ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室と老害アウトドア

中学校の国語や趣味に関する話題を中心に書いてます。

新年早々部活についてのボヤキその①

明けまして数え61歳。いよいよ定年まで待ったなしですが、新年を迎えても、何も変わったことは無く、感動も感慨も無く、次はどこの学校に行くのやら?と「恍惚と不安2つ我にあり」(選ばれし者ではありませんが)という気分です。(・・・どこも再任用受け入れてくれなかったりしてガクブル)

さて、こんな誰得の、訳の分からない泡沫ブログですが、こんなのでも作ったからには読んでもらいたいのが人情。ということで去年からツイッターにブログ更新のご案内を載せるようになりました。あまり影響が出ているようには感じられませんが、載せるついでに今まであまり読んだことがなかった他の人のツィッター、特に教師アカウントを読むようになったところ、まぁこれが実に面白いw

実に面白い。ドラマ・ガリレオの名言 | あなたを変える名言の森 (「容疑者Xの検診」しか読んだことがありませんが。)

まず大笑い実に興味深いのが文科省肝いりの取り組み(のなれの果て)「#教師のバトン」 です。教師の仕事の魅力を共有し拡散する目論見だったはずなのに、結局日本全国津々浦々の教員から、つもりに積もったブラック業務の、恨みつらみのオンパレードが、これでもかこれでもかと寄せられて、もう手に負えなくなってしまっているんですね。まさに「藪をつついて蛇を出す」「雉も鳴かずば打たれまいに」とはこのこと。

で、あまりの逆効果のすさまじさに、文科省は21年の9月から知らぬ存ぜぬを決め込むつもりか、一切更新していません。なのにそれとは裏腹に現在でも怨嗟の声がどんどん増えていくばかりなのが、もう可笑しいやら情けないやら。

きっと文科省の発案者は、ドヤ顔でツイッターにあげたはいいけど、今頃上司からなまら怒られてることでしょうな。気の毒に。(・・・でも、考えようによっては、この人が「パンドラの箱」を開けてくれたおかげで、日本全国の教師が次々に「文科省公認で、公的にクレームを言える場所が出来た!」と喜び勇んで覚醒できたのだから、我々の大恩人といえるかも知れませんね。)

 ♪これっきりこれっきりもうこれっきりですかぁ~♪

さらに驚いたのが、我らが北海道教育委員会(道教委)が、つい先日、よせばいいのに「働き方改革のアィディア募集」のツイートをあげ、グーグルフォームでアイディアを募ったところ、この「教師のバトン」と全く同じように(しかも北海道のみならず日本全国から)どっと恨み節のツイートが寄せられている真っ最中なんですよ。そしてツィッターに寄せられた反応の大半が(体感的には8割以上?)「まずは部活動を廃止しろ!」と訴えてきているんですw。

いや、笑っちゃ悪いけど、文科省のアレがあんなことになって炎上し続けているのを見ていたら、どんなことになろうかは、誰でも予想がつきそうなものですよね。「かくすればかくなるものと知りながら止むに止まれぬ大和魂」と、吉田松陰でも気取ったのでしょうかね?

まぁいずれにしても「よかれと思って」の活動でしょうから、盛大にしくじったとしても、笑いにするのはよろしくないですね。反省(はしている、だが後悔はしていない)。

それにしてもよく分からないのが、私の知っている札幌市教育委員会にお勤めの、元教員の方(ほんの数名しか知りませんが)はみんな、酸いも甘いもかみ分けた、教員として抜群の力量を持った(私のような「その他大勢」の教員から見ると「雲上人」レベルの)方々なのです。道教委もそういう方々の集まりだとしたなら、なぜこんなことになったのか、甚だ理解に苦しみます。

第一「元教員」ならば、アィディアを募るまでもなく「何がキツいのか」「何がどうなればいいのか」なんてことは、重々分かっているはずなのにね。(深読みすれば、あえて炎上も承知の上で、グーグルフォームの方に少しでも参考になることが来れば良しという、藁をもつかむ思いなのかも知れませんが。)

さて、寄せられる内容で最も多いのが「部活動顧問」についての意見ですね。実際私自身も、定年のこの歳まで「仕様が無いなぁ」と思って顧問をほぼ毎年引き受けてきました。以前は土日両方とも部活動をやり、部活の合間に趣味や遊びに行く。泊まりがけでどこかに行くとかはあまり考えられない、なぜなら周りの先輩方がそんな感じだからそれが当たり前。そんなふうに考えていた時期が・・・

  お約束。

まぁ、ネットスラングで言うBDK(部活大好き教員)がたくさんいたので、特に疑問を持たなかったんですよね。振り返るに「洗脳」に近かったかもしれません。ところがある年、たまたま同じ競技のBDKが移動してきたおかげで、それまで私一人で見ていた部活を「サブ」として受け持つようになり、特に自分が指導しなくても、「メイン」のその人が精力的にガンガン指導するので、私は「ただいる」だけの人になったのです。(※小林よしのりの「異能戦士」にもいたなぁ。「異能ただおる」ってのが。)そしてメインの先生も私に「休んで良いよ」と言ってくれたので、お言葉に甘えて土日にかけて旅行したりのんびりしたりしてみたら・・・良いんですよコレが!言わば洗脳が解けて、「人間らしい生活」に覚醒したのです。(ちょっと言いすぎだな。)おかげでその1年は、たまぁ~に土日に顔を出したり、メインの先生がいない時だけ指導したり、かなり有意義に過ごすことができました。

そして次の学校に異動しても、やはりメインの先生がいたので、「サブなら」という前提で、わりと呑気に部活指導していたのですが・・・好事魔多し。その次の年に、そのメインの先生が異動してしまいました。そして代わりにメインで持ってくれる人は来ず。そうなると私が「メインでやらざるを得なく」なってしまったのです。

いや、そこは断れよ、と言う方もいらっしゃるでしょうが、「サブであっても、ちょっとでも生徒とつながりがあったら、全く知らぬ存ぜぬを決め込むのは難しい」のですよ。同調圧力の一つでしょうか。それでも一度楽な思いを、というかそういうのも「アリ」だと知ってしまうと、天気の良い日なんかに部活をやっていると「なんで俺が?」という素朴な、そして根源的な疑問が沸くようになりました。とはいえ、その学校でこの競技に関して私以上に詳しい教師はおらず、また未経験者に押しつけるのも潔しとはできない、このジレンマが毎日繰り返されたわけです。

いろんな学校で、「負担を減らすために」と称して、管理職は部活に複数の顧問を付けようとします。しかし、メインの教師が異動した時に、サブだった先生が「私は持てません。」と言うのはかなりキツいです。(特に強い部活や、ジュニア上がりの有力選手がいたりすると)。

管理職も困るわけであの手この手で懐柔しようとしますわな。でもそうやっているなかで、経験したこともないような部活の顧問に「させられ」て、時間を削られメンタルをやられ、という教師が(特に若手が)どんどん増えている。

意にそぐわない「部活動」を、この同調圧力の中で「させられる」のをやめるには、「部活動完全外部委託」か、「納得づくの上で、やりたがっている人だけが顧問をする」か、「部活動廃止」くらいしかないのですが、外部委託なんて出来るわけがないと現場の人間は誰でも思っていたと思います。長くなってしまったので、次回私個人を例にして、部活動の顧問をすることが、どれほど理不尽で過酷なものか、具体的に見ていただこうと思います。続く。

こんな雑談をしてきたその12(魯迅「故郷」でのうさんくさい風水の話)

私は昔からオカルト的なもの、宗教的なもの、民俗学的なものが好きでした。大学の卒論を「鬼」について書いたほどです。(多分担当の教授はイヤ~な気持ちだったことでしょうね。)柳田国男も好きでよく読んでいました。また、江戸川乱歩賞を受賞した、井沢元彦の「猿丸幻視行」を読んで、折口信夫にも興味を持ったのですが、ちょっと難しすぎて挫折してしまいましたテヘペロ

同じくオカルト系の漫画も好きで、荻野真の「孔雀王」、諸星大二郎の「妖怪ハンター」「孔子暗黒伝」「諸怪志異」、「暗黒神話」、星野之宣の「宗像教授伝奇考」、奥瀬サキの「低俗霊狩り」、永久保喜一の「カルラ舞う!」などなどを読んでいました。特に孔雀王はツボで、今でも光明真言不動明王真言は覚えていたりします。(←しかしこれ、よくよく考えたら厨二病丸出しですな。)

小説では、夢枕獏全般、特に九十九乱蔵のシリーズ。(影響をうけて「ごついビブラムソールの、ダナーのブーツ」を買ったりしてたのも、今となってはかなりイタイ。まだ履いてますけどね。)や、ちょっと系統は違いますが半村良の「嘘部三部作」や「伝説シリーズ」なんかが好きでした。その他伝奇推理物ももう好きですきで。

で、その流れから(どんな流れだよ)国語の教材の中で、陰陽道やら風水やらに関連する話が出てくると、ついつい脱線してリアルに余計で誰得な、マニアックな知識を授業にブッコんでしまうんですよ。(そんな話あったっけ?と思われるかもしれませんが、ほとんどこじつけのように関連させてしまえばこっちのものいろいろとあるのですよ。)

例えば「故郷」の中での、閏土の名前についてのこのくだり。「閏月の生まれで、五行の土が欠けているので、父親が閏土と名づけた」云々。さぁここで陰陽五行説の基本的な説明で張り切ってしまうわけですよ。自己満へそ曲がり流のヲタク風味としては。

エヘン。まず「閏月」とは何か。日本でも江戸時代までは「太陰暦」を使っていた。これは満月から満月までの日数を、文字通り「ひと月」として暦を作っていたのだが、これだとひと月が28日とか29日になるので、1年たつとだいぶ365日からずれてくる。それで何年かにいちど、13か月ある年を作ってリセットしていたんだ。その増えた月を「うるうづき」というのだよ。「へー。(ハナホジ)」

で、次に「五行の土が欠けて」ということの意味なのだが、まず中国では昔から、いろいろなことを「陰陽五行説」で説明をつけてきたんだよ。まず「陰陽」だが、こんなマークを見たことないかい?

「勾玉?」んー、関係はあるかもしれないがちょっと違うな。これは太極と言って、古代中国では、この世のいろいろなものは基本「陰」と「陽」からできている、という考えなんだ。例えば2つで1セットのものって、何がある?「天と地」「男と女」(←これ、今だとマズイんでしょうかね?やな渡世だな。)「奇数と偶数」そして「昼と夜・・・ということはいいかえれば?」「太陽と月!」

そうだ。太陽つまり「日」が陽で「月」が陰。だから地球が太陽を一周するのが「太陽暦」、お月様の1サイクルをひと月とするのを「太陰暦」と呼ぶわけだ。この「日」と「月」を覚えておけよ。

そして、陰陽をさらに細かく(←ここがちょっとあやふやだけどどうせわかりゃしないから)5つの元素に分けて考えるわけだ。その5つの元素を、「五行」、合わせて陰陽五行説というのだよ。さて、ではその5つの元素とは何だと思う?

「火!」うん。「水!」うん。「土!」うん。「風!」あー、それはヨーロッパの方の魔術の4元素だな。「木!」うん。あとひとつ。「なんだろ、雷?」違う。答えは金だ。ゴールドではなくメタルとか石とか固いもののことね。

つまり木火土金水(もっかどごんすい)が5つの元素なんだが、何か気づかないかい?「あ!曜日だ!」そう、日曜、月曜日、火曜日・・・土曜日というのは、これから出ていたんだよ。「へー!」

さらに言えば(ここで「さらにいう」から、授業がどんどん遅れるわけですが)この5つの元素は、お互いに生み出したり、殺しあったりする関係にあるんだよ。こういう関係ね。↓

木をこすり合わせるとどうなる?「火ができる!」ものが燃えると?「灰=土になる」土の中から?「金属が出てくる」(※金から水が生まれる、がわかりづらいのですが、北海道人にはこれでわかる)冬の朝、窓とかのガラスに水がついてるだろ?「あ、結露!」で、水をかけると?「木が育つ!」というのがお互いを生み出す「五行相生」というんだ。「ほー!」

逆に殺す関係でいうと、水は?「火を消す」火は?「木を燃やす!」戻っちゃだめだよ。火は金属を溶かす。金属は?「木を切る」木は?「土に根を生やして入り込む」土は?「水を吸い込んでしまう」これがお互いを殺す「五行相克」という関係だ。「あ、真ん中に星型!」そうだね。これを五芒星といい、おまもりや占いやまじないでよく使われる図形だね。「はー!」(ここで終わっても説明としては十分なのに、さらにいらんことを教えたくなる自己満流)

ところで、これらにはそれぞれ色が付いているんだが、木は?「緑!」じゃなくて青ね。「え~?」火は?「赤!」じゃなくて朱色ね。「え~!」土は?「茶色!」じゃなくて黄色ね。金は?「金は金色!」じゃなくて白ね。「何それ!」水は?「水色?」水は黒で、玄と表します。「どゆこと??」

さらに方角も表しまして、木が北、火が東、土は中央、金が南で、水が西を指します。そしてそれぞれの方向を守る神様のような獣がいます。青は?(このあたり、ゲームとか漫画好きな子にはピンとくるようですが)「青龍!」朱は?「朱雀!」黄色も龍なんだけどね。黄龍ね。白は?「白虎!」玄は?「玄武!」そう、玄武岩の玄武ね。「ふーん?」(長くなりましたが、次が最後で、やっと国語っぽくなります。)

で、方角だけじゃなくて、季節も表します。火の季節は?(火から始めるのがポイントなんですよ。)「夏!」なので夏のことは朱夏と書いたりします。土は土用です。この順で行くと、金の季節は?「秋!」秋は白なので、「白秋」と表しますが、なんか聞いたことないですか?・・・(しーん。残念。)

 なんかこんな感じのコメディアンがいた気がする。

北原白秋という有名な詩人がいるんだが、聞いたことは?・・・ない?あら残念。そして黒の季節は冬なので、冬を「玄冬」と表したりします。

さて、では春は何色でしたっけ?「青!」ということはつまり?「・・・青春!あ~なるほど!」・・・おあとがよろしいようで。(このあたりもう伝統芸と化してます。そしてまた10分ほど授業が遅れるという。もうね、バカかと、アフォかと。)次回はさらにマニアックな雑談のお話です。よろしければまたお付き合いください。

皆様よいお年を。

「故郷」(魯迅)についての以前からの素朴な疑問

札幌は名実ともに「もう真冬の候であった。」・・・ということで、今回はこれまたロングセラーの、魯迅「故郷」について、以前からどうもビミョーに説明がつかないことについての、素朴な疑問を書いてみようと思います。

さて、元大地主の息子であった、魯迅をモデルとする「私」と、その元雇い人の息子であるルントウの、「ビフォーアフター」と、一番最後の場面「もともと地上には道はない。歩く人が多ければ、それが道になるのだ。」の読解の2つが、「故郷」の授業をおこなうときのミソだと思っていますが、その「ビフォーアフター」のマクラというか暗示というか、とにかく生徒にとっては、主人公やルントウ以上にインパクトの強い「ヤンおばさん」の変貌が、私の授業では前半かなり重要になります。(あと「チャー」もインパクト強いですが。)

楊夫人?楊小姐? ←これは明らかに違う

さて、そのヤンおばさんが登場したシーンの記述は以下の通り。

「まあまあ、こんなになって、ひげをこんなに生やして。」不意に甲高い声が響いた。
 びっくりして、頭を上げて見ると、私の前には、頰骨の出た、唇の薄い、五十がらみの女が立っていた。両手を腰にあてがい、スカートをはかないズボン姿で足を開いて立ったところは、まるで製図用の脚の細いコンパスそっくりだった。
 私はどきんとした。
「忘れたかね。よくだっこしてあげたものだが。」
 ますますどきんとした。幸い、母が現れて口添えしてくれた。
「長いこと家にいなかったから、見忘れてしまってね。おまえ、覚えているだろ。」と、私に向かって、「ほら、筋向かいのヤン(楊)おばさん……豆腐屋の。」
 そうそう、思い出した。そういえば子供の頃、筋向かいの豆腐屋に、ヤンおばさんという人が一日中座っていて、「豆腐屋小町」とよばれていたっけ。しかし、その人ならおしろいを塗っていたし、頰骨もこんなに出ていないし、唇もこんなに薄くはなかったはずだ。それに一日中座っていたのだから、こんなコンパスのような姿勢は、見ようにも見られなかった。その頃うわさでは、彼女のおかげで豆腐屋は商売繁盛だとされた。たぶん年齢のせいだろうか、私はそういうことにさっぱり関心がなかった。そのため見忘れてしまったのである。ところがコンパスのほうでは、それがいかにも不服らしく、蔑むような表情を見せた。まるで、フランス人のくせにナポレオンを知らず、アメリカ人のくせにワシントンを知らぬのを嘲るといった調子で、冷笑を浮かべながら、
「忘れたのかい。なにしろ身分のあるお方は目が上を向いているからね……。」

どの部分に素朴な疑問があるのかという前に、前提として

①「私」は現在アラフォーであること。(彼と知り合ったとき、私もまだ十歳そこそこだった。もう三十年近い昔のことである。

②「私」がこの地に戻るのは約二十年ぶりである。(厳しい寒さの中を、二千里の果てから、別れて二十年にもなる故郷へ、私は帰った。

③ヤンおばさんは「アラフィフ」なので、私より十歳くらい年上である。(五十がらみの女が立っていた。

・・・ことを踏まえての疑問というのが、「なぜ私はヤンおばさんを見忘れてしまったのか?」ということです。ちょっと何言ってるのか分からないかもしれませんし、生徒に質問したらおそらく、母の言葉をもとに「長いこと家にいなかったから」と答えることでしょう。

では改めてその「長いこと」というのはどれくらいか?はい、「二十年ぶり」ですよね。つまり現在アラフォーの「私」がこの「故郷」を離れた時、「私」は二十歳前後だったことになります。おわかりでしょうか。

物心つかぬうちにこの地を離れていたのなら、それこそ「抱っこ」されるくらい小さなころに離れていたのなら、近所の優しいお姉さんのことを忘れるのはうなづけます。そもそも「抱っこ」されるくらいの年は幾つくらいか?どれだけ大きくても5歳くらいではないでしょうか。ならばそのときヤンおばさんは15歳くらい。15歳だとしたら「豆腐屋小町=町内で評判の看板娘」にはちょっと早いかも知れない。白粉や口紅を塗るのにもちょっと早いかも。(昔の中国のスタンダードはわかりませんが。)

まぁここは「鬼も18番茶も出花」と想定してみましょう。ならば前述の「子どもの頃」とは、私が大体10歳年下なので、8歳くらいの時になります。それなら「年齢のせい」で、「そういうこと=キレイなおねーさんがいるゾォ」ということにさっぱり関心がなくても普通でしょう。(↓とはいえ、こういう例外もいますけど)

ななこおねいさんと手をつなぎたいゾほか|おはなし|クレヨンしんちゃん|テレビ朝日 

だがしかし、これが「20歳近くまでこの家に住んでいた」にもかかわらず、そしてヤンおばさんが「筋向かい」に住んでいた豆腐屋だったのにもかかわらず、「見忘れてしまった」というのがどうも解せません。

「筋向かい」は、直接斜め向かいに住んでいたわけではないでしょうが、少なくとも同じ町内?でしょうし、同じ町内に何軒も豆腐屋があるとも思えず、何よりも「私」は少なくとも「一日中店番をして座っているヤンおばさん」を目撃しているわけですから、20歳になるまでに何度も豆腐屋の前を通ったことでしょう。

さて、私が20歳の時、ヤンおばさんは30歳くらい。ヤンおばさんが結婚していたかどうかは分かりませんが、逆に「美魔女」とか「女盛り」(※おんなざかり、ですよ。打っていて一瞬「女体盛り」に見えてドキッとしたわ。←立派なセクハラですな。御容赦を。)だったのではないでしょうか。

ならば、20歳そこそこの私なら、意識の中にけっこう入ってくるのではないか?まぁ少なくとも忘れてしまう、ということはありえないと思うのです。では私はなぜ見忘れてしまったのでしょう?・・・これが以前からの素朴な疑問なのです。

(ちなみにググると、日本では「年増のうちでも美しい時期を年増盛(としまざかり)とも呼んだ。 江戸時代には、数え20で年増、25で中年増、30で大年増と呼んだそうです。ナンボ平均寿命が違うとはいえ、ハタチで「年増」はちょいとキツいですな。)

こういう重箱の隅ばかりつつくような読み方ばかりしているので、一向に授業が進みませんが、このシーズンになると故郷の授業が入ってきます。授業のたびに気になっていた疑問を書いてみましたが、結局納得のいく解釈ができないまま、定年を迎えようとしています。お読みの方でこのモヤモヤを晴らしてくださる方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えていただきたいと思います。それではまた。

(「スカートをはかないズボン姿」で思い浮かぶのが「酔拳」のこのおばさん・・・)

こんな雑談をしてきたその11(おくのほそ道と山本譲二)

老害であることは重々承知ですが、それにしても年々、授業の雑談の中で話す「ヒント」が通じなくなる一方で、悲哀を感じる今日この頃です。

さて、「松尾芭蕉」の「おくのほそ道」の授業の中で、なぜこんな題名になったか、ということは多くの国語の先生が説明することと思いますが、そのヒントがぜんぜん通じなくなりました。(というか、昔の教科書では「奥の細道」という表記だったような気がしますが?)

いろんなやり方があるとおもいますが、私はまず冒頭文の「歌枕」の地である「松島」「白川の関」から、この旅が「東北方面」に向か旅であることを確認したあとで、東北地方の別名を質問します。ところが・・・結構できる生徒でも、「奥州」は出てきても「ひらがな四文字のアレ」はでてこない。そこで、昔は通じたのに現代ではまず通じないヒントその1を出します。

「ヒントその1 東北6県を中心に回っている、ザグレートサスケなどが中心のプロレス団体をなんというか?」まぁこれは結構コアなプロレスファンがいないクラスでは、全く答えが出てこずにポッカーン、ですね。(そもそも新日本とか全日本とかすら知らないかも。一時期かなり熱烈なプロレスファンだった身からすると悲しい限りですな。)

ザ・グレート・サスケ vs ラッセ【みちのくプロレス】2022.5.3 - YouTube

これでもダメな場合として出てきたヒントその2「北島三郎の弟子の山本譲二が歌っていた、ホニャララ一人旅てあっただろ?」・・・当然のごとく、ポッカーン、ですよ。

いつごろからですかね、これらのヒントから「みちのく」という答えが出てこなくなったのは。というかそもそも「みちのくというんだよ。」と教えても、初めて聞いたわ~的な顔をしている生徒ばかりになってきました。そうなると、「みちのく」=道の奥→奥のほそ道、という芭蕉のシャレも、あまり新鮮な発見という感じにはなりません。昔はみちのく(陸奥、とも書きますね)あたりで気づいて、「あー!」というアハ体験(死語)する生徒が何人かはいたものです。

そして、今回教科書を見て気づいたことが一つ。多くの国語の先生が、この「おくのほそ道」の範囲でテストを作るとき、定番のように出題するのが「北上川南部より流るる大河なり。」の部分の口語訳だと思うんですよ。私自身毎回まいかい「ここの訳は間違いやすいから注意するんだぞ。」と、匂わせどころかほぼ「出題するからな」的なことを言っているのですが、それでも生徒が平気でやらかしてくれるのでざまぁみろ己の指導力不足が残念でなりません。

北上川南部より流るる大河なり。」の口語訳の誤りは、大きく分けて二種類あり、多いのが「北上川の南部から流れる大河がある。」と、二つの川があるように訳す間違い。そしてもう一つは「北上川は南部から流れてくる大河である。」という訳。前者は論外として、後者の間違いである「南部」のとらえ方を、「南の方」と読み違えないように、授業の中で略地図を描き、そもそも「北が川上だから北上川だぞ。(語源がそうなのかは知りませんが。)」と強調し、そして、この「南部」とは「南部地方とか南部藩という意味だぞ。」と強調します。

さらに、「砂金や鉄、それから馬の名産地だったこと」に絡めて、「南部鉄器」「チャグチャグ馬っこ」「南部せんべい」なんかを引き合いに出して、「南部地方」の印象付けに必死になるのですが・・・でもまぁテストの時には、みごとなまでに忘れてくれるわけですよ。父ちゃん情けなくて涙が出てくらぁ。

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ただ、昔の教科書では「南部 ここでは南部領を指す」などとあっさりとした脚注だったのですが、今回の教科書では「北上川は南部地方から流れてくる大河である。」と、モロに口語訳が書かれていました。(だからって、例年通りの口語訳の問題を出したとして、飛躍的に誤答率が減るとも思えませんが。)

ということで、また一つ教科書が至れり尽くせりになっていたことを発見しました。少なくとも、「そもそも教科書のここに書いてあるだろ。」と言えるのは間違いないですね、良いか悪いかは別として。でも例え脚注に書いてあっても、南部鉄器や南部せんべいの雑談をしなくなることはないでしょう。(とはいえ、定年を控えた身としては、あと何回授業で触れることがあるやら・・・)それではまた。

小春日和のカルボナーラもどき

 

もう外飯は無理かと思われた雨続きの11月下旬。タイヤも取り替え、自転車も仕舞いこみ、さて・・・と思ったら、何ですかこの陽気は!まだ全然自転車乗れたじゃないですか!qあwせdrftgyふじこlp;@:「」!・・・ということで、リアルに本年度最後となるであろうチェアリングに出かけることにしました。(やめるやめる詐欺みたいで心苦しいのですが、次の週はいよいよ氷点下&降雪らしいので、さすがにもうこれ以上は無理でしょう。)

ということでスタッドレスに履き替えた自家用車に乗り、行く先を考えたのですが、何せ私の乗っている車が、とにかく燃費が悪い。街中だったらリッター7キロを切ったりするのですよ。できるだけ近くで出来そうな所はないか、と思いついたのが、以前から目を付けていたこの「創成川」の河畔です。パッと見良さそうに見えると思いますが、何せ対岸が、市内でも札幌新道環状線と並んで最も交通量の多い「石狩街道」なんですよ。まぁ川の向こうから、何やら河畔に座って怪しげな事をしている老害をしげしげと見つめる人も居ないと思いますので、人目を気にせずここで昼飯&コーヒーを楽しませてもらうことにします。

家から持ち出した卵とパスタとタマネギ、そして途中で買い込んだベーコンと牛乳。これで「カルボナーラ」を作ってみよう、という企みです。そして何よりも、先日ポチったコレを使ってみたかったのですよ。

 

キャンプYouTuberのFUKUさんプロデュースの「エアストーブラージ」です。メチャクチャ薄くて軽い、アルストや固形燃料用の風防兼五徳です。ちなみに、薄いケースに入っているのですが、さらに100均で売っているB7のケースにちょうど入ります。(もし買おうと思っている方は、風防部分には十分注意してください。気を抜くと指が切れます。というか最初に組み立てた時切りました。)前回の発寒川でダメージを受けたチェアゼロに座り、料理に取りかかります。

 (ゴリラテープが痛々しい・・・)

といっても、タマネギとベーコンを切るだけなんですけどね。

 

さて、買ったはいいけどあまり出番のなかった、モンベルのクッカーを使ってパスタを茹でてみます。いよいよポチったエアストーブラージの出番です。サクッと組み立てて、アルストに燃料を入れ、前回同様ファイヤスターターを使って着火・・・しようと思ったのですがなかなかうまく火花が飛ばない。上の五徳の部分がじゃまになっているんですね。

 

前述のとおり、川向こうの石狩街道では車がひっきりなしに走っています。ただし、幸いなことにみんなかなりのスピードでビュンビュン飛ばしていますので、河畔に座りこんでいる老害を見ても、一瞬のことですので怪しむ暇もなく通り過ぎて行ってくれます。10分くらいは経ったでしょうか。どうにかお湯が沸きまして。 

 

あとは茹で上がるのを待つばかり・・・なのですが、これがなかなか沸かない。おかしいなぁと思ってよく見ると、なんということでしょう。いつの間にか燃料が切れて火が消えているではありませんか。アルストって思いのほか燃費が悪いですね。それとも私の使っているものの性能が悪いのか?燃料を足して再度着火し、アルデンテ(?)よりちょっと固めの段階で火からおろしまして、余熱で茹でる間にベーコンと野菜を炒めます。(フライパンも今回初使用のモンベルのものです。今年中に一度使いたかった。)

 

本当はいわゆる「ゆるキャン△」のスープパスタを作ってみたかったのですが、コンソメは買ったら買ったでほぼ家では使わないだろうし、ブロッコリーは嫌いだし、その他もろもろの理由から「簡単にできるカルボナーラ」とか、ネットに出ているものを真似してみたのですが、バターを忘れたのが致命的でしたね。パスタを牛乳と卵でからめただけのものになってしまいました。まぁそれでも食べれてみれば・・・うーむ。

 

思てたんとちゃう!

シャバシャバで、コクはないがキレもない、という代物でした。(とはいえまぁ普通に食べられましたけどね。考えてみれば、パスタやカレーや豚汁って、旨く作るのは大変だけど、失敗することはまずない食べ物かもしれません。)

  

あとは例によってコーヒーを淹れ、どら焼きとともに目の前の創成川を眺めながら、初冬の昼下がりをしばらくまったりと過ごせてもらいました。

 

最後は余った牛乳を入れてカフェオレにして飲み干し、創成川の河畔を後にしたのですが・・・

チェアリングはともかく、勝手な思い込みで「河畔はたいてい大丈夫だろう」「直火ではなくアルストだから大丈夫だろう」ということで、特にどこに確認を取るわけでもなく炊事をしたのですが、これってひょっとして法律に触れますかね?思い付き&思い込みで決行したのですが、いまブログを打っていて改めて「大丈夫かおい?」と気づいた次第であります。とはいえここまで打ってしまったので、もったいないから載せますが、もし法に触れていたのならば申し訳ありません。(とはいえこのような弱小ブログですので、炎上する心配もありませんが。)

札幌はどうやら根雪に入ったようです。冬場のアウトドアの話題はあまり出せそうにありませんが、国語や老害のボヤキについては、週一ペースを目指して書いていこうと思います。よろしければまたご覧ください。どっとはらい

こんな雑談をしてきたその10(短歌の授業と五色百人一首)

前回の額田王については、「問題、ジャジャン!(古っ)「君待つと」の「君」とは誰のことでしょうか?ヒントは「壬申の乱」の登場人物です。」

・・・というクイズを出したりもしますが、まぁ覚えてないんすねこれが。3年生の2学期も半ばとなれば、歴史の受験勉強くらい終わっていてほしいものですが。そもそも「壬申の乱は何年でしょう?」すら答えられない人が多数。勤務校を貶めるつもりはありませんが、受験がかなり不安になってきます。

さて、ググッてみるとこの「君」は天智天皇のことだそうで、そもそも額田王天武天皇の妻だったのに?なんで?ってあたりで、結構女子なんかは「きゃー♥」てなもんです。どちらかというとモロに歴史の授業の内容ですが、こういうのを見ると総合的な学習というのも、もっと小さなスケールならば、やったほうがいいかもしれないと感じたり感じなかったり。まぁ個人的には「総合的な学習などこれっぽっちもいらぬ!」と思っていますけどね。(オイオイ💦)

(はむかいたいけど「ごまめの歯ぎしり」ですな。)

さて、ご存じの通り、光村3年の教科書の、短歌の教材で取り上げられている有名なもののうち、百人一首に入っている歌が4首あります。ご存知とは思いますが、一応挙げておきますと

春過ぎて夏来るらし白たへの衣干したり天の香具山(持統天皇)

春過ぎて夏来にけらし白たへの衣ほすてふ天の香具山(百人一首)

田子の浦にうち出でてみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける(山辺赤人

田子の浦ゆうち出出てみれば白たへの富士の高値に雪は降りつつ(百人一首)

人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける(紀貫之)

玉の緒よ絶えなば耐えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする(式子内親王)

・・・の4つです。これまたご案内の通り、雑談の大好きな私は、万葉集の2つについては、百人一首バージョン、というか藤原定家バージョンも教えています。(&「三夕の歌」も。)

そこまではよしとして、私はさらに「まとめ」と称して生徒に「五色百人一首」をやらせています。これは、昔の同僚のT先生から教わったもので、本来小学生向けの教材なのですが、これが意外と中学生(それも3年生)でも、夢中になってやるんですよね。というか、そもそも1、2年生の時から、「授業するのがダルいなぁ」という時「生徒の集中力が切れてきてるなぁ」という時にやらせてきました。

大きな声では言えませんが、大昔に事務にお願いして一クラス分のセットを買ってもらい、その後の学校でもずっと持ち歩いて使っています。(20年近く経つから時効時効)それ以外に、ひどい時には道徳の授業で「日本の伝統文化に触れる」と称してやらせたりしてきました。取り札20個+読み札1個が、27cmの靴の空き箱にちょうど入るんで持ち運びに便利なんですよこれがW

 ←まさにシンデレラフィット

百首が五色に分けてあり、20枚のうち17枚取る勝負という、短い時間でできるし、相手をどんどん換えていくとみんなかなり熱中してがんばります。T先生には本当に良い物を教わったと感謝しています。 

それよりも昔には、下の句かるたとか板かるたと呼ばれるものをやらせていました。学校によっては、複数のセットが教材室なんかに眠っていたりしますし、生徒によっては児童会館でやってた、などという子もいるので、逆に上の句から詠んで下の句を取る、正調の百人一首のほうが新鮮に感じるようです。(下の句かるたも、これはこれで立派な北海道の文化だと思うけれど、さすがに初見では全然読めないし、人やら我やらの札の見分けも難しいので、パワポで画像を出しながらやったりしてます。

で、行く先行く先の学校で、自分だけ楽な思い日本文化を尊重していては申し訳ないと思い、事務室にお願いして1学級分のセットを頼んでは置いてきたのですが、どうも皆さん、あまり使ってくれていなさそうで、何だか申し訳ない感じです。読み札と合わせて1学級分で約2万円弱するんですよ。でも私なんぞもう20年くらい使ってますから、かなりコスパはいいと思います。

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ところがまぁ、こちらの指導力不足といいますかなんと言いますか(というかそれに尽きる)実際にやらせるときに、前述の四つの短歌についてだけは、「作者名」→「上の句だけ3回」→「下の句2回」という読み方をするのですが、作者名で取れる生徒、上の句だけで取れる生徒は、それぞれほんの1人か2人くらい。全然授業の成果が出ていないことを、実感させられまして。

楽しそうにやっている生徒とは裏腹に、「忸怩たる思い」をするのでありました。やれやれ、どっとはらい。(それはそれとして、ご存じない国語の先生、マジでオススメですよ五色百人一首。)

こんな雑談をしてきたその9(正岡子規 額田王)

授業の脱線シリーズも結構な分量になってきて、我ながら決して受験には出ないようなことばかり、まぁぐだぐだと随分語ってきたのものだと、改めて呆れてしまいます。でも脱線はまだまだ続きます。(おいおい)

さて、前回は正岡子規石川啄木の名前に関しての雑談を載せましたが、教科書の教材の短歌「紅の二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる」について、解説文では助詞の「の」の繰り返しが生み出すリズムの良さについて説明されています。

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薔薇のとげを「針」と表現し、「針やはらかに」と続けたところが巧みです。新芽のとげのみずみずしく柔らかな様子が伝わってきます。「くれなゐの」「薔薇の芽の」「春雨の」と、助詞「の」が続いていることも、歌に優しさを添えています。(教科書)ところで、以前から気になっていたのですが、それもそうなんでしょうけど、確か以前の教科書では「は」りやはらかに「は」るさめの振る、の方の「は」の繰り返しに着目していたと記憶しています。そしてそころから、「それだけなのかな?」とも思っていました。

というのは個人的に、「ばら」→「はり」→「はる」→「ふる」の四語の語感の流れが似ていることが、この短歌の妙な語呂の良さを生み出しているのではないか?と感じていたからです。ハ行とラ行の組み合わせの妙は、ひょっとしたら偶然の産物なのかもしれませんが、もしこれが意図的なものだったら、まさに天才的な織り込み方だし、またもし意図的だったとしたら、気づいてあげることが読者としてのマナーかな、と思うわけです。とりあえずこのような、調べればわかるのかどうかわからない微妙な妄想?についても、「ポンコツ説として」授業の中で話したりします。

他にも、「多分こうなんじゃないかと思ってるけどちょっと調べても確信が持てない、けれども生徒には言いたい」教材があります。例えば額田王の短歌「君待つと我が恋ひ居れば我が屋戸のすだれ動かし秋の風吹く」についてです。

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教科書の口語訳では、「あなたのおいでを待って私が恋しく思っておりますと、我が家の戸口のすだれを動かして、秋の風が吹いております。」・・・となっています。これについての異論は一切ありません。(・∀・)キター!と思ったら、何のことはない風のイタズラで(´・ω・`)ショボーンという、まあ生徒にも(特に女子には)よくわかりやすい短歌です。(ニヤニヤするのは圧倒的に女子が多いですw)

ただ、これだけではつまらないのでポンコツ説」として、「誰も言っていないけど実はこうなんじゃないか?」という口語訳をブッコミます。曰く・・・

「~秋の風が吹いております。(以下ポンコツ説)待っていてもあなたは来ない・・・ひょっとして私に飽きちゃったの!?だけに?!」という、なんだかザキヤマとかのお笑い芸人とかが言いそうな、突拍子もない説を紹介します。つまり、「秋=飽き」という「掛詞」ではないか?という「ポンコツ説」です。

この「秋=飽き」は、掛詞としては非常にポピュラーなものだそうで、実は「絶対にありえない」ほどヒドイ説ではないのですが、指導書にもネット上のいろいろな解説にも、一切この説は出てきません。なのでドヤ顔して説明できるようなものではないのですが、「掛詞」の例としては、非常にわかりやすいと思うので、無理矢理の感がありますがここで「掛詞ってこんなんだよ。」と説明に使っています。(生徒も「キャー❤」とかなってますし。)ネットにもどこにも載ってないし、確証もないので、あくまでも「個人の感想です。」として教えていますし、テストにも出せませんが、こんなことも授業で話したりしています。けれど・・・ああ、またあの声が聞こえる・・・

 おあとがよろしいようで・・・

久々の発寒川チェアリング と不注意からの炎上案件

北海道はもう完全に冬です。今月の初め、ある温かめな休日。これが最後かもしれないとばかり、毎度お馴染み発寒川河川敷にチェアリングにやってきました。前日、暇に任せてMr.shuさんのYouTubeを見ていて、ムラムラと「チキンラーメンチャーハン」を食べてみたくなったのです。

この方の動画については、以前武田バーベキューさんの動画に出演中の徳井さんの話に出てきたのですが、まぁ陽気なマシンガントークのおっさんです。(私よりは年下でしょうが)そしてこの方の動画の特徴は「とにかく長い」1本2時間くらいあります。そして何よりも徳井さんも言っていましたが「めちゃくちゃしゃべるのに驚異的に噛まない」のです。もう最近教科書を読んでいても噛みまくりの私としては、非常にうらやましいスキルです。キャンプ動画好きの方ならご存知でしょうが、初めての方はこの「噛まないスキル」は一見の価値がありますよ。

https://www.youtube.com/c/MrSYU

さて、米と卵とコーヒー豆は自宅から持ち出し、30分弱のサイクリングの後、近くの生鮮市場で「ホンコンやきそば」と冷凍ネギを買い、(チキンラーメンチャーハンのはずですが、そこは自己満へそ曲がり流、そのまんまではつまらんと、ちょっとだけひねってみました。)

 

チャーハンなら早めに米を炊いて、一度冷ますくらいの方がいいのでしょうが、到着した段階でもう12時近く。急いで米を炊きます。まずは米を浸水し、新アイテム①の「軽くてすぐ飛んでしまう」のでお馴染みの、チェアゼロのグランドシートを装着し、ウォーターバッグを置きます。まぁ今日はほとんど風がないので必要ないかもしれませんが、これでカンペキ・・・のはず。(フラグ1)

 

続きまして取り出したりますは、新アイテム②雑誌の付録のテーブル。

 

すごく軽いし、内容物はこんな感じ。

 

大きさ的にはちょっと小さめだけど、チェアリングには十分過ぎるくらいです。これは買って良かった。(本と合わせて3000円したけど、本も自転車キャンパーには面白い内容でしたから全然OK。よく見るYouTuber「たかにぃ」さんも載ってたし。)

 

凍ったネギを解凍しつつ、アルストで米を炊く準備をしよう・・・と思ったら五徳を忘れてきていたことが判明。アルストに固形燃料を乗せて、ウッドストーブで焚いてみようと考え、何だか妙ちくりんなことになってしまいました。(ウッドストーブの上のX型の金具だけ乗せれば良かったことに気づきましたが後の祭り。)さらに新アイテム③のファイヤスターターで着火してみます。(火吹き棒とオソロの山麓工房さんの製品)

 

 

米を炊いている間に、前回の厚田キャンプの残りの薪を使ってフェザースティック的なものを作ります。今回は、残りの薪を消費するのも目的の一つで(フラグ②)、米が炊けたらウッドストーブで薪を燃やし、チャーハンを作るつもりです。(フラグ③)Mr.shuさんの動画に従って、粉々にした「ホンコンやきそば」を「水」に浸します。(本当はチキンラーメンを少量のお湯に浸すのですが) 

 

ところで、皆さんはこの「ホンコンやきそば」をそのまま食べたことがありますか?やったことがある方ならおわかりでしょうが、「ベビースターラーメン」とほぼ同じ味です。チキンラーメンとは多分微妙に味が違うでしょうが、まあ間違いは無いはず。

さて、米も炊けたようなので蒸らしつつ(実は途中で固形燃料が切れてしまい、アルストで炊いたというしくじり。ちょっと火が遠かったかな。そういうえば、「オシャカになる」という言葉の語源が、「ヒ」と「シ」が曖昧な、江戸の下町の職人が細工をしくじった言い訳に「火が強かった」→「シが強かった」→「四月八日だ」→お釈迦様の誕生日・・・と聞き間違えたとかなんとか。)チャーハンにする準備を始めます。

 

油を引いた?敷いた?フライパンに卵を落としてかき混ぜ、ご飯を投入します。(まだホッカホカだし、かなり柔らかめに炊けているのが気になりますが。)さらに砕いたホンコン焼きそばを投入し、トドメにネギを加えて炒めます。

 

 

そしてできあがったのがコチラ!(・・・おわかりいただけたであろうかフラグ④)

で、お味の方は・・・うーむ、「想像した通りの味」ですな。決してマズくはないが、YouTuberの方がなさるようなリアクションを取るほど極端に「ウマイ!」というわけではなく、「まあ・・・普通にウマイ」ってところですか。(もちろん録画もしていないのに、一人でのけぞったり、「サイコー!」とか親指を立ててたりしたら、かなりイタイわけですけども。)

これがチキンラーメンだったらまたちょっと違ったのかもしれませんが。とはいえ満腹・満足して満ち足りた気持ちになりました。では食後のコーヒーでも・・・と思い、ウォーターバッグを持ち上げた数秒後に吹く一陣の風!(いえ、その前から少しずつ風が強まっていたのは感じていたのですがね。)

えぇえぇ、飛んでいきましたよ尻軽女チェアゼロが!燃えさかるウッドストーブめがけて!そしてこうなりましたよ!それはもう大急ぎで救出したんですけどね!qあwせdfrtgyふじこlp;@:「」!!!!

・・・はぁ、凹みますなぁこういうの。軽いから飛びやすいってのが分かってて、わざわざグランドシート買って、重しまで置いてたのに。とはいえ、座って座れないこともなかったので、気を取り直してコーヒーを飲み、穴の開いたいすに座り、ややしばらく呆然としてから、力なく家路につきましたとさ。とほほん。(←「パチスロ一人旅」より)

  

家に帰ってから頼みの綱の「ゴリラテープ」で修繕。まだまだ使いますよええ!

世の中にはこういう時に使うと便利な言葉がありますね。「それも味のうち」それではまた、お時間があれば読んでやってください。

こんな雑談をしてきたその8(正岡子規 石川啄木 そして陰謀論)

短歌の教材では、結構名前ネタの雑談を含めることが多いです。(ドヤ顔することではないのですが。)まずは正岡子規。で、どんな駄ボラを吹くかと言うと(これまた別に吹く必要はないのですが。)「この人は本名「昇 のぼる」という。さてバスケ部のやつはいるかな?バスケットボールって、漢字でどう書く?」(籠球  ろうきゅう)「じゃ、バレー部は?」(排球 ハイキュー)」「バドミントンは?」(羽球 読み方わからん。公式の読み方あるのかな?)まぁこの辺までは知ってるんですわ皆さん。「サッカー部は?」(蹴球   しゅうきゅう)←これは漢字をかけない生徒が多いですね。籠球もだけど。

「ではベースボールは?」「野球」「その、ベースボールを野球と訳したのがこの正岡子規と言われているんだが、なぜそう訳したかわかるか?」「ヒントは正岡子規の本名にある」「そうだ、のぼる、つまり野・ボール。だから野球が好きだった正岡子規は、自分の名前にひっかけて、野球と訳したんだ。」「へぇ~」

さん、はい。「・・・すまん。これはウソだ。」「はぁ~あ?!」「正岡子規が野球を好きだったのは本当だが、これは都市伝説で、野球と訳した人は他にいる。また騙されたようだな。タケちゃんマン(実は私も、結構最近までこの都市伝説を信じていましたが。)」・・・ということで、またイタイケな生徒を騙して喜んでいるイケナイ老害教師です。(反省はしている。だが後悔は以下略)

そういえば、先日修学旅行の引率で東京の上野公園を巡視していた時、、公園の一角にひっそりと「正岡子規記念球場」があることを見つけ、ちょっとホッコリしましたな。生徒が近くにいなかったのが残念です。

同じく上野公園の、「握手」の最初の場面で、主人公とルロイ修道士が落ち合った西洋料理店というのは、おそらくこれだろう、と思われる有名な「精養軒」も見つけて結構コーフンしていたのですが、やはり近くに生徒がいなかったので、コーフンを分かち合うことができませんでした。残念~無念~非行少年~ナナナナーナナナナーナナナナながのけーん。(割とジョイマンって好きなんです。まことにすみまメーン)

 

・・・気を取り直して、短歌の作者の名前ネタその2

井上ひさし曰く「泣き虫生意気石川啄木」についてです。この人は本名「一」と書いて「はじめ」と読みます。で、この雅号「啄木」の意味ですが、これはある鳥のことです。さて、何の鳥でしょうか?(これについては、「啄む」の訓読み「ついばむ」を教えると気づく生徒が結構いますね。)で、次の質問としてずっと出しているのが、「では、キツツキを英語でなんと言うでしょう?」

これの答えが、ヒントを出してもわからない生徒が年々増え、それどころかヒントそのものがわからない、という生徒もどんどん増えてきているので非常にやりづらいです。ヒント曰く「トムとジェリーみたいによく再放送していたアメリカのアニメで、赤い頭で青い体の、なんでもつついて削ってしまう鳥が主人公のアニメなんと言った?」さて、老害世代ならわかっても、Z世代の皆さんはこのヒントでわかりますかね?「知らないかなぁ、頭の毛がとがってて、青い体の?」「ソニック!」

・・・うん、まぁ一部合ってるけどね。てな感じで、正解の「ウッドペッカー」にたどり着くまでに約5分。そもそも、「トムとジェリー」は知っていても、ロードランナーやウッドペッカーは全然再放送されないようで、となると知らないのも無理ないですわなぁ。昭和は遠くなりにけり。で、余計な話はこれで終わるかと思いきや、さにあらず。(ドヤ顔することではない)

 第597回 ロードランナー|翆野 大地|note

混同されがちですが、左がウッドペッカー、右はロードランナーですね。

あとは北海道にも縁が深く、小樽や函館や釧路に歌碑があり、借金ばかりしていて見栄っ張り。女遊びが大好きで人間としてはダメダメもいいとこ。短歌としては「三行書きが特徴で何かと言うとすぐ泣く」ので見分けやすい、というあたりまで説明して約10分。これだもの進まないわなぁ。(反省はしている。だが後悔は以下略)

ついでに、「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」の一首を必ず教えます。つまり、この歌をイメージすると「一握の砂」「悲しき玩具」という二つの歌集を思い出せるぞ、と。(実際どれくらい役に立っているやら)

雑談はさらに続きまして、「そんなダメ人間の啄木を、ずっと支えてくれた、やがてアイヌ語の研究で有名になり、国語の辞書の編集とかに名前が載る有名な学者が居るんだけど、知っているかな?」「有名な天才で、この人の名前を取って横溝正史という推理小説作家が自分の小説の名探偵の名前に借りたんだけど?」・・・(この話は、私が教師になった初めの頃の生徒にはすぐピンときました。当時角川映画の「八つ墓村」やら「犬神家の一族」やらがおおはやりだったからです。ところが最近の生徒は横溝正史なぞとんと読まなくなったし、映画とかもやらないのでさっぱりわかりません。この辺もジェネレーションギャップでしょうね。)

ある程度の年齢の方なら、その探偵の名が「金田一耕助」であることはご存知ですね。そしてその名前の元になった国語学者が「金田一京助」であることは、ちょっとしたミステリファンならご存知ですよね。(そういえば最近、お孫さんの金田一秀穂さんテレビに出ませんね。)

当然中学生はそんなことは知りませんが、その金田一耕助の孫、逆に言えば金田一耕助を「じっちゃんの名にかけて!」と引き合いに出すのが、かつて少年マガジンに連載されていた「金田一少年の事件簿」の主人公である「金田一一(きんだいちはじめ)」であることは、中学生でも若干は知っています。

・・・お分かりでしょうか。、ここでひとつのことが一本の線で繋がるのが。石川啄木、本名石川一(はじめ)と仲の良かった金田一京助。その名を借りた金田一耕助、その孫という設定の主人公の名前が一(はじめ)である。これは偶然にしては出来すぎていないか???・・・と言うと、生徒は「なるほど~!」と感心したりします。


但し、「金田一少年の事件簿」の原作者が、本当にそのつもりでつけたのかどうかはわかりません。調べたらわかるのでしょうが、単に面白名前としてつけただけかも知れません。でも、それではつまらないじゃないですか。

はい、こうやって世の中に「陰謀論」が作られていくわけです。今回のは最終的に嘘なのかどうなのかがハッキリしないので、「授業でついたウソ」とはしませんが、正解をご存知のかたがいらっしゃいましたら、ぜひ教えていただきたいと思います。あー、いかにもそれらしい嘘って面白いなあ。(オイオイ)それではまた。

こんな雑談をしてきたその7(モアイは語る 握手)

「モアイは語る」の中で、ヤシの木が減った理由として①コロに使った②燃料や家の材料に使った、以外に③農地を広げるため伐採した、と書いてあります。根拠(最近はエビデンスとかいうらしいですね。知らんけど。)として、「イネ科やタデ科の植物の花粉が増えた」としてありました。で、この「タデ科」についてなんですが・・・

この「タデ」って植物が、食べたことないけどやたら「辛い」らしいんだよ。さて、それでできたことわざが、「蓼(タデ)食う虫も・・・」なんでしょう?

 ←ググったらこんな植物なんですね。知らんかったわ。

「タデ食う虫も?」・・・「カブトムシ」「横になる(←これはちょっとセンスを感じましたが、聞き間違いですわなあ。)」「空を飛ぶ」等々、やはり全然知られてませんでしたね。最終的に「蓼食う虫も好き好き」、つまり「辛い蓼もそれが好きで食べている虫がいるように、人の好みなんて千差万別である」ということの例えなんだよ。まぁそこまでは普通の授業の中の雑談なんですが・・・

余計な一言を言ってしまうのが悪い癖の老害としては、そこで「私は個人的に韓流ってやつが大っ嫌いだけど、K-POPだのTBSだの(←含みを持たせてわざと間違う)すんごく好きな人もいたりするだろ?そういうことさ。」なんて付け加えたりするもんだから、クラスの女子数名から嫌ぁ~な目でにらまれたりします。それがまたたまらん。(ドMか!)これまた「反省はしている。だが後悔はしていない。」案件ですね。

そもそも、現代っ子がこういうことわざや故事成語、あるいは慣用句などの、古くから伝わる言葉を知らないのは仕方がないとはいえ、特に「昔話」「おとぎ話」「童謡」を知らない子が、やはりどんどん増えてきているように感じます。「まんが日本昔話」が終わってしまったのは、結構残念な出来事だったのではないかと思います。

例えば、ということで3年生の「握手」の中での脱線をば。ルロイ修道士は太平洋戦争中に、強制労働させられて、「足柄茶」の栽培をさせられていましたが、「ここで問題です。昔この足柄山にいたとされる、怪力の持ち主の子供といえば誰でしょう?」ポクポクポク・・・チーン!はぃ残念。みんな歌知らないかい?♪あ~しがらや~まの・・♪ハイ誰?!ここで数名が「あ、金太郎!」と思い出しますね。(出てこなかったら「クマと相撲を取った人だよ。」で大体はピンときます。)はい、では続いて、「その金太郎が成長して、源頼光の四天王として酒呑童子という大江山の鬼を退治しにいきましたが、その時の名前は何と言ったでしょう?」

まぁさすがにコレを知ってる子はそうとうなヲタクかマニアでしょうから、これはほぼ無茶振りなクイズです。答え「金太郎は成長して、坂田公時(金時)と呼ばれるようになりました。」ここで結構な生徒が「え?坂田の銀時じゃないの?」と言いますね。「銀魂」の主人公の名前に、「坂田金時」という元ネタ(パロディ)があることを初めて知って、「へぇ~」となります。(ただし、もうそろそろ「銀魂」も古くなってきましたが。)

こういうちょっとした小ネタに、意外と生徒は食いつきます。うまくそういう豆知識などを織り込んでいくと、だらけた雰囲気がホイミ程度にちょっと回復します。(そもそもだらけさせるなよ、って話ですが。)こういう名前の元などの小ネタは、短歌や俳句の授業の中でもよく出してます。次回は短歌の作者の名前に関するネタの雑談など。

銀魂キャラ】銀時のプロフィールまとめ6項目 - 銀魂.com ←私は逆に名前しか知らないんですけどね。