとかも、無茶苦茶絵が上手いんですよね。(谷口ジローはお亡くなりになりましたね。合掌。二度と「孤独のグルメ」が読めないのが寂しい。もし別の人が描くなら、と思っていた土田しげるはそれよりも前になくなってたし)

追伸 「私説~」の方の梶井基次郎の章は、もう読んでると全編切なくてせつなくて。何かというと、私自身もかなりのゴリラ顔で、結構顔コンプレックスがあったので、少しわかるんですよ。梶井基次郎はリアルに、昔ヤングマガジンで連載していた「ゴリラーマン」にそっくりでしたからね。(つまりは私も似ているということですが)画像を載せてみますが、どうお思いですか?(結構失礼なこと書いてしまった気がしますが)