ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室と老害アウトドア

中学校の国語や趣味に関する話題を中心に書いてます。

アニメでわしも考えた ⑦

さて中学校の修了式も終わりまして、無事定年を迎えましたこのポンコツ先生。あとは退職金さえもらっちまえばこっちのもの。春休み何事もなくすぎて、4月1日を迎えることができれば、そのあとはもう・・・うひひひ。アニメに例えるならば、3月31日までは

 で、4月1日からは

井口裕香、鹿乃 『ソード・オラトリア ダンまち外伝』OP&ED同時リリース! | | moraトピックス みたいなもの。

やっと36年間の教師生活=「本編」が終わり、ここから先(再任用)は、いわば「外伝」のようなもの、と考えております。給料も7掛けになることだし。(「ポンコツ先生」あらため「7掛け先生」にしようかと愚考しております)

さて皆様、ギャンブルで絶対に損をしない方法をご存知ですか?はい、そうです。賭けないことです。では、4月1日までトラブルを起こさず、退職金を絶対に没収されない方法は?はいそうです。学校に行かず外出もせず、家に閉じこもっていればよいのです。ということで残った年休を残らずぶっ込み、天岩戸作戦に出ながらまたアニメなど見ておりました。で、今回見て考えたアニメはこの2つ(1つは途中で挫折しましたが)

 

共通点は一目瞭然、どちらも「お仕事アニメ」だということ。両方とも営業職の会社員を主人公としたラブコメです。これらを見て(「氷属性男子とクールな同僚女子」の方は、私にとってはあまりにも甘々すぎて途中で止まってます)あくまでも個人的な好みとしては、「先輩がウザい後輩の話」の方が気楽な感じで見られました。(くどいようですが、好みの話です。善し悪しではありません。アニメガチ勢はちょっとしたことで炎上するからおっかない

で、今回見て考えたのは、ツィッターの教師垢でたまに話題になったり炎上したりする「教師はずっと学校でしか生活していないから社会のことを知らなすぎ」的な話題についてです。まぁある面において「そうかもなぁ」とは思います。

1例として「電話応対等の言葉遣い」を挙げてみます。上記の2つのアニメも、あるいは他にもたくさんある「お仕事アニメ」についても、確かに電話応対や相手との会話において、敬語の使い方に違和感を感じることはなかったと思います。おそらくそのあたりについて、ビジネス用語指導みたいな人がいて、セリフをチェックしてるのだと思いますし、とても参考になります。敬語の授業で生徒にみせてやりたいくらいでした。

ただ、それに対して例えば職員室での電話の受け答えについて「それはちょっと……」と思うことは結構あります。かなりの頻度で見かける例を挙げますと

①保護者「ポンコツ先生はいらっしゃいますか?」応答「ポンコツ先生はいらっしゃいません」→はい、まず「先生」はつけませんね。それと「いらっしゃる」は尊敬語なので、外部の人に対して、身内に尊敬語は使いませんよね。

②保護者「ポンコツ先生はおられますか?」応答「ポンコツはおられます」→これは保護者が相手に対して謙譲語の「おる」を使う段階で違いますし、応答も「おります」なら良いけど「おられます」は謙譲語なのか尊敬語なのか、わけがわかりません。たまぁに「おらっしゃます」とか、さらにわけのわからない言葉を使う先生もいたりして。

おそらく、このあたりのことは確かに、会社とかだったら新入社員の段階で研修を受けてたたき込まれることでしょうが、教師という人種人々は、そんな研修は何一つ受けず、極端な話採用されて初日から訳も分からない会議に放りこまれ、ヒドイ時には4日目から始業式でいきなり担任業務、あるいは5日目に入学式で新入生の担任、なんてこともあるわけです。(今年がその例で、4月1日が土曜日なので実質は4月3日から仕事始め、6日に始業式、7日に入学式という、超多忙スケジュールです。)言い訳に聞こえるかも知れませんが、教師の「研修」っていうのは、個人的見解では確かに浮世離れした内容ばっかりでクソの役にも教員として必要な内容に特化していて、電話の応対などは含まれていません。だから新卒の教員を、そのまま一般の会社に放り込んだら、確かにえらいことになることでしょう。

でもねぇ、逆もまた然り、だと思うのですよ。

どんな有名企業に採用された優秀な新入社員でも、いきなり訳の分からない子供らの中に放り込まれて、研修などほぼ受けることもなく、初対面の30数名の生徒に、朝から晩まで学習も生活も責任を持て、と言われて、できますかねぇ?

どっちの方が大変だ、とか非常識だ、とか言うのって、不毛じゃないですか?教員って、4%と言いますから本給20万として、どれだけ残業してもたった月々8千円しか出ないわけですよ。平日どんだけ熱心に部活とかやっても一切残業代出ないんですよ。

教員の給料体系は、確かに全世界的に見て非常識ですし、さまざまな業務に時間が取られて、残業が長くなっても「それは自分が好きでやってるんでしょ」と、つい先だって司法判断がでたそうですが、これも非常識です。(以前から常々世の中で一番浮世離れしてる職業は裁判官とか弁護士とかの司法界じゃないかと思ってました)だからって、そこでいたぶられている教師も「社会的常識がない」とレッテルを貼られるのはどうなんでしょう。

一般の会社は、一応一般の、常識あるはずの大人を相手にする仕事ですよね。教員は常識を身に付ける前の子供と、常識あるはず(なのになんでこうなの?という)大人の両面を相手にします。お互いにあずかり知らぬことがあるのが当たり前です。

結論 社会を知ってるとか知らないとかいう論議は、全く無意味だと思いますよ。それにしても、我々はクレームが来ても「いかに理不尽な要求であっても、相手の気持ちに寄り添って」対応せよ、という指令が出ています。(リアルにこういう内容です)これは社会を知ってるとか知らないという以前に、「異世界」のことのように考えてもらった方が近いかも知れません。・・・結局ボヤキになってしまいました。テヘペロ

追伸1 教師あるある 「先生方の机上の上にプリントをお配りしました」ブブー!

追伸2 「先輩がウザい~」の方は見ていて、なんというか「クッキングパパ」的なにおいを感じるのはなんでだろう?

砂漠に水を撒くような その①

題名は、文法の授業の後で、小テストをやった時の、毎回の感想です。まぁ(自分のスキルのなさを棚に上げて言いますけど)やってもやってもスカスカ抜けていく、覚えてもおぼえても直ぐに忘れてしまう、そんなボヤキです。

国語の教科書には、いわゆる「国語文法」のページが、それなりの分量あるし、また毎学期少しづつ教えるための時間もとっていますし、終わったら小テストもします。定期テストでもそこそこの点数を割り振っているのですが……まぁ足を引っ張ることひっぱること。

いや、分かるんですよ。生徒が文法の授業に「難しい」「わかりづらい」「つまらない」「眠たい」などの感想を持つことは。私自身が中学生の時もそうでしたし。(※何度も言いますが、面白くて分かりやすい文法の授業をなさる先生はたくさんいるわけで、私自身のスキル不足であることを自覚はしています。)

さて、うまくできていないのは自覚のうえで、それでも理解してほしいし、覚えてもらいたいし、そのためにいろいろと工夫したり比喩を考えたりしているわけですが、そんな苦労もちょいとネタとして上げてみようと思います。ほとんどの国語の先生方には噴飯ものの内容が多くなりますが、もし初任(に近い)の先生の参考になれば幸いです。それでは1年生の教科書の内容から順にボヤいていきます。

1年生の文法の学習の最初は、「言葉の単位」からです。つまり、①文章、談話→②段落→③文→④文節→⑤単語……と細分化させていくところからです。

①の「文章、談話」という大きな区分の「談話」という文言は、古い年代の私らからするとちょっと違和感がありますが、昨今の「話し合い」を重視する傾向から、そんな文言になったのかもしれません。昔は「文が複数あれば文章」と教えていた記憶があります。「作品」としていた時期もあったように記憶していますが、作品の一部であってもやはり「文章」でしょうから、ちょっとわかりづらいかもしれません。やはり一番単純なのは「文が複数あれば文章」なのかも知れませんね。

第2段階は「文章を文に分ける」ということですが、この文(や文節)に分ける区切りの目安である「句読点」が、「どっちがどっちだか分からなくなる」というのが1年生の半分くらいデフォルトなんですよ。とは言いつつも、意外と大人でも「あれ?どっちだっけ?」ってなるんですよ。(正解  。=句点   、=読点)そして読点の読みを聞くと「どくてん」と読むのもデフォです。

句点以外に、文で区切る目安として使うのは「?」とか「!」とか「……」です。さて、生徒に①「?」は「英語で」何というでしょう?という質問を出します。たぶん英語で教えていると思いますし、「クエスチョンマーク」は出てきますね。で、出てこないのが「!」の方です。「英語で」って言っているのに「ビックリマーク」と言い張るんですよ。(「エクスクラメーションマーク」は、習っているはずなのにクラスで数人しかわからないですね。(※これは英語の先生をディスっているわけではありませんので悪しからず)

次に②「ではそれぞれ日本語で何というでしょう?」という質問を出します。そうするとまぁ例外なく「びっくりマーク」「はてなマーク」と答えます。まぁ間違いというほど目くじら立てるほどではないですが、補足説明として「漢字三字で言うと?」と聞きます。「疑問符」の方は出てきますが、まず「感嘆符(かんたんふ)」は出てきません。こんなところから始めて、文を区切り、その次に「文節に区切る」という段階にすすむのですが、ここがまず難関です。

どの教科書にも「ね」を入れて区切りましょう、的なことが載っています。「ね」で区切ると子供っぽくなりますし、「さ」で区切ると馴れ馴れしくなりますし、「よ」で区切ると不良っぽい口調になります。

さてここで老害の話。昔々、今では見る影もなくなった凋落著しいフジテレビのバラエティが面白かったころ、「俺たちひょうきん族」という番組があり、その中で片岡鶴太郎がものまね芸人の立場で活躍していました。一芸として「浦部粂子」というおばあさん女優のまねをしていたのですが、その当時の生徒には、「鶴太郎がしてる浦部粂子のまねをすると区切れるよ」と教えていました。当時はかなりの高視聴率だったので、結構な割合で通じましたし、みんなで「浦部粂子のまねをする鶴太郎のまねをする生徒」というわけのわからない状態になってしまいますが、あれはあれで面白かったのですが、今を去ること四半世紀くらい昔で、今ではもう誰もわからなくなってしまったという、老害のボヤキでした。

エムカク on Twitter: "RT @m_kac:  『オレたちひょうきん族』で鶴太郎さんが披露した“おでん芸”は全部で10回ほど。最初は1984年3月17日、鶴太郎さんが浦辺粂子さんのものまねをしながら熱々おでんを食べたときのリアクションをたけしさんがおもしろがったことが始まり  ... 浦辺粂子 (うらべ くめこ )さん||大河ドラマの俳優|全3役を演じる!|家族や経歴で検索できます | JMMAポータル

こっちが鶴太郎バージョン        こっちが本物の「浦部粂子」

「あたしはねぇ、この年までねぇ、こんなめにねぇ、あったねぇ、ことはねぇ、ないんです、よぉ~」ってな感じでまねするんですよ。この「よぉ~」をみんなで合わせるのがコツです。

近頃は誰も知らないし、全く通じないので、「3歳児になってしゃべってみよう」という感じで指導しています。「んとね、僕ね、昨日ね、おかあさんとね、町にね、いったんだよ。」とかいうようにしゃべってみると、それらしくなります。

そしてその文節から、さらに単語に切る時のポイントは、「て・で・た・だ」にある、ということを、以前から生徒に強調しているのですが、例によってまあスカスカ忘れてくれるのです。その説明はまた次回ということで。今回ほとんど冗談を入れる余地がありませんでしたが、そもそもそれほど面白い冗談でもないので、これでいいのだ。

 ちょっと使い過ぎだなぁこれ。

 

アニメでわしも考えた ⑥

さぁーて、今回のサザエさんネタアニメは……これです。

 

まぁこれは一見して共通点はわかりますよね。どちらも文豪が、おそらくパラレルワールド的な感じで、超常的な力を発揮してバトルする、みたいな内容です。どちらも途中までしか見ていませんし、アルケミストの方はだいぶ昔に見たので、「小説の中の世界が消えていく現象に、文豪を召喚して立ち向かう」程度くらいにしか思い出せないのですが、何にしても「有名な文豪が出てきてバトルする」というのは同じです。(これはまぁ、モチーフは同じでテーマが違うもの、と捉えています)

さらに言えば、例えばマンガのこれとかこれ。

 

はっきり言いまして、私自身は一時期推理小説や冒険小説、その他特定の作家には耽溺していましたが、いわゆる「文豪」の作品をそれほど多く読んでいるわけではありません。というか普通の読書好きの人よりも、読んだ数は少ないと思います。それでも名前と代表作くらいは(入試対策も含め)知っている作家はそこそこいます。

何となくの感覚で言うと、「ストレイドッグス」の方が「アルケミスト」より認知度は高いようですが、どちらにしても「知っている」という子はポツポツいました。そしてそういう子らが、必ずしも国語の成績がよいわけではないのですが、それでも「知ってる」「聞いたことがある」くらいでも、大いに興味付けや関心のネタにはなっていました。いろいろなアニメを見ていると、ありとあらゆるものでバトル物が作られていますが、これらは文豪の作品の題名から、自由な発想でとてつもない破壊力の必殺技を考え出すとか、まったく若い人の発想には驚かされます。

とはいえ、国語教師としてはそれぞれの作品の内容などを、面白おかしく紹介して、子供らに「読んでみたい」と思わせるのが本筋ですが、残念ながらアニメを見ての印象づけよりも、生徒が覚えてくれるような紹介ができていないのが現実です。

でもやはり、中島敦の「山月記」なんて、このアニメを知らずに手に取る可能性は本当に低いと思います。(そもそも短編ですしね)だとしたら、ここはアニメ様々と感謝するべきでしょうね。

本当なら、学校図書館に「坊ちゃんの時代」シリーズ全5巻も、「私説昭和文学」もぜひ置いて欲しいし、読んでもらいたいです。ネタバラシで恐縮ですが、以前紹介した石川啄木に関する授業での雑談は、「坊ちゃんの時代」の、啄木の巻からほとんど情報を得ました。どちらの漫画も、遊郭のことや男女のドロドロした愛憎劇などが描かれていて、中学校の図書館では昨今のしゃらくせぇコンプライアンス的にちょっとマズイのかもしれませんが、今どきの子供ならばネットを使って、見ようと思えばいくらでもヤバい画像など簡単に見られるわけで、これくらい全然大人しいものですよね。(そういえばアニメにも結構卑猥なものはありました。これとかこれとか↓)

 

結論  ということで、国語教師としては本筋ではないという前提の上で、ぜひ漫画「ぼっちゃんの時代」シリーズと、「私説昭和文学」は学校図書館に入れていただきたいと思います。「ぼっちゃん~」の啄木の巻と、「私説~」の太宰治の章は、作家像の理解に凡百の解説書よりも、雰囲気を掴むのに物凄く役立つと思います。(ある意味敗北感を味わいますが)なんと言っても、谷口ジロー村上もとかも、無茶苦茶絵が上手いんですよね。(谷口ジローはお亡くなりになりましたね。合掌。二度と「孤独のグルメ」が読めないのが寂しい。もし別の人が描くなら、と思っていた土田しげるはそれよりも前になくなってたし)

追伸 「私説~」の方の梶井基次郎の章は、もう読んでると全編切なくてせつなくて。何かというと、私自身もかなりのゴリラ顔で、結構顔コンプレックスがあったので、少しわかるんですよ。梶井基次郎はリアルに、昔ヤングマガジンで連載していた「ゴリラーマン」にそっくりでしたからね。(つまりは私も似ているということですが)画像を載せてみますが、どうお思いですか?(結構失礼なこと書いてしまった気がしますが)

 

 

アニメでわしも考えた⑤

実は題名は椎名誠の「インドでわしも考えた」のパクリインスパイヤなんですが、「インドでわしも考えた」も、大昔の藤原某の「インドで考えたこと」のパクリオマージュらしいので、これでいいのだ。(そぉかぁ?)

さて、今回のネタアニメはこの2つ

 

どうでしょう。この2つのアニメの共通点、というか問題点についてお判りでしょうか?(教師の立場から見て、大きく2つあるのですが。(もちろん、暇に任せて、というかアマプラに払ってるお金がもったいなくてアニメばかり見てるような、ましてや還暦を迎えた「大きなお友達」が世の中にたくさんいるとも思われないので、お判りにならない方が健全かも?)

では、共通の問題点?その1です。「どちらの主人公も、今最も教育現場を悩ませている若者であること」です。おわかりでしょうか

「よふかしのうた」の主人公は不登校の中学生です。コミュ障というほどではなく、確かにきっかけとなりうる女子とのトラブル?はあったにせよ、成績もよくて友達もいるし、幼馴染でなにかと心配してくれる女の子の友達もいる。軽々には言えませんが、「なんで不登校なの?」って感じなんですよ。

昨今の印象として、不登校生徒のうち、かなり多くの子の「理由がはっきりしない」んですよ。何を解決すれば来られるのか、どうなれば教室に入れるのか、これが本当にわからない。本人に聞いても本人もわからない。もちろん「嫌だから嫌だ」とか「何となく無理」とかいうのも、理由だといえば言えるんですよ。私だって毎月曜日そうですし。そしてこの主人公は「吸血鬼になる」ということに将来の希望を見出します。厨二病丸出しですがまぁそこはマンガでありアニメでありますから。

さて、もうひとつのアニメ「お兄ちゃんはおしまい」の主人公は、、年齢はハッキリしませんが恐らく二十歳位でしょうか。ゲーム、アニメ、フィギュアと絵に描いたようなヲタクのヒキニートなのです。不登校とひきこもりでは様子がちょっと違いますが、

つまり、「社会や同年代と没交渉」の若者が主人公である、というのが、この2つのアニメの共通点であり、今現在教育現場で、最も頭を悩ませている事象です。(とはいえ、元引きこもりやニートが転生して……というパターンのアニメは他にも沢山あって、中でも「無職転生」というのが無茶苦茶評判が高いので、見てみたいと思っているのですが、残念ながらアマプラのサブスクでは第一話しか見られないのですよ)

もちろん、不登校やひきこもりの若者が主人公になっていることを否定するわけではありません。むしろそういう若者が、何らかのきっかけで生きる希望を見つけたり、今までとは違う自分に出会えたり、成長したり克服したりする物語に感化されて、そこから一歩踏み出してくれるのであれば、漫画だろうがアニメだろうが、有難いし素晴らしいと思っています。

ただ、そういうふうに、前向きに考えてくれる若者が、どれくらいいるだろうか、むしろこういうアニメを見て、不登校なりひきこもりなりの裏付けを見つけて、それに甘んじてしまわないか、そんなことを心配してしまうのですよ。そういうことを気にしながらアニメを見てしまうのも、つくづく厄介な職業ですわ、教員って。

共通の問題点?その2です。この2つのアニメを見ていて、特に「おにまい」(だから略語使うようになったらヤバいって)の方に強く感じるのですが、「保護者は何やってんだだよ?」ということです。「よふかし」の方は、団地住まいの主人公が、こっそり音を立てないように夜密かに出ていくシーンがあるので、とりあえず誰かはいるのでしょうが、深夜徘徊だろうが朝帰りだろうが、説教やら指導やらされているシーンは一切ありません。それどころか、保護者の姿はとりあえずシーズン1には一度も出てこなかったと思います。(見逃していなければ、ですが)これはもちろん、ストーリー展開上の設定でしょうから、目くじらを立てるのもおかしいのですが、やはり我々の立場からいえば「いやおかしいだろう」と言わざるをえません。

「おにまい」の方はもっと顕著で、天才科学者で中学生なのに大学に飛び級しているという設定の妹が、引きこもりダメニートの兄に、人体実験である薬を飲ませたら、ダメニートキモオタ兄が、中学生くらいの可愛らしい少女に変身してしまった、というお話です。

この妹がチートで、食事から家計管理から食事作り、はては元ダメニートの兄の面倒まで全て完璧にこなす、という設定なのですが、どう考えても違和感がある。一軒家に住んでいるのに、「よふかし」以上に、保護者の姿はおろか、いるのかいないのかすらわからないほど、全く感じられないのです。もちろんこれも、演出上の工夫なのでしょうが、特にこの「おにまい」の方は、変身前のダメニート兄の時の生活が、もう優雅で優雅で、ゲーム機、エロ本、大量のDVD、棚いっぱいのフィギュアその他、物凄く裕福な家庭の、甘々な保護者としか思えないのですよ。保護者がいるのだとしたら、「(弾幕薄いぞ)なにやってんの!」と言いたくなりますわな。

「おにまい」の方は、まだシーズン途中ですが、ダメだった兄が少しづつ社会性や人への思いやりやらを身につけています。最終的に男に戻るのかどうかはちょっとわかりません。

ただし、徐々に「百合要素」が強くなってきて、少々見るのが辛いのですが、それを抜きにしても、「親はどうした?」というのと、「しょせん中の人は元ヒキニートなんだよな」というところに、ひっかかりを感じてしまうのが老害なんでしょうな。

結論 中学生や就職前の若者が主人公だと、どうしても教師やら老人やらは文句をつけたくなってしまうものなのですね。これを称して老害というのでしょうな。

補足 「おにまい」の早い段階で、中学生に変身したヒキニート兄が「初潮」を迎えて腹痛に苦しみ出血に驚く回があります。その辛さを身をもって知ることで、妹に対して思いやる心を見せるのですが、あの回だけは男子生徒に見せてやってもいいんじゃないかと感じました。言わば令和の「メルモちゃん」になれたかもしれないなと。ところが昨今の「ツイフェミ」だの「ポリコレ」だの「LGBTQ」としゃらくせえいう流れから見ると、あれも下手したら文句言われるんでしょうかね。ホントかどうか知りませんが、噂によると高橋留美子の傑作「らんま1/2」も、これにひっかかって再放送されないとか。ほんとだとしたら、うーん、嫌な渡世だなあ。しみじみ。

 

 

アニメでわしも考えた ④

誰得シリーズ(アニメを見て考えたこと)その4です。今回のネタにしたいアマプラ無料アニメはこの2本です。

 イジらないで、長瀞さん|ニコニコのアニメサイト:Nアニメ

さて、この2本のアニメを見て、還暦老害ことポンコツ先生が、いったい何を考えたかおわかりでしょうか。というかこの2本の共通点にお気づきでしょうか?

はい、そうです。この2本の共通点とは「ヒロインが無茶苦茶ギャルギャル(死語?)していること」です。もちろん、2人とも高校生なので、老害中学教師である私としては、まったく同じように扱うことはできないと思いますが、前提としてもしこの2人のヒロインが、今在籍している中学校に来ていたとしたら、「間違いなく担任、あるいは生徒指導部から毎日やいのやいの言われているだろう」ということです。共通してスカートが短い、シャツがだらしない、カラコンデフォ、ピアス多数。片や金髪(脱色?)で口を開けばギャル言葉満載(おかげで勉強になりました)。片やガングロ、口を開けば丁寧語は使うけれどもそれがかえって神経を逆なでする慇懃無礼そのもの。まぁ間違いなく「学年有数の問題児」として扱うでしょうね。(もちろん、キャラ作りなのは承知のうえですよ。こっちも子供じゃないんで。どころかあの世が目前ですけど)

でもですね。アニメを見て思ったんですけど、「喜多川さん」も「長瀞さん」も、「すごく可愛くて良い子」なんですよね、見た目だけじゃなく。(※これは私がロリコンとか少女趣味とかそういうことではありません。個人的には二十代後半から三十代前半ぐらいがストライ・・・・・・失礼しました。)

話を戻しまして、「喜多川さん」も、「長瀞さん」も、ぱっと見非常に軽薄な「尻軽女」(←これ多分死語、というか放送禁止用語になりますね。生きづらい渡世だなぁ)なんだけど、見かけとは違い、非常に純情で純粋なところがあり、そのギャップがまた魅力的に映るのです。ただし、こちらも長年「生徒指導部」とかに所属してきた経験から、「やっぱり外見の乱れている生徒は生活も乱れている」ことの方が「圧倒的に」多い。というかほぼキレイな比例直線を描くと思われます。

小学校には金髪の児童がたくさんいたりします。そういう子が、小学校の時にどのような様子であったかははっきりとはわかりません。でも、中学校入学の時には、黒く直しておいで、と指導します。金髪の小学生が、その指導に反発することは最近はほぼ見ませんが、やはり「なんで?」とは思うでしょうね。でも、やっぱりそういう子が、中学校で「やらかす」割合は相当高いんですよね。これはもう「経験則」としか言いようがありません。

そして、この2人のヒロインのような、「見た目ギャルっぽくて近づきがたいけど実は純情で純粋で優しい」などという「男(とか大きいお友達)から見て都合のいいJK」なんて、おそらく日本全国探しても、まぁ現実的にはいないでしょうなあ。(もしいたらご一報ください。天然記念物指定したいです)いや、「ギャルっぽいけど優しくて良い子」ってのはそこそこいると思うんですよ。そんな感じの子なら経験上何人も思い当たりますし。でも純情で純粋で可愛いかと言われると・・・・・・うーむ、ちょっと、なぁ。そもそも教師生活を通じて、金髪茶髪の女子中学生で見た目すごく可愛い子って37年1度も見たことないし。(完全なルッキズムで問題発言なんでしょうけど、あくまでも個人の感想ですので悪しからず。)

結論 結果的にこの「喜多川さん」とか「長瀞さん」みたいに「見た目アレだけど実はとても良い子」であっても、やっぱり我々教員としては、髪だの服装だのピアスだの、毎日まいにちしつこく追いかけて指導するでしょうね。そうして「良い子」をひねくれさせたり、厄介な案件を自ら増やしていくのでしょう。教員ってそんなとこあります。「人を見かけで判断するな」とは良くいわれますが、中学校ってそうはいかない、めんどくさい狭苦しい社会だなぁ。(ただし見かけがかなり当てになるのもまた真理。人は見た目が9割とかいう本もありましたね。)そんなことを考えさせられた今回のアニメでした。しみじみ。

アニメでわしも考えた ③

どうも、最近密かに「悪役令嬢もの」にハマりつつある老害です。相変わらずプライム特典でアニメばかり見ています。通勤、帰宅に自家用車を利用していて、約25分くらいかかるので、アニメ1本流しながら帰ると、暇つぶしにちょうど良いのです。(基本音声だけ聞いている感じになってしまいますが。)で、今回考えさせられたアニメはこれ。「GATEー自衛隊、彼の地にて、斯く戦えり」です。

 作品の年代としてはもう8年ほど前のものらしく、「もうすぐ配信が終わりますよ」的な煽りに負けて一気見してしまいましたが、右傾化甚だしい私としてはかなり刺さりました。内容は「ある日突然渋谷に異世界と繋がるゲートが出現し、そこから異世界の兵士やら魔物やらが現れて現代日本人に襲いかかった。それに対し自衛隊が出動、異世界に乗り込みゲート前に基地を作り、異世界人と対峙する……」というお話です。我々の年代なら、半村良原作、角川映画の「戦国自衛隊」を思い出しますが、そこに騎士やらドラゴンやら、エルフやら魔術師やらが出てくるあたりがやはり違いますね。で。

思ったことその1 こういうのを拡大解釈すると「予言者」になるのかも知れません。いろいろ思ったことがありますが、まずその①「これに登場する『盛田首相』が、『〇田首相』にかなり似ている、ということです。(年代的には安倍首相の時代のアニメなのに、です)細めの顔、眼鏡というだけではなく、まぁお約束と言えばそれまでですが、とにかく玉虫色の判断ばかり、マスコミや野党の追及ばかり気にしていて、とにかく決断を先延ばしにする。というあたりがもうそっくり。(なんだか岸〇首相をディスっているように見えますが、その通りです。)

その(②「ほんのちょっとだけ出てくるマスコミのキャラが言う『本当に中立な立場での報道なんてありえない』というケツのまくり方が、昨今の『マスゴミ』にそっくり。特に戦争やら自衛隊やらをとにかく悪印象に作り変えて広めようとする、いわゆる『パヨク』と呼ばれる連中そのもの」なんですよ。

更に言えば③「そのマスコミが利用しようとしている女性の名が『望月紀子』といい、昨今よく取り上げられる東○新聞のあの人、と名字が同じ」何てのも、十分「陰謀論」として通用しそうですよね。

思ったことその2 見ている我々は、単純に「そんな奴らやっつけてしまえばいいのに」と思うのですが、とにかく規則やら命令やらでがんじがらめになり、切歯扼腕する自衛官の姿が何度も出てくるのですが、このあたり本当の自衛隊の人たちのストレスはこんなもんじゃないんでしょうね。作中、「人質交換に金銭も要求しないなんてありえない」と異世界陣が言いますし、何度も「人道的に」という言葉も出てきます。そのあたり、日本が誇るべき所でもあり、甘っちょろい所でもあるなぁ、と。国会の証人喚問をする野党の女性代議士(あれは○舫あたりがモデルでしょうかね?白い服着てましたし。蓮○よりは美人に描かれてましたが)が、実に馬鹿馬鹿しい揚げ足ばかり取ろうとする質問をしてくるのもそっくりです。それに対して、異世界のキャラが、安全なお花畑の中にいて、全く建設的でないことばかり質問してくる女性議員に、実効的な、そして正論で切り返しでやっつけるシーンなんかは、溜飲が下がりました。本当の国会でも、もっとやってほしいですね。小野田議員なんかは結構「行け行けぇ!」って感じですけど。

思ったことその3 「チート」とか「無双」とか「無敵」ってのは、なんやかや言ってスカッとするんだなぁということです。剣と魔法の世界なので、やはり小銃だの機銃だの、装甲車やら戦車やら戦闘ヘリやら戦闘機やらが絶対的に強い(なぜ戦闘機がF-15じゃなくファントムだったのかが気になりますけど)んですよ。そして、ものすごくいろんなことに気をつかい、理不尽なまでに肩身の狭い思いをして、それでも「一般人を守ろう」とする姿は、おそらく本当の姿に近いと思います。訓練でとばした薬莢一つひとつ拾うという、言い方が悪いですけど少ない予算でみみっちい訓練を、毎日やってるだろうという自衛官が、思う存分実弾を撃ちまくるシーンは、フィクションであっても、アニメであっても、やはりカタルシスです。戦争物、ガンアクション物の映画などは、危険な思考に陥る可能性を意識しつつ、やっぱりカッコイイんですよね。

思ったことその4 途中で出てきた青いキャラクターや、前述の悪役枠のマスコミの男、それから2人の皇太子のその後など、いかにも「続編」への伏線が張りっぱなしで終わってるのが気になるのですよね。予算とか採算とか、いろいろな理由があるのでしょうが、何だか残念です。きっといろいろな「推し」のアニメの続編を待っているファンが、世の中にたくさんいるけど、続編が出なくてヤキモキしてるんでしょうなぁ。しみじみ。

結論 結局みんな「べタベタの勧善懲悪」が好きなんだと。つまり(全てではありませんが)アニメって、若者の「水戸黄門」であり、「遠山の金さん」なんだと。

結構見はじめると、いろいろなことに気づけて面白いものです。ネタにも困っていたので、誰得ですがシリーズ化しようかと思います。それではまた。

アニメでわしも考えた ②

前回に続き(というか毎回そうなんですが)アマゾンプライムでいろいろなアニメを見て思ったことという「誰得」な話題をば。

 

その2「ぐらんぶる」を見て思ったこと。

マンガでは途中まで読んでいたのですが、アニメは初めて見ました。で、1シーズン全部見ながら一番気になった、というか気に障ったのが、毎回のオープニングで入る「注意事項」なんですよね。ちょっと長いですが引用します。いわく「この番組はフィクションです。未成年の飲酒は法律で固く禁じられています。またアルコールの強要、暴飲、宴席での破廉恥な行為等についてもそれらを推奨する意図はありません。あくまでギャグアニメとしてご覧ください。なお本作の登場人物はすべて20歳以上の成人です。」とあります。

まず、主人公が大学入学したての男子なんですが、「すべて20歳以上です」はさすがに無理筋だと思います。でも、そうでもしないと昨今の「コンプライアンス」だの「ポリコレ」だので、面倒なことになるんでしょうね。決して未成年の飲酒を容認するつもりはありませんが、そんなに神経使わなきゃダメなんでしょうかね。(まぁたしかに、キャッチの画像だけ見たら、「爽やかな青春海洋物」に見えちゃいますから、そのつもりで見るとひどいギャップに戸惑うかも)

ただ、自分の高校やら大学時代の、若かりし頃を思い出したのですが・・・わたしらのころも結構ひどかったなぁ、と。※以下懺悔や暴露が続きますが、決して「こう見えて俺、昔は悪かったんだぜ」的な武勇伝やら昔語りをしたいわけでは全くありません。悪いことするほどの度胸はない小市民でしたから。ある老人の愚にもつかぬ思い出話だとお思いください。(そもそも40年近く前の話なので、完全に時効ですし。)

わたしは下戸まではいきませんが、かなり酒が弱いです。覚えているのは、小学生5、6年の大みそかに、家族で温泉に行き、その旅館の大広間に、鏡割りのこも樽が置いてあったのを、調子に乗って何杯も飲んでしまったのです。小学生のくせに二日酔いになり、痛む頭を抱えて、元旦を迎えてしまったのが原体験です。それから何となくトラウマ、とまではいきませんが、お酒に対する苦手意識が強くなりました。(まぁここまではガキのオイタ、ですみま…すよね?)

で、ここからはオイタですまない内容になります。次のお酒との出会いは高校1年生の時。現在の高校の様子はわかりませんが、当時通っていた高校の学校祭では、模擬店と称してある程度の収入を得られました。そして学級で「打ち上げ」だあ~!と繰り出したのが、たぶん今は無きすすきのは「羊々亭」でした。言い出しっぺが誰だったのかはっきりしませんが、当時ジンギスカン食べ放題ビール飲み放題で1500円くらいだったような覚えがあります。初めて意識してビールを飲んで、苦いだけでさっぱりうまみがわかりませんでしたし、数名やはりトイレで戻したりしていましたね。(ビールの旨みはいまだにあまりよくわかりませんが)

それが2年生になってから、1人1000円ずつ集めて、体の大きいヤツやら顔の老けたヤツやらが買い出しに出て、ある町内会館を借りて秘密の集会を企画運営(って書くと立派に聞こえますが)し、7時くらいから飲み会を開催したのです。これが夜の11時くらいまで続くわけですし、いろいろな学級が入れ替わり立ち替わり利用して、それがクラスが変わっても3年まで続いていたのです。(伝え聞いたところによると、聞きつけた下級生も代々利用していたらしいです。)

 やっぱり飲んだことのない高校生(や飲み慣れない?高校生)たちが、適量もわからず恐ろしさも知らず、ビールやらウィスキーやら焼酎やら、サイダーやジュースで割ったりしてグビグビ飲んでいたわけで・・・はい。運ばれました、救急車で。憶えているだけで2人。私自身はビビりだったし、小学校のトラウマ?もあったし、ビールやウィスキーの旨さもわからなかったので、怪我の功名で何もなかったのですが、さすがに救急車が来たときは、全員停学?を覚悟しました。(しかし、今でも不思議なのですが、さすがに救急車となると保護者に連絡が行っているはずなのですが、学校からの呼び出しとかがなかったんですよ。多分保護者の方も、学校に報告したらドえらいことになると思って、黙っててくれたんでしょうね。確かに当時45人学級のうち半数以上が該当者でしたから。)

で、大学の新歓コンパですよ。当時の国語科では、新歓コンパは、今でもあるのかどうかわかりませんが、慣例として中島会館という場所で行われていました。(※この「過去形」なのには実は意味がありまして・・・)私らの時代の飲み会というと、サッポロのジャイアントという、2リットルくらい入る超大瓶と(もう無いんでしょうねあれ)紙パック入り1リットル1000円の日本酒、サントリーレッドやらトリスのデカい瓶など、まあ悪酔いしたらえらいことになるけどとにかく安くて酔えりゃそれでいい、というものを、やっぱり飲んだことの無い連中が飲んだ(飲まされた?)ものだから、地獄絵図阿鼻叫喚。会館の入り口に並べられたスリッパの上に盛大にアレしちゃったヤツとかいたもんで、後始末が大変なことになったらしいです。まぁ先輩が片付けてくれたわけで、そういうのは代送りではあるのですけれど、次の年から代々使っていた中島会館から、「国語科お断り」というお達しがでてしまったのです・・・

結論 教師としてこれを(大して読まれていないけど)公?の場で述べるのはマズいでしょうが、あくまで私見として、「高校生くらいのうちから、少しずつ保護者と一緒にお酒を飲む訓練をし、自分の適量やら限界やら、体調変化やらを知っておいたほうがよい」と思うのです。(当然異論は認めます)

ぐらんぶる」の大学生の飲み会は、当然デフォルメがされていますが、まあそれはヒドイものです。でも、私のように飲めない人や、いまいち場に乗りきれない人から見ると、ちょっとうらやましい感じがします。さすがに体育会系の乗りであっても、↓こんなになるのはどうかと思いますが、でもこういう人達は、おそらく介抱とかも慣れているのだと思います。(さすがに↓こんなことになった経験はありませんがね)

そしてもうひとつ、こういう飲み会を中心になって運営することって、結構大人になってからの、重要なスキルだったように思います。私自身あまりそういう立場になったことがなかったので、良い店なんかを全然知らずに今に至ってしまったのはちょっと残念な気持ちになります。古谷三敏の「BARレモンハート」とか、結構好きで読んでたんですけどね。酒が、大量でなくても、ちゃんと味が分かって飲める人になりたかった、というのも、実は還暦を迎えた今の後悔の一つです。(今から訓練をし始めると脂肪だらけの肝臓がイカれてしまうので控えようと思います。)以上、「ぐらんぶる」というアニメを見て、思い出した昔の話でした。まさに誰得。

ぐらんぶる」では「スピリタス」大活躍でしたな。

アニメでわしも考えた①

もろに誰得の話題です。このブログを始めたと同じ時期に、アマゾンプライムに加入しました。それまではどちらかというと、ネット通販では楽天を使うことの方が多かったのですが、正直キャンプ用品とかはアマゾンの方が充実しているので加入したのですが、あまり他のサービスを使っていなかったので、勿体ないと思ってビデオなどを見てみようと思いまして、夕食後の時間を使って映画などを幾つか見てみたのですが・・・寝てしまうんですよね。

そこで短めの作品なら見られるか、と思い、久々にアニメ作品を見てみたのですよ。もう還暦にもなって、アニメ見ているとかいうとさすがに引かれるかも知れませんが、ファーストガンダムはリアル世代(高校生)だったし、たまに見ていたのですよ。それでまずは、『ククルス・ドアンの島』から見てみました。映画だから寝てしまうかも、と思っていたのですが、無茶苦茶絵がきれいで(イメージの中のファーストガンダムと比べて、なので当然ですね)面白かったんですよねこれが。ガンダムの中のたった1話分なのに、しっかり映画一本分に仕上げてあって、十分満足できましたね。※以下軽くネタバレ注意(あの、元ドアンの同僚?だった美人のMS乗りと、ラブロマンス的な発展があるかと思ったら、あっさり殺されてしまうあたりが、なんとも残酷な感じがしましたが。)

合わせて、うちの学校の校長がアニメに造詣が深く?生徒との話題にも事欠かないほどのオタクマニアなのですが、幾つか教わったものを見てみますと、まぁどれもこれも面白い。(もちろんガチ勢の人から見れば、言うのも恥ずかしいほどベタなものばかりですけどね。)

で、今のところ見た中で、面白かったベスト3を上げると

1位 異世界おじさん 2位 天スラ 3位 ダンまち・・・ですかね

 天スラとか略語を使ってるあたりが草

異世界おじさんは、なんちゅうかその・・・わたしのような「こじらせた年配者」が素直におもしろく見ることができるですよ。(別にセガユーザーではなかったのですが、多分こんなマニアックな内容なんだろうなぁ、とは想像ができます。)

で、今回の本題なのですが、いろいろなアニメを見てまず感じたのが、「話の作り方うめぇ!」ということ。原作を読んでいるわけではないのですが、きっちりと絵の中で伏線も張ってあるし、どんどん話が広がっていっても、きちんとキャラクターの使い分けも出来ているし、話の破綻もない。いろいろな伝説や神話をきっちりと勉強しているのもよく分かる。(もちろん、もうすでにゲームやアニメの世界では「お約束」のものなのかも知れませんが)

ただし、言い訳ではなく、こちらも若い頃、推理小説を結構な濃さでむさぼり読んできたガチ勢だった時期もあります。だから「伏線がすごい!」とか「意外な結末がすごい!」というところまではいきません。(なんか負け惜しみっぽく聞こえますが)すごいのは、マンガやアニメの「検証系YouTuber」の読解力なんですよ!

このブログの中心コンテンツは「国語教科書の教材の読解」(のつもり)なんですが、私の書いてきた読解は、基本短編小説の内容についてです。それに対し、検証系のYouTubeは(もちろんテーマは絞ってありますが)かなりの長編のストーリーの隅々まで読み込んで、きっちりと検証してあります。そのこだわりたるや凄まじさすら感じます。まぁわたしの場合、どちらかというと「仕事」の域ですが、こういう人達はまさに「好きこそものの上手なれ」を地で行く感じなんでしょうね。

そういえば、昔の生徒にかなりしつこく説明しないと通じない言葉で、最近の生徒には普通に伝わるようになったものがあります。それは何かというと「伏線回収」!(聞くところ「進撃の巨人」がすごいらしいですね、YouTubeによれば。しらんけど)

結論 若い人達に、そのようにすごい読解力があるのが明らかになったのに、教科書程度の短くて簡単な内容を、なぜちゃんと読み取れないのだぁ!qあwせdrftgyふじこlp;@:「」!・・・ボヤキで終わってしまいました。おあとがよろしいようで。

買っちった・・・

春を待ち切らず(というか廃版のコレが売り切れるのを恐れて)買ってしまいましたトレック520。「クロモリ、キャリア付き、フロント2段以上リア9段以上」という希望スペックを全て満たしたこのバイクですが、残念なことに以前購入したセンタースタンドがワイヤーと干渉するため、付けることができず、後ろ側にサイドスタンドをつけてもらい、あわせて前後泥除けをつけてもらって納車されました。(おかげでまぁ重たいことおもたいこと。でもどうせキャンプ道具とか載せたらバカ重になるわけで、多少の軽いとか重いとかは、どうでもいいと割り切ることにしました。)

まぁとにかくこのコロナ禍で、いろいろな物の値段があがっていますが、自転車の需要が増えたり、部品が入ってこなかったりで、この自転車も1昨年度と比べて1割くらい値段が上がってしまっていたのです。おまけに昨年度から生産停止になってしまい、買おうったってタマがない。以前からちょくちょくお世話になっていた、トレックの専門店である「ホワイトラインバイシクル」さんにあれば、何も考えずに購入したのですが、あいにくこんなマニアックな自転車は在庫がなく、冬休み中に札幌市内のあちこちの自転車屋さんをめぐって、やっと1台見つけたのです。

onosapporo.jp

店員さんとの話では、前述の「ホワイトラインバイシクル」のマスター?も、この小野サイクルさんにいらしたことがあるらしく、話が通じてちょっとホッとしたり。

whiteline-bicycle.com

小野サイクルの店員さんも、とても親身になって対応してくれ、場所が円山なので、家からはかなり遠いのですが、安心して相談できそうです。ということで、雪解けが今から楽しみです。おれ、春になったらこれで旅に出るんだ。・・・って、なんか〇亡フラグみたいになってしまいましたw

追伸 実は小野サイクルで1台見つけた後、失礼ながら同じものがホワイトラインさんにあれば、そちらで買いたいと思ったので覗いてみたのですが、やはりありませんでした。一応女性店員の方に事情をお話しし、「もし泥除けとかつけたいと思ったら持ってきてお願いできますか?」と聞いたところ、「うちでつけるのは全然かまいませんが、小野さんで泥除けや部品を買えば、工賃とかをタダでつけてくれますよ。」と、例によって商売っ気のない誠実な対応をしてくれました。本当にありがたい話です。

ずいぶん投稿が空いてしまったうえに、誰得の趣味の話で恐縮です。いろいろと忙しくなっていて、更新が遅れるかもしれませんが、まだ続けていこうと思いますので、よろしければまたお付き合いください。読んでいただきまして、あなかしこあなかしこ。

こんな雑談をしてきたその13(平家物語と桃太郎)

その12では、「故郷」の表記にかこつけて、陰陽五行説の雑談をした話を書きました。で、今回は「平家物語」(扇の的)にかこつけて、時刻と十二支からの~「桃太郎」につながる、という雑談の話です。

「ころは二月十八日の酉の刻ばかりのことなるに、をりふし北風激しくて、磯打つ波も高かりけり。・・・」と続く「扇の的」の出だしです。この「酉の刻」ってのが、午後六時頃というのは、口語訳の中にでてくるわけですが、さてこの酉の刻とはどういうことか?もう午後六時ってことは教科書の脚注に書いてあるわけで、それで済ませても全然良いわけですが、ここから桃太郎の話にどうつながるのか乞うご期待。

まずは十二支を知っているかどうか、というレベルから探っていくことにしますが、そもそもの話として、生徒が「年賀状を書かない」ようになってきていることもあってか、十二支の順番すなわち子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥・・・が分からない生徒がかならいの割合でいます。そこでまずは時計のようにこの十二支を描き、二十四時間で一回り、つまり二時間ごとに一刻となることを説明します。

十干十二支・時刻と方位 横浜市泉区

子は23時~1時、この区切りで行くと午(うま)が11時~1時。したがって12時は「ちょうど午」つまり正午となり、コレより前が午前、後が午後になる、というあたりは、生徒でも結構気づいてくれますね。ちなみに午と書いてあっても「牛」と読む生徒は沢山居ます。「牛の角がないだろ、だからこれは「うま」と読むんだ。」とか雑な説明でお茶を濁してから次へ。(そういえば、うさぎの「卯」も、「卵」と読む生徒もたまにいますね。例の牛丼屋「なか卯」を「なかたまご」と読んでたらしいです。)

従ってこの区切りで行くと、酉の刻は午後6時頃になると。(この字が偏だと「とりへん」と読む、ということは1年生の時に学習しているのですが、まぁきれいさっぱり忘れてますわナァ。残念。)

さらに、合わせ技で時計の様にも見えるけど、方位磁石にも見えるよね?と振っておいて、強引に方角の話に持っていくわけです。(この辺り、多分に個人的なオカルト趣味の押し付けになってしまいますけどね。反省はしている。だが後悔はしていない。)

さて、北の方角が子(ね)の方角になります。皆さんご存知とはおもいますが、続く丑の方角、寅の方角の間、つまり北東の方角を「艮=丑寅(うしとら)」の方角といいます。つまりそして昔からこの北東の方角を「鬼門」と呼び、色んな説がありますが、この世とあの世をつなぐ方角であり、この北東から邪なる「モノ」がやってくるのだとされているとか。(このあたり私なんぞよりディープな知識をお持ちの方はたくさんいらっしゃると思いますが、まぁ中学生への説明だという前提で、笑って許してください。)

で、「草木も眠る丑三つ時」である午前1~3時ころが、一番お化けがでる時刻とされてます。

中学生への振りはこう続きます。「さて、鬼門とは鬼の門と書き、この「うしとら」の方向から鬼やらモノノケが出入りするわけだが、ここで何か気づかないかね?」ぽっかーん。「・・・鬼ってどんな格好している?」あっ!・・・ここで鬼が「牛の角が生え、虎のふんどし(パンツ?)をはいている。」のは何故か?に気づきます。

さらにここから目を転じさせて、「では、裏鬼門、つまり丑寅の逆側は何の方角になる?」未申(ひつじさる)「つまり鬼の逆サイドが「ひつじさる」なわけだが、羊はちょっとおいといて、さるの次は?」とり!「その次は?」いぬ!「さる、とり、いぬ、で何か気づかないかね?」あ、桃太郎!「そう、北東の方角である鬼門から来る鬼に対して、南西の方角である裏鬼門のさる、とり、いぬで対抗したのだそうだ。」へー。

これも中国から入ってきた考え方だし、たぶんですが昔は日本でひつじは一般的では無かったので、一つずらしてさる、とり、いぬにしたのだと思います。酉(とり=直接キジではないでしょうが、そこは日本の国鳥とされるほどなじみが深い鳥だったから、鳥族代表としたのでしょうね。

とまぁ、例によって「ほんのちょっとだけ関係のありそうな雑談」をして、また授業が進まないという、いずれ市教委や文科省から「メッ!」とされそうな内容の話でした。反省はしている。だが後悔はしていない。

まぁ・・・薄々おわかりだと思いますが、そもそも反省もしていません。でもやらかした生徒でも「とりあえず反省の様子を見せれば指導が通った」ことにされてますし、だいたいはまた同じ事をやらかしますが、結局はそれの繰り返しなわけです。だから、「これでいいのだ。」←ひどいケツのまくり方だなぁおい。

 おあとがよろしいようで。