ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室と老害アウトドア

中学校の国語や趣味に関する話題を中心に書いてます。

こんな雑談をしてきたその8(正岡子規 石川啄木 そして陰謀論)

短歌の教材では、結構名前ネタの雑談を含めることが多いです。(ドヤ顔することではないのですが。)まずは正岡子規。で、どんな駄ボラを吹くかと言うと(これまた別に吹く必要はないのですが。)「この人は本名「昇 のぼる」という。さてバスケ部のやつはいるかな?バスケットボールって、漢字でどう書く?」(籠球  ろうきゅう)「じゃ、バレー部は?」(排球 ハイキュー)」「バドミントンは?」(羽球 読み方わからん。公式の読み方あるのかな?)まぁこの辺までは知ってるんですわ皆さん。「サッカー部は?」(蹴球   しゅうきゅう)←これは漢字をかけない生徒が多いですね。籠球もだけど。

「ではベースボールは?」「野球」「その、ベースボールを野球と訳したのがこの正岡子規と言われているんだが、なぜそう訳したかわかるか?」「ヒントは正岡子規の本名にある」「そうだ、のぼる、つまり野・ボール。だから野球が好きだった正岡子規は、自分の名前にひっかけて、野球と訳したんだ。」「へぇ~」

さん、はい。「・・・すまん。これはウソだ。」「はぁ~あ?!」「正岡子規が野球を好きだったのは本当だが、これは都市伝説で、野球と訳した人は他にいる。また騙されたようだな。タケちゃんマン(実は私も、結構最近までこの都市伝説を信じていましたが。)」・・・ということで、またイタイケな生徒を騙して喜んでいるイケナイ老害教師です。(反省はしている。だが後悔は以下略)

そういえば、先日修学旅行の引率で東京の上野公園を巡視していた時、、公園の一角にひっそりと「正岡子規記念球場」があることを見つけ、ちょっとホッコリしましたな。生徒が近くにいなかったのが残念です。

同じく上野公園の、「握手」の最初の場面で、主人公とルロイ修道士が落ち合った西洋料理店というのは、おそらくこれだろう、と思われる有名な「精養軒」も見つけて結構コーフンしていたのですが、やはり近くに生徒がいなかったので、コーフンを分かち合うことができませんでした。残念~無念~非行少年~ナナナナーナナナナーナナナナながのけーん。(割とジョイマンって好きなんです。まことにすみまメーン)

 

・・・気を取り直して、短歌の作者の名前ネタその2

井上ひさし曰く「泣き虫生意気石川啄木」についてです。この人は本名「一」と書いて「はじめ」と読みます。で、この雅号「啄木」の意味ですが、これはある鳥のことです。さて、何の鳥でしょうか?(これについては、「啄む」の訓読み「ついばむ」を教えると気づく生徒が結構いますね。)で、次の質問としてずっと出しているのが、「では、キツツキを英語でなんと言うでしょう?」

これの答えが、ヒントを出してもわからない生徒が年々増え、それどころかヒントそのものがわからない、という生徒もどんどん増えてきているので非常にやりづらいです。ヒント曰く「トムとジェリーみたいによく再放送していたアメリカのアニメで、赤い頭で青い体の、なんでもつついて削ってしまう鳥が主人公のアニメなんと言った?」さて、老害世代ならわかっても、Z世代の皆さんはこのヒントでわかりますかね?「知らないかなぁ、頭の毛がとがってて、青い体の?」「ソニック!」

・・・うん、まぁ一部合ってるけどね。てな感じで、正解の「ウッドペッカー」にたどり着くまでに約5分。そもそも、「トムとジェリー」は知っていても、ロードランナーやウッドペッカーは全然再放送されないようで、となると知らないのも無理ないですわなぁ。昭和は遠くなりにけり。で、余計な話はこれで終わるかと思いきや、さにあらず。(ドヤ顔することではない)

 第597回 ロードランナー|翆野 大地|note

混同されがちですが、左がウッドペッカー、右はロードランナーですね。

あとは北海道にも縁が深く、小樽や函館や釧路に歌碑があり、借金ばかりしていて見栄っ張り。女遊びが大好きで人間としてはダメダメもいいとこ。短歌としては「三行書きが特徴で何かと言うとすぐ泣く」ので見分けやすい、というあたりまで説明して約10分。これだもの進まないわなぁ。(反省はしている。だが後悔は以下略)

ついでに、「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」の一首を必ず教えます。つまり、この歌をイメージすると「一握の砂」「悲しき玩具」という二つの歌集を思い出せるぞ、と。(実際どれくらい役に立っているやら)

雑談はさらに続きまして、「そんなダメ人間の啄木を、ずっと支えてくれた、やがてアイヌ語の研究で有名になり、国語の辞書の編集とかに名前が載る有名な学者が居るんだけど、知っているかな?」「有名な天才で、この人の名前を取って横溝正史という推理小説作家が自分の小説の名探偵の名前に借りたんだけど?」・・・(この話は、私が教師になった初めの頃の生徒にはすぐピンときました。当時角川映画の「八つ墓村」やら「犬神家の一族」やらがおおはやりだったからです。ところが最近の生徒は横溝正史なぞとんと読まなくなったし、映画とかもやらないのでさっぱりわかりません。この辺もジェネレーションギャップでしょうね。)

ある程度の年齢の方なら、その探偵の名が「金田一耕助」であることはご存知ですね。そしてその名前の元になった国語学者が「金田一京助」であることは、ちょっとしたミステリファンならご存知ですよね。(そういえば最近、お孫さんの金田一秀穂さんテレビに出ませんね。)

当然中学生はそんなことは知りませんが、その金田一耕助の孫、逆に言えば金田一耕助を「じっちゃんの名にかけて!」と引き合いに出すのが、かつて少年マガジンに連載されていた「金田一少年の事件簿」の主人公である「金田一一(きんだいちはじめ)」であることは、中学生でも若干は知っています。

・・・お分かりでしょうか。、ここでひとつのことが一本の線で繋がるのが。石川啄木、本名石川一(はじめ)と仲の良かった金田一京助。その名を借りた金田一耕助、その孫という設定の主人公の名前が一(はじめ)である。これは偶然にしては出来すぎていないか???・・・と言うと、生徒は「なるほど~!」と感心したりします。


但し、「金田一少年の事件簿」の原作者が、本当にそのつもりでつけたのかどうかはわかりません。調べたらわかるのでしょうが、単に面白名前としてつけただけかも知れません。でも、それではつまらないじゃないですか。

はい、こうやって世の中に「陰謀論」が作られていくわけです。今回のは最終的に嘘なのかどうなのかがハッキリしないので、「授業でついたウソ」とはしませんが、正解をご存知のかたがいらっしゃいましたら、ぜひ教えていただきたいと思います。あー、いかにもそれらしい嘘って面白いなあ。(オイオイ)それではまた。

こんな雑談をしてきたその7(モアイは語る 握手)

「モアイは語る」の中で、ヤシの木が減った理由として①コロに使った②燃料や家の材料に使った、以外に③農地を広げるため伐採した、と書いてあります。根拠(最近はエビデンスとかいうらしいですね。知らんけど。)として、「イネ科やタデ科の植物の花粉が増えた」としてありました。で、この「タデ科」についてなんですが・・・

この「タデ」って植物が、食べたことないけどやたら「辛い」らしいんだよ。さて、それでできたことわざが、「蓼(タデ)食う虫も・・・」なんでしょう?

 ←ググったらこんな植物なんですね。知らんかったわ。

「タデ食う虫も?」・・・「カブトムシ」「横になる(←これはちょっとセンスを感じましたが、聞き間違いですわなあ。)」「空を飛ぶ」等々、やはり全然知られてませんでしたね。最終的に「蓼食う虫も好き好き」、つまり「辛い蓼もそれが好きで食べている虫がいるように、人の好みなんて千差万別である」ということの例えなんだよ。まぁそこまでは普通の授業の中の雑談なんですが・・・

余計な一言を言ってしまうのが悪い癖の老害としては、そこで「私は個人的に韓流ってやつが大っ嫌いだけど、K-POPだのTBSだの(←含みを持たせてわざと間違う)すんごく好きな人もいたりするだろ?そういうことさ。」なんて付け加えたりするもんだから、クラスの女子数名から嫌ぁ~な目でにらまれたりします。それがまたたまらん。(ドMか!)これまた「反省はしている。だが後悔はしていない。」案件ですね。

そもそも、現代っ子がこういうことわざや故事成語、あるいは慣用句などの、古くから伝わる言葉を知らないのは仕方がないとはいえ、特に「昔話」「おとぎ話」「童謡」を知らない子が、やはりどんどん増えてきているように感じます。「まんが日本昔話」が終わってしまったのは、結構残念な出来事だったのではないかと思います。

例えば、ということで3年生の「握手」の中での脱線をば。ルロイ修道士は太平洋戦争中に、強制労働させられて、「足柄茶」の栽培をさせられていましたが、「ここで問題です。昔この足柄山にいたとされる、怪力の持ち主の子供といえば誰でしょう?」ポクポクポク・・・チーン!はぃ残念。みんな歌知らないかい?♪あ~しがらや~まの・・♪ハイ誰?!ここで数名が「あ、金太郎!」と思い出しますね。(出てこなかったら「クマと相撲を取った人だよ。」で大体はピンときます。)はい、では続いて、「その金太郎が成長して、源頼光の四天王として酒呑童子という大江山の鬼を退治しにいきましたが、その時の名前は何と言ったでしょう?」

まぁさすがにコレを知ってる子はそうとうなヲタクかマニアでしょうから、これはほぼ無茶振りなクイズです。答え「金太郎は成長して、坂田公時(金時)と呼ばれるようになりました。」ここで結構な生徒が「え?坂田の銀時じゃないの?」と言いますね。「銀魂」の主人公の名前に、「坂田金時」という元ネタ(パロディ)があることを初めて知って、「へぇ~」となります。(ただし、もうそろそろ「銀魂」も古くなってきましたが。)

こういうちょっとした小ネタに、意外と生徒は食いつきます。うまくそういう豆知識などを織り込んでいくと、だらけた雰囲気がホイミ程度にちょっと回復します。(そもそもだらけさせるなよ、って話ですが。)こういう名前の元などの小ネタは、短歌や俳句の授業の中でもよく出してます。次回は短歌の作者の名前に関するネタの雑談など。

銀魂キャラ】銀時のプロフィールまとめ6項目 - 銀魂.com ←私は逆に名前しか知らないんですけどね。

走れメロスの主題について思ったこと

えー、先日機会があって、他の学校の先生の研究授業を見てきました。お若い先生でしたが、「走れメロス」の主題に迫るという、なかなかにハードルの高い内容の授業を公開されていました。正直「走れメロス」の公開授業は初めて見ましたし、私自身もこのブログで「太宰治」「走れメロス」についての私見を述べるのはなかなかに勇気がいりました。チャレンジ精神にほとほと感服いたしました。

さて、その「走れメロスの主題に迫る」授業を自分自身がやるとしたら、どういう展開になり、どう着地させるだろうか?あるいは生徒それぞれが感じた主題を交流し合って終わらせるだろうか?・・・などと、授業を見ながらぼんやり考えて(まぁ四六時中ぼんやりしているのですけど)いました。で、しばらーくぼんやり考えているうちに、「すごくこわいかんがえになってしまった。」のです。

 (ぼのぼのにそういうセリフがあったような?)

あれ?主題というものが、「作者が伝えたいこと」だったとしたら、ひょっとしてそれって「原典の人質ってなんだかありきたりでつまんないから、こうした方が面白いんじゃね?」と、太宰が思って書いただけじゃないのか?と考えてしまったのです。つまり、「人の心を動かすのは、全ての虚飾を捨て去った純粋な心だ」とか、小難しいこと考える必要なんてなく、単純にエンタテイメントとして、古臭い勧善懲悪?の話を作り替えて楽しませたかっただけじゃないのか?・・・なんて考えついてしまったのです。いわば「主題なんて無い。あえていうなら面白い話を書きたかっただけ。」なんてことを思ってしまったのです。怖いですね~恐ろしいですね~

(←この人のこと知ってる人減っただろうなぁ)

などと打っていたら、さらに怖い考えになってしまったんですけど。何かというと、「これってひょっとして、太宰流羅生門なんじゃないの?!」という考えです。

私レベルの不勉強な国語教師でも、太宰がやたら芥川龍之介に傾倒していたことは知っています。(芥川賞がほしくてほしくてたまらなくて、佐藤春夫にやたら長い手紙を書いたんでしたっけ?)そしてご存知の通り、芥川は今昔物語集その他の古典を元に、羅生門やら鼻やら芋粥やら、元ネタを自分流に書き換えた有名な作品を数多く書いています。ひょっとしたら太宰は、芥川に倣って、ひねりの薄い「人質」を、「俺ならもっと面白い話にできる」とばかりに書き換えたのではないか?・・そんな根も葉もない、勝手な怖い妄想を、つい思いついてしまったのです。はい、例のあの人にはこう言われるでしょうね。

ごもっとも、全くその通り。ただし論破されたとは思いません。学者先生ならともかく、一介の国語教師という、吹けば飛ぶような将棋の駒に立場だからこそ言える、無責任で自由な妄想ってのは、きっと許してもらえるんじゃないですかね?知らんけど。

ということで、今回のブログは、リアルに個人的な思いつきというか妄想を、ただ垂れ流しただけのものになってしまいました。(反省はしている。だが以下略)でもまぁそもそもが「自己満へそ曲がり流」につきご勘弁ください。

それにしても、浜の真砂は尽きるとも、世に「走れメロス」のネタはつきまじ、と石川五右衛門が言ったとか言わないとか。また何か発見(とか妄想)があれば載せたいと思います。本日はこれまで~。

追伸 気づいたらこれでブログに載せた記事が100本を越えました。もしよろしければ今後もご愛読いただければ幸いです。読んでいただいている皆様、ありがとうございました。

こんな雑談をしてきたその6(盆土産 モアイは語る)

授業の中の小ネタその4で、「盆土産」について打っていたはずが、猪木さんの訃報を聞いて途中で脱線してしまいました。授業での雑談ネタがもう少しあったので、話を「盆土産」に戻します。

おそらく昭和中期、高度経済成長期ころの話である「盆土産」には、なかなかZ世代(使ってはいますが、これどういう意味なんでしょうね?)が聞いたことのないような言葉がいくつか出てきます。以前に載せた「あみだかぶり」もそうですし、例えば、主人公が撒き餌としてエゴマを川面に吹き散らかした時、小魚が食いついて水面が「あばた」のようになった、という表記がありました。これがやっぱりZ世代・・・ええぃしゃらくせぇ。現代っ子には分からない。説明もちょっと面倒くさい。

「今では根絶されたけど、昔は天然痘という病気があって、かかると顔とかに水疱が出来て、治ったあとで皮膚がボコボコになってしまうんだが、それをあばたと言うんだよ。」という説明の後、引き合いに出すのが「ほら、ブラックマヨネーズの痩せてる方の人みたいなの。」という説明です。(リアルに失礼ですし、一昔前なら「ケーシー高峯」と例えたのですが、現代っ子はまず知らないだろうから、無断利用させてもらっています。)でもブラマヨもあんまり有名ではなくなったらしく(益々失礼)ピンとこない子が増えてきたようです。

そこから雑談で「顔がボコボコになってしまうから嫌がられたんだけど、そんなあばたでも、惚れてしまうと別のものに見えてしまう、ということわざがあるんだけど、わかるかな?あばたもホニャララって。」と発問します。まぁ出てきませんわナァ。「あばたもニキビ」だの「あばたも吹き出物」だの・・・ちがうちがう、顔がへこむやつあるだろ?「あばたもグーパン!」・・・おいおい。うーん、笑うとくぼむやつだよ。「あ、わかった、あばたも笑窪(えくぼ)だ!」やれやれ。

いやぁ、日常生活でみんな使わなくなったから、仕方がないのかも知れませんが、現代っ子にはまぁことわざ慣用句故事成語の類いがなかなか通じません。国語科の予算で、いろはかるたを買ってもらって、班ごとでやってみたりもしましたが、ほとんどのことわざを全然知らない、という反応でした。ことわざといえば、「モアイは語る」の中でも、ことわざに関連して、こんな雑談をすることが多いです。(ネタバレ注意)

「モアイは語る」の論説の展開で、一番盛り上がるところとして、二系統の流れを使って「文明崩壊」につながることを学習します。つまり、

一つめとして①コロを作ったり、燃料にしたり、耕地を広げるためヤシの木を切る→②表層土壌が流出する→③作物が取れなくなる→④食糧危機が起こる→⑤部族間の争いが起き、文明が崩壊する、という流れ。

もう一つは①コロを作ったり(以下略)→②船が作れなくなる→③魚や貝がとれなくなる→④食糧危機が起こる→⑤部族間の(以下略)・・・という二つの流れから文明の崩壊に至った、という展開なわけですが、この確認の授業の時に、まず「バタフライエフェクト」ということについてチラッと触れます。あるちょっとした出来事が、巡り巡って想像もつかないような結果に結びつく、というようなことのたとえなわけですが、「これによく似た日本のことわざを知ってる人いないかな?」と振ってみるわけです。

 見たことないですが結構有名な映画らしいですね。

まぁ大方の予想通り、誰もわからんのですわ。(たまぁ~に、「故事ことわざ辞典」とか好きで読んでいる生徒が分かるくらい)そこでヒントを出すわけです。「風が吹けば?」・・・「寒い」「風邪を引く」「引きこもる」「凧が揚げやすい」等々まぁ珍妙なことわざを編み出すのですが、最終的に正解の「風が吹けば桶屋が儲かる」を示しても、「はぁ~あ?」ってなもんですよ。で、説明するわけです。

風が吹く→砂埃が立つ→目に砂が入る(「小砂眼入して歩行成り難し」ってのは「たらちね」でしたか。)→眼の病気にかかる人が増える→失明する人も出る→盲目になった人は三味線を習う(ここがまず現代っ子には意味がわからない)→三味線が売れると猫が減る(三味線には猫の皮を使っていた、というのを説明すると嫌ぁ~な顔をしますね。そこがまたw)→猫が減るとネズミが増える→ネズミが増えると桶とかをガリガリかじる→桶屋がもうかる、という、ピタゴ〇スイッチも真っ青の連続システムを説明すると・・・まぁポッカーンとしてますわなぁw

こんなのを説明するのに10分近くつかってしまうものだから、まぁ授業が進まない進まない。反省はしている。だが後悔はしていない。(←こういう歌があるそうですな。知らんけど。)なぜなら、老害にできることは、古いことを伝えることだけだから。(ヒドいケツのまくり方だなぁおい。)たった2つのネタで随分長文になってしまいました。でも雑談はまだ続きます。(反省はしている。だが後悔はしていない。)「モアイは語る」については、もう一つことわざに関する雑談の話がありまして、それはまた次回のブログで。よろしければまたおつきあいください。

こんな雑談をしてきたその5(アイスプラネット 平家物語)

嘘つき弥次郎とは落語の登場人物です。私は幼少の頃(多分年長さんか小学校低学年の時)に、誰の演目だか分かりませんが、「酢豆腐」という落語をラジオで聞いて面白さに目覚め、小学生の時は「落語傑作選」とかいう類いの本やら、講談社から出ていた、かなり分厚い興津要監修?の「古典落語」という講談社文庫を面白がって読んでいました。(イメージ的には昭和初期の子供みたいですが、一応昭和40年代だったはず。えれぇ昔だなぁおい)で、落語の中には嘘つき物とでもいうような一分野があり、お題の「嘘つき弥次郎」の中のくすぐり、冬になると鴨がたくさん田んぼに来て、寒い日は水が凍ってしまい、足が氷で固まってしまい、それを鎌で切ってかもをたくさんとることができる、春になると残った足から芽が出てまた鳥になる・・・うそつけえ!へぇ、鴨芽(=かもめ)になります、というベッタベタなギャグに、腹を抱えて笑っていた記憶があります。

それ以来こういう、馬鹿馬鹿しい嘘で人をだますのがかなり好きになったのですが(嫌な性格だね)教師になっても、いかにもそれらしい嘘で生徒を煙に巻く、ということをよくやってきました。(もちろん必ず最後には正しい内容を説明しておわるようにしていますよ。)

そもそも、「人はなぜ勉強するのか?」という問いに対しての、私個人の答えは「人にダマされて損をしないために、正しいことを見極める力を持て、そのために勉強しろ。たとえ偉い人でも、それこそ教科書でも先生が言ってることでも、疑ってかかれ。」という、聞く人が聞いたら怒り出しそうなことを生徒には教えています。(で、その証明としてこのブログの最初の方で書いた「教科書会社にクレームを入れた話」シリーズを紹介しています。教科書批判ではなく作者批判だからセーフだよね?)

ということで私のついてきたうそその1(「アイスプラネット」の授業で)

以前のこのブログで、アイアスプラネットの小ネタとして「ほら」「ほらふき」という言葉について教えること、というのをのせましたが、その「ほら」にひっかけて、「うそとかほらとかの類義語として、デマというのがあるが、あれは何でデマというと思う?」と発問します。(まぁ生徒は、これにかぎらす年中無休四六時中でぽかーんとしているのです)「ある言葉を省略したものなんだが、何だろう?」と続けると、中にはちょっとセンスのある子がいて、「デマかせ、の略だと思います。」と言ってきます。これが出ればしめたもの、「そうですね、デマかせなことを言うから、デマというんですよ。」と、いったん正解の振りをしておいてから、「・・・すまん、これはうそだ。」と、生徒をからかって喜んでいました。(イヤなヤツだね。)でも、これはかなり良くできたウソだと思いませんか?というか生徒が考えつくわけで。(ご存じとは思いますが一応正解は最後に載せておきます。)

 

続いて私のついてきたうそその2(「扇の的」で)

平家物語ではいつも、1時限の半分くらい(以上?)を使い、源氏と平家の戦いの概略を説明します。(本当だったら故立川談志の「源平盛衰記」とかを聞かせたいところですが、長いし下ネタが多いしなので、イタイケな中学生にはそうもいかないのですよ。)で、その中の一部として「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」の話もします。これは「扇の的」ならともかく、以前の教科書(「敦盛の最後」)だったら、その話の前段として必要不可欠な内容ですよね。

その「鵯越の逆落とし」で、こんなことを生徒に話すわけですな。「一ノ谷に陣取った平家に、崖の上から奇襲をかけようとした源義経とその部下達。鵯越と呼ばれる急な崖の上に回り込んで、眼下の平家軍を見下ろすと、完全にこの崖からの攻撃はノーマーク。もしここを下りられたら一気に平家の陣をけちらすことができそうだ。しかし、この急な崖を馬に乗ったままおりられるものか?通りかかった猟師に義経が聞いたんだと。漁師の答え「わしはまぁ、鹿が下りるのは見たことがあるけんどもよぉ、馬で下りるなんてぇのはまぁ、賢いヤツのやることではなかんべぇよぉ。」

それを聞いた義経が「馬も四つ足、鹿も四つ足、鹿が下りられて馬が下りられないはずがない!」と無茶なことを言って全軍突撃させたんだと。何人かは怪我をしただろうが、かなりの数が下りてきて平家軍に襲いかかり、油断していた平家軍を存分に蹴散らした。中に一人、畠山重忠という武将がいて、自分の馬は年取っているから足でも折ったらかわいそうだ、というので馬を担いで下りていったそうだ。銅像も残ってる。

(この頃の馬はこんなに大きくなかったそうです)

それを見ていた猟師が、「あんれまあ、鹿が行けるから馬でも行けるべぇって、そんな馬鹿な話もあるもんだなぁ。」・・・(このあたり「源平盛衰記」とか面白いんですけどねぇ。)と言ったとか言わないとか。「このことから、馬鹿という言葉ができたんだとさ。」生徒「へぇ~。」・・・「すまん。これはうそだ。」生徒「はぁ~ぁ?何それぇ!(怒)」

まぁその後で、中国の昔の皇帝の話をしますけどね。馬を連れてきて家臣に鹿だ鹿だと言われ続けて信じるようになっちゃったってヤツ。でも実はこれも都市伝説で、調べたらサンスクリット語の「莫迦」(=痴の意)から出たとのこと。けれどこっちは話としてはつまらないので、「一説によれば」として、都市伝説の方だけ教えます。

そういえば、国営放送(を装った偏向報道の酷い某)局の、最近の大河ドラマで「畠山重忠」がかなり重要な役で出ていたそうですね。(でも私も見てないし、まして生徒は全く見てないんでしょうが。)

これだけ嘘をつけばもう十分そうですが、そこは「千三つ(千言うなかでホントのことは三つしかない)」の「嘘つき弥次郎」をリスペクトするわたくしめですので、それ以外の駄法螺がまだまだあります。また別の機会に生徒を騙した話をお届けしようと思いますので、よろしければ読んでやってください。どっとはらい

閑話休題(それはともかく) せんみつ、といえば「せんだみつお」って、まだご存命でしたっけ?「金曜10時うわさのチャンネル」ではあんなに大人気だったのに、なんであんなに廃れてしまっただろう?まぁ確かに、今思えば何が面白いのかわからないけど、そんなの現在の芸人でもたくさんいるしなぁ・・・?

閑話休題その2 かなりの回数(独自アドレスに変えてから5~6回?)申請して、やっとグーグルアドセンスに認定していただきました。もちろん公務員なので、今すぐ収益化を図るような設定には出来ませんが、もしクビになったりした時の、頼りないですが「蜘蛛の糸」になってくれれば有り難いですね。ご覧いただいている皆様にも感謝申しあげます。

※「デマ」は「デマゴギー」の略だそうです。(デマ」はドイツ語の「デマゴギー Demagogie」の略で、元来は「政治的な目的で相手を誹謗(ひぼう)し、相手に不利な世論を作り出すように流す虚偽の情報。 また、社会情勢が不安な時などに発生して、人心を惑わすような憶測や事実誤認による情報。」 (日本国語大辞典

老害 手作り麺(ラーメン)に挑戦す

ちょっと変化球で。表題の通り、9月にあった2回の3連休は部活があり、どちらも1日はつぶれました。逆に言えば2日間は休みにはなったのですが、考えれば部活を持っていない人は毎週これなわけで、さほどお得な感じはありません。そこで思い切って3回目の3連休は部活を全休にしました。きっと生徒も喜んでいることでしょう。(残念に思っていたとしても知らぬ存ぜぬを決め込みますけどね。本当は全市大会に出場できる生徒がいたら、その時は3連休にはできなかったわけですが。)

じゃぁキャンプでも・・・と思ったのですが、折しも家人が内地へ(北海道の年寄りは本州のことを「内地」と言います。)出かけ、犬と息子だけ残してキャンプにいくのも心配だったので、家にいるしかなくなりました。さて何をしよう?・・・そうだ、久々に麺でも打つか?と思い立ちまして、夕食にラーメンの麺を作ることにしました。以下はその顛末です。計量も作り方も、一応ネットは参考にしましたが、ほとんど野生の勘です。それでも意外とそれなりのものにはなるので、ご笑納ください。

本来は蕎麦打ちをしたくて、2年ほど前にジョ〇フルAKで麺打ちのセット(麺台、麺棒、こね鉢、こま板、麺切り包丁とDVD)を購入し、合わせてネットでパスタマシンも買い込んで、そば、うどん、パスタ、そしてラーメンを作ったりしてきました。個人的に一番難しいのはそばで、上手くまとまらずボツボツ切れてしまうことが多いのですが、残りの小麦粉系の3つは、さほど極端な失敗にはならずにすみます。それでは、きちんとした人が見たら噴飯ものの、老害ラーメン作りを始めます。

 小麦粉、粉末かんすい、打ち粉(コーンスターチ

息子と二人分300gの麺をつくります。強力粉と薄力粉を150gずつ混ぜまして、

 

 

併行してかんすいと塩を水に溶かします。分量は何となくかんすい3g、塩3g(この辺り300gに対して頭の数字を合わせてみた?というだけなので、良い子の皆さんはちゃんと調べてください。)それを、これも何となくのイメージで130CCの水に溶かし込みます。

 

 

実は小麦粉(薄力粉)もかんすいも、かなり前の物なので(かんすいは1年以上前のものですが、一度に使う量が少ないのでなかなか減らないのですよ。)一抹の不安はありますが、どうせ食べるのは男二人なので、高をくくってそのまま進めます。(ひどい親だねどうも。)

 

 

実際はこの工程での、いわゆる「水回し」ってヤツが最も大切だと言われてるらしいのですが、どうも不器用なものでうまくできません。蕎麦打ちだと「おから状→小豆大→ピンポン球大→大きな球」という流れでまとめていくらしいのですが、このおから状→お小豆大の段階がうまくできず、しびれを切らして強引にまとめてしまい、そのせいなのか長くするとボツボツ切れてしまいます。でも小麦粉系は、何となく強引にまとめても結構それなりにまとまってくれるので、自分たちで食べる分には全然イケます。

 

ビニール袋に入れまして、冷蔵庫でしばらくおいときます。(冷蔵庫が正しいのかどうかはよくわかりません。案外室温でもいいのかもしれませんが。)ここまでが午前中。で、午後になりまして冷蔵庫から取り出して(4時間くらい経ちましたかね。)

 

取りいだしましたる麺の塊をパスタマシンに入れやすい位の分量に分けまして、麺棒で平たく伸ばし、まずは伸ばしては折りたたみ、伸ばしては折りたたみを何回か繰り返します。(この辺りも野生の勘です。)

 

まぁこんなモンかな?となりましたら、打ち粉(コーンスターチを使ってます。)をまぶして、麺の方のローラーにかけます。(この時が一番汚れますね。)

  

一見ソバみたいですが、茹でると黄色くなります。

今回の具材はこれ。不覚にもチャーシューを買ってくるのを忘れました(泣)本当は麺の形に切り分けてから、1~2日寝かせた方が美味くなるらしいのですが、なにせほら飢えた息子が居るもんで、あまり時間を置くこともできず、茹でに入ります。

 

本当はもっとタップリのお湯で茹でないと、ゆで汁がドロドロになり湯切りが不十分になってしまうのですが、生来の貧乏性でお湯をケチってしまいます。

 

今回は「菊水」の「とんこつ醤油」タレをお湯でのばしまして、

 

湯切りをした麺を投入します。あとは適当に具材を載せて・・・

完成!(・・・やっぱり映えないなぁ、圧倒的に茶色いし。)

結局、ざっくりいえばこねるときに、塩水とかんすいを入れればラーメン、塩水だけならうどん、塩水と卵とオリーブオイルを混ぜればパスタになるという、まことに応用の利く良いヤツですね、小麦粉ってば。(芋とにんじんと豚肉と玉葱を炒めておいて、味噌を入れりゃ豚汁、カレー粉を入れりゃカレーになるのとちょっと似てますね。)

※注!ラーメン屋さん、うどん屋さん、パスタ屋さんを見くびっているわけではありませんし、蕎麦の方が難しく感じるのはあくまでも私のスキル不足のせいですので、どうか御容赦ください。

こね方や水の分量、あと茹で方とかでも味の違いは出ると思いますが、既製品のタレを使えば、違和感なく食べられますし意外と美味いです。(ここでタレ作りまでは手を出そうとは思いません。それに手を出すと「沼」だというのは分かっていますので。)パスタマシンと大きめのボウルがあれば、料理スキルなんて全然無い老害ジジイでも、案外簡単にできますので、お試しあれ。

追伸 小麦粉系は手でこねるよりも、ある程度まとまった段階で、ビニール袋に入れて足で踏む方が無難かと思います。

授業の中の小ネタ改めこんな雑談をしてきた4(と猪木の思い出)

さて、以前にもちょっと書いた「盆土産」の授業での小ネタです。この小説では最初と最後に「カジカガエル」が出てきます。河鹿というくらいで、鳴き声が美しいらしいのですが、寡聞にして聞いたことがありません。(ネットを探せば動画は出てきますけど。)そもそも北海道にはいるのか知らん?で、そこで脱線します。カエル以外にも「カジカ」という生き物はいますね。それこそ「じゃっこ」みたいに川で釣れる魚、そして北海道では冬の味覚とされる海の魚のカジカ。そこで問題です。

 こんなの釣れたら面白いんだけどねぇ。

「北海道の方言で、この海のカジカには、味噌汁にして食べると大変美味い、ということから、別の名前がついています。そのカジカの別名とは何でしょう?」という問題を出したりします。(このレベルになると、大人でも知らない人が多いでしょうが、北海道方言はできるだけ教えておきたいと思っているので、折に触れ雑談として、あるいは老害年代のドヤ顔バトンとして生徒に教えています。)皆さん、答えはご存じですか?

正解は「鍋こわし」といいます。身をぶつ切りにし、味噌を溶かし込んだ鍋で煮ると、あまりに美味いのでみんなが箸で鍋をつつきまくってこわしてしまう、ということで別名「なべこわし」だそうです。なんだか雪の降りしきる冬の海辺の漁師小屋で、車座になってハフハフ言いながら鍋をつついている数人の屈強な漁師の笑い顔が浮かんできそうで、私はこの方言が結構好きです。

ところで、この盆土産は、うっかりすると見逃してしまいがちですが、通読した後で登場人物を確認しよう、という時にはたと困ることがあります。何かというと、この小説には「主人公を表す名前や人称代名詞が全く出てこない。」のです。授業の度に、「登場人物は誰がいたかな?」と聞いても、生徒が答えられないという、ちょっと不思議な話です。視点の問題と合わせて、この人称が何か、というのも読解の上で結構重要ですよね。

・・・と、こんなよしなしごとを打っている時に、アントニオ猪木氏の訃報が飛び込んできました。以前にも書きましたが、高校時代に「1・2の三四郎」にハマってしまった私は、併行してプロレスファンになり、東三四郎がそうであったように、新日本、猪木のファンでした。大学の先輩に、中島スポーツセンターでの新日本プロレスの興行につれていってもらい、アンドレ・ザ・ジャイアントやスタン・ハンセンを生で見ることができ、その迫力にビビったものです。また大学生の時には、以前にも書いた村松友視の「私プロレスの味方です。」「当然プロレスの味方です。」「ダーティ・ヒロイズム宣言」のプロレス三部作を読んで、プロレスの裏まで知ったつもりになっていたのが思い出されます。(嫌なヤツだねぇ。)分裂したあとも、UWFくらいまでは結構見ていました。就職してからはあまり見なくなりましたが、それでもバラエティやらパ○スロのキャラクターやら、いろいろなところで活躍は拝見していましたし、猪木詩集も好きで、まだ担任を持っていたときには、決まって学級通信の題名に、詩集の一節や名文句を使わせてもらいました。いわく・・・

1年生の時の題名は「元気があれば何でもできる」、2年生の時の題名は「とことん馬鹿になれ」3年生の時の題名は「迷わず行けよ行けばわかるさ」を、人が変わろうと代が変わろうと、ずっと使わせてもらいました。(決めておけば、毎年頭を悩ませる必要がない、というのも理由の一つでありますw。)でも、「発達段階を踏まえた良い題名」だと、自画自賛していました。(パクリなのにね。)

アントニオ猪木という名のパチスロ機/フリーズ→道→REG - YouTube←一度だけ引いたけど、単なるBIGでした(泣)

長年の体を張ったエンタティメントで、体はボロボロだったろうし、おまけに聞いたこともない難病に冒されていたことは、恥ずかしながらニュースで知りました。プロレスを「八百長だ」「フェイクだ」と言う論争は昔からありますが、私個人は「肉体を使ったアドリブ演奏だ」と思っています。というか、面白くてコーフンできれば何でもいいんですよ。猪木さん、楽しませてもらいました。安らかにお眠りください。合掌。

  また一つ昭和が消えてゆく

 

 

嵐の前の静けさその2

さて、昼食を食べ小一時間昼寝をし、目覚めたら3時すぎ。まだ辺りは明るく、雨は上がっていて風はほぼ無風状態という、台風接近とは思えないキャンプにはまったく問題ない状態です。チャリで来れなかったことを除けば、出来すぎのコンディションの中、薪を割り火をおこすことにします。(ペグ打ちにつかう100均のゴムハンマー壊れた泣)

 

最初はファイヤスターターで挑んでみたのですが、まぁうまくいかず、結局楽させてもらいました。というかそもそも、今回のキャンプは全体的に楽すぎて、いいのかこんなんで?という感じです。車はテントのすぐそばに横づけしてあるので、余計なものは荷台に放り込めばよく、逆に必要なものはすぐに取り出せるという、楽なことこの上ないぐうたらキャンプなのですよ。いや、それなりには不便なんですけどね。例えばトイレは簡易水洗で、ちょいとにおうとかはあるけど、全然許容範囲内。

 

火も簡単についたことだし、椅子に座ってボーッとYouTubeでも聞こうか、と思ったとき、はたと気づきました!モバイルバッテリーは持ってきたけど、充電用のコードを忘れた!うーん、こいつはしくった。(※「しくじった」を「しくった」と言うのは北海道方言ですかね?高校の時に使っていた「やっくい(=やばい)」は、湘南爆走族という漫画のなかで「ちっ、ヤクいな。」ってセリフがあったので、全国区だと思いますが。)スマホの使用をできるだけ節約し、寝るまでは基本使わない形でぼんやりとイスに座りながら焚き火などいじっていると、いつの間にか時は過ぎるものですね。そろそろ夕食の時間が近づいてきたので、まずは米を炊きまして。

 

先ほど道の駅で買ったホルモンがこれ。(ちょっと塩気が強かったかな)

 

珍しくサワーなど飲んでみたりして。

メスティンよりはちょっとむずかしかったけど、無事米も炊けまして、あとはもうワシワシと掻き込むだけ。満腹になって食後のコーヒーを飲み、マットの上でゴロゴロしてたら、もう10時頃にはすっかり眠たくなってしまいました。おやすみなさい。

 

で、4時過ぎに目覚めてみると、インナーテントの上に蛙の姿が。

しばらくシュラフの中で、電池の残量にビビりながらもYoutubeを聞き、「もう起きちゃいかがと郭公が鳴く」ころにもぞもぞテントから這い出して、目覚めのスープを飲み

 

毎度おなじみのウッドストーブで木っ端に火をつけ、タマネギなど切りまして。

 

 

朝はベーコンと目玉焼きで、と思っていたのですが、昨日セコマで買ったジンギスカンが悪くなってしまうのも困るし、また家に持ち帰っても一人分にしかならないので、朝からヘビーですが、米とジンギスカンで朝食とします。で、米を炊きながら野菜を切るのに夢中になっていたところ・・・

やらかしてしまいました。お焦げのレベルをはるかに越えた失敗作。まぁバリバリいいますが、食べられなくはない。ということで。(「長屋中歯を食いしばる花見かな」という、落語「長屋の花見」のくすぐりを思い出しましたな。)

 (・・・やっぱり朝からジンギスカンはちょっと・・・くるものがあるなあ。)

食後にコーヒーを飲み、小一時間まったりしてから雨が降る前に(この段階では完全にやんでいました。)テントはたたみもせずに助手席に放り込み(この辺がやっぱり便利ですよね。)帰りがけにお馴染みの石狩のパン屋でパンを買って帰宅しました。

台風接近の中、一か八か出掛けたキャンプでしたが、思いのほか、というかほとんど気になるような雨には当たらず、むしろ涼しくて非常に快適なものになりました。とはいえもう秋も深まってきたことですし、自転車キャンプは難しいかも知れませんね。(ヌルい、とお思いでしょうが、もう年も年だし、あまり不便を楽しめなくなってきてるのですよ。)年内はもう一回行けるかどうかでしょうが、もし行けたらまたブログにしようと思います。誰得なブログですが、お暇でしたらまた読んでやってください。

嵐の前の静けさその1

シルバーウィークとやらに、日本を台風が縦断していきました。そんな中、単に「払ったキャンプ代がもったいない!」というだけの理由で、厚田キャンプ場へソロキャンプにでかけることにしたのであります。とはいえ、雨に当たるのは必至であり、どれくらいの雨になるかも不明なので、さすがに自転車ででかけるのは無謀と考え、不承不承車中泊も視野に入れて、自家用車で向かうことにしました。

せっかく買ったコレ↑を付けてのチャリキャンプを目論んでいたため、誠に残念な気持ちになりました。ヌルいと言われそうですが、北海道の秋はあっというまに一ケタ台の気温になってしまうので、となるとチャリキャンプは来年に持ち越し?・・・というわけで、例によって敗北感を感じながら家を出たのが午前10時。心配したほどの降りにはならないけど、やはりチャリではキツイレベルの雨で、車を選んで正解。うまくすれば、テント泊もできそうだ、などと考えながら海沿いの道を小一時間走り、厚田のセコマの手前の道路を右折し、結構な細いワインディングロードを進んで、到着しましたるは厚田キャンプ場。

 

正式名称はどっちなんだかわからないけど、何にしても予約が無駄にならずに済みそうです。受付、というかラミネートされた番号札兼場内案内をもらいまして、さてどこをキャンプ地としようか?A、B、C3つに区分されたサイトのうち、Aは芝生に車をとめられないが炊事場はちょっと広い。(荷物下ろしはできる)↓Aサイト

 

けれども、積み卸しが面倒なので、車の乗り入れができるBサイトに、まずはタープを張りました。(ちなみに、川の向こうがCサイト) 

 

こういう張り方は初めてだったのですが、思いのほか簡単に立てることができました。ただし、ガイロープガ6本しかなかったので、2カ所はパラコードを切って、むりやりなんとかつなぎ止めました。(舫い結び、覚えたはずなのにすっかり忘れた。)

 

ぱっと見地面は柔らかそうにみえたのですが、意外に固く全部打ち込むのはあきらめました。そしてタープの下にグランドシートを敷き、その上にお馴染みのテントを設営します。タープの下の作業だったのでほとんど濡れることもなく完了。

いえ、一応理解はしてるんですよ。フライシートをかけてるなら、別にタープの真下にテントを置く必要ないじゃないかと。もっとずらして置けば、タープの下を丸々焚き火とかの空間にできるじゃないかと。でもね・・・びしょ濡れのテントとか畳むの面倒じゃないですか。正しいキャンパーからはさげすまれるかも知れないですけど、どれだけ雨が降るかわからないし、撤収で手抜きしたいんですよ。もともと車中泊のつもりできていたんで、テントが張れただけで大満足なんですよ!何か問題ありますか!qあwせdrftgyふじこlp;@:「」!(いえ、誰も何も言ってないですよね。)というか、この段階では写真でお分かりのとおり、それほどの雨は降っていないんですよね。本当にパラパラ程度。九州とかでは大変なことになっているというのに、風もないし何だか申し訳ないような天気です。(家を出るときカミサンは呆れてましたけど。)

とりあえずテントだけ設置して、食料品を買いに行くことにします。目指すは道の駅あいろーど厚田と、足りない物はセコマで購入するとして車で出発・・・した時に気づいたのですが、このキャンプ場のアクセスの細っそい道って、一方通行だったんですね!セコマの方から入り、道の駅に抜けるという・・・あれ?来る時に黒いワンボックスが2台連なってやってきて、何とかギリギリですれ違ったんだけど?・・・逆走!!おのれぇ、あいつらぁ~!!!これだから〇〇〇〇〇〇に乗ってるヤツぁ~!(←すみません、完全なる偏見です。)でも、カーブはキツイし結構アップダウンあるし、自転車だったらかなりキツかったなこりゃ。路肩はずしたら転落、みたいな道をそこそこ慎重に進むと、直接道の駅あいろーど厚田の駐車場に出てきました。(この時が一番ひどい降りでした。)

肉と野菜とあと何か買えれば・・・と思って物色しますと、野菜は結構な種類があるし、安い(・・・知らんけど、カミさんに聞いたら安いそうです。)ので、ミニトマトとジャガイモ、ピーマン、タマネギを購入し(これくらいあれば何とかなるだろう)あとは肉。夜はジンギスカン食いたいなぁと思ってるが・・・ない。あるのは冷凍ホルモンとか缶詰とかばっかり。よくわからないけど、とりあえずホルモンでも買っておくか。(普段食べないのに、キャンプにおけるホルモン率の高さは異常)道の駅での買い物は以上とし、(十割そばののぼりに、耐えがたいほどの魅力を感じつつ撤収。またいつか食べてみたいものだ。でも昼食にパスタの残りを持ってきているから、そばを食うわけにはいかないのだ。)その流れでセコマに行ってみますと、何と言うことでしょう!一人用にちょうど良いくらいの量のジンギスカンが売っているではないですか!明日の朝用にベーコンのコマ切れとジンギスカン、それとキャンプの時にしか飲まないサワー系の軽いお酒を2本購入し、ふたたびサイトへ戻ります。(※この段階で、またフードマネジメントに失敗していることに気づいてないのです。)戻ってきてテントの中で獲物を広げてみますと↓

 

あ、あれ?・・・えーと、昼はパスタで、夜はホルモン、朝はベーコンエッグ・・・ジンギスカンいつ食べる??しくじったー!セコマでジンギスカン見つけた瞬間に、ホルモンのこと頭からすっこり消えていたぁ~!(これってひょっとして認知症の初期???「おじいちゃんご飯はさっき食べたでしょ」まであと一歩???)あまりのポンコツさに恐れおののきつつも、13時近くなっていたので昼食の準備に取りかかります。以前使ってまだ残っていたパスタをゆでるため、お湯を沸かしつつ買ってきたミニトマトでもつまむとしますか。

 

 Bサイトの水場で洗いまして↑      ミニトマトウマー(顔文字略)

パスタがゆであがったのでバーナーからおろし、(このとき少し固めくらいでおろすべきでしたね。余熱でちょうどよくなるくらいに)ピーマンとタマネギとベーコンを細切れにしたものを、ビンテージポンコツフライパンで炒めたところに投入。

 

今回使いましたのは、キュー○ーの「あえるだけ ツナマヨ」です。文字通り混ぜるだけ。和風とのことで、付属の刻みのりを「ざっくりとかけまわし(©池波正太郎)」て

 

 ←完成!(・・・やはり映えねぇなぁ~!)

フライパンから直接ワシワシといただき(©椎名誠)満腹になったところでしばらくゴロリさせて(©少年カムイさん)もらってから、薪など割り始めますが、いつの間にやら結構な長文になってしまいました。続きはまた今度ということで、本日はここまで。(引っ張るなぁオイ・・・)

 

授業の中の小ネタその3(アイスプラネットその他)

前回の続きです。アイスプラネットの中で、ぐうちゃんの話を、僕の母であるぐうちゃんの姉は「みんなほら話なんだから」と言い、僕も「どうせほら話だから」と言います。ところどころ「そんなのうそだろ。」とか「うそだぁ。ありえねぇ。」とかとも言っています。そして僕はお別れのシーンで「ほらばっかりだったじゃないか。」と独り言を言います。

で、私は授業の中で、最初の「みんなほら話なんだから。」というところで、「ほら話って意味分かるかな?」と発問します。生徒はたいてい「うそ」と答えます。もちろん、まったくの間違いではありませんが、そこで私は「うそ」と「ほら話」「ほら吹き」とでは、微妙にニュアンスが違うことを説明します。と同時に、「ほら吹き」の語源についても発問してから説明をします。つまり、昔の山伏の修行中や、武士の戦いの合図などで、ホラ貝を吹いていたことから「ホラ吹き」という言葉ができ、それは相手をだますための「うそ」というよりは、「大げさ」とか「話を盛る」というニュアンスが出てくる。さらにいえば「スケールの大きな与太話」という感じも出てきます。

「大言壮語」だとまた嫌なイメージになりますが、「うそ」の持つ「ちょっと真実味を混ぜたマイナスイメージ」と比べると、「ほら」「ホラ吹き」の方には、言う方は相手を楽しませようとするような、聞く方はダマされることを承知で喜んでいるような、「最初からちょっぴり無邪気なニュアンスや、プラスのイメージがある」言葉というようにとらえています。

最後のお別れが「うそばっかりだったじゃないか。」と「ほらばっかりだったじゃないか。」とでは、怒りと寂しさの入り交じった「僕」の微妙な気持ちの現れとして、受ける印象が相当違ってくると思いませんか?・・・え?そんなことはない?私の勝手な思い込み?・・・お呼びでない?およびでない?こりゃまった失礼いたしましたっと!(←誤魔化すのには実に使い勝手の良い言葉ですね。)でも実際、「ぐうちゃん」の話は、一見うそのようにすら見える、非常にスケールのでかいお話でしたし、逆に日本という国のスケールの小ささが、対照的に見えてくるんだけれど、それも含めて明るくぱーっと笑いとばしてしまおう、そんな気分になってきます。そういえば昔の日本にはこんな人もいましたねw↓ スケールのでかいホラは日本を救うかも。(知らんけど)

地震日記3/22、23、24 お呼びでない(植木等 調): 月山で2時間もたない男とはつきあうな! 

(ついでに思い出したけど、大昔、故ジョージ秋山先生の「ほらふきドンドン」って漫画があったなぁ。あまりヒットはしなかったはずだけど。合掌。)

さて、このアイスプラネットの授業の最後に(大多数の先生がやっていると思いますが)大抵「ぐうちゃんの手紙を読んだあと、僕になりきってぐうちゃんに手紙の返事を書いてみよう。」という終わり方をし、原稿用紙に書かせて提出させ、「思考・判断・表現」の評価に使います。(・・・ヤダネェ世知辛くて)

で、「自由に書け。」とか言っておいて、あまり基準とかは設けたくないのですが、最低限入っていないと減点するのは①「ぐうちゃんの話がほらではなかったことがわかったこと」②「謝罪の言葉、もしくはぐうちゃんを疑ってすまない、という気持ちが表れていること。」の2点です。あとは言葉遣いや誤字脱字、内容の誤読、僕っぽい表現か?などを見ます。(辞書は与えているのですが、それでもやっぱり誤字での減点は多いですね。)

←寡聞にして知りませんでした。「悠君からの手紙」もあります!

ところで、こういう自由な文章を書かせると、一時期から非常に気になる表現が増えてきたように思います。(※ら抜き言葉とかのように目くじらを立てる気はないのですが。)例えばこういう表現。「僕が考えていたのは違くて、ぐうちゃんの話は本当だったんだね。」・・・どうですか?違和感を感じないあなたは、かなり若い方とお見受けします。テレビに出てくる人でも、平然とこの言葉を使いますし、ひょっとしたらもう一般的になっているのかもしれませんが、私ら老害世代は強い違和感を感じます。

何かというと、「違くて」の部分です。私は正直日本語文法についてはあまり得意ではなく、大学の時の「国語学」の授業がかなり苦痛でした。(担当だった吉見先生には申し訳ありませんが)その私でも、「違う」はワ行五段活用の動詞であり、形容詞ではないことくらいはわかります。ところが若い世代は今でも心が通い合い、現にホンルは形容詞的な活用、つまり「ちがくて」「ちがかった」という使い方をする場面をよく見かけます。似たようなことは「きれい」でも見受けられます。「きれい」は「きれいだ」という形容動詞の省略形ですが、「い」で終わるので形容詞だと思うのか、「きれいだった」ではなく「きれかった」「きれいくない」などと言う子をたまに見かけます。あ、そういえば「好きくない」もよく聞きますね。

一応そういう言葉を聞くたびに、無粋ながら指摘して訂正を入れますし、文法の授業の時には、必ず誤った例として取り上げますが、いかんせん文法の授業というのが、馬耳東風というかのれんに腕押しぬかに釘、というか、死んだ魚の目になるというか・・・なかなか理解させられません。国語教師としての責任を感じる今日この頃です。(・・・と、とりあえず殊勝なフリをしておこう。)小ネタシリーズはまた近々書かせていただきます。よろしければまた読んでやってください。(次回は台風14号接近の中のキャンプネタを。)