ポンコツ先生の自己満へそ曲がり国語教室と老害アウトドア

中学校の国語や趣味に関する話題を中心に書いてます。

前回の反省(からのやらかし人生)

前回のソロチャリキャンプで、荷物を詰めていてつくづく感じたのが、「余計な荷物が多かった」ことです。よく見るキャンプの動画の中で、UL系のキャンパーさんの荷物を見ると、私のバックパック一つよりも小さなバッグ一つで、平然とキャンプをしている方がたくさんいますが、あらためてあの方々の道具選択は驚異的ですね。もちろんこちとらはお小遣いキャンパーで、「軽くて小さい=高価なグッズ」にはそうそう手が出ません。自然100均(とセカスト)とお友達になるわけです。まぁ自家用車でキャンプに行っても良いのですが、昨今のガソリン代高騰を考えると、無駄に走りたくないんですよ。(だから職場へも、晴れの日は基本自転車で通っています。)例え古くても、もうすでにある道具は、できるだけ買い換えないようにしたい、というかそんなことしたらカミサンにしばかれる余裕はない。ならば、選択肢としてはすでにあるものを断捨離するしかない。ということで、全く計画は立っていませんが、もし次回があればそれに備えて荷物の軽減化を図っていこうと考えました。例えば。

次回持って行かないつもりのもの

 ①モンベルのクッカー(結局コーヒー用のお湯を沸かすのに使っただけでした。まぁ食事のメニューにもよりますがメーガスメスティン三姉妹で十分こと足りるかも。このモンベルのクッカーは、近々企んでいるコーヒーライド用では使うつもりですが。)

②着替え(夜寒いかと安くて暖かいオタフクの長袖シャツとタイツ、さらに薄手のフリースを持って行きましたが、不要でした。一泊ならそのまま寝てもなんてことはなかった。次回は今回よりも気温が上がるだろうし。)

③ラジオ(結局スマホYouTubeを聞いていて、ラジオは聞きませんでした。)

次回どうするか悩んでいるもの

 ①調理用ナイフ(30年物のバックフォールディングハンター110 )これがやっぱりかなり重たいんですよ。切れ味や衛生面にこだわらなければ、バトニングで使ったモーラナイフで兼用できるような気がするし。でも使わないともったいないような気もするし・・・この「もったいない」が、断捨離の最大の敵なんだよなぁ。でもフェ〇カとか軽そうだしカッコいいし欲しいなあ・・・ダメだダメだ!わかってるんだボク、子供じゃないんだから。ググっちゃダメだググっちゃダメだググっちゃダメだ!

②タープ&ポール 前回も今回も、持っては行ったけど結局使わずに終わったんですよね。これがあるのと無いのでは、重量で多分1キロ以上は違うと思うけど、このまま使わないで終わるのも業腹だし。天気にもよるけど、うーん迷う。

ダイソーのコーヒーミルセット。別に対して重くもないんだけど、結局コーヒーは付属のカップには落とさなかったし、カップ2つも必要ないし。でもせっかくなら豆で持って行って、挽き立てのを飲みたいし。(←フラグ)うーん迷う。

ダイソーの座るウレタンマット?地べたに直接座るなら必要だけど、今回長時間座っているとかなり足が萎えることがわかり、これ1枚ではちょっとキツイかも。さてどうしようか。軽くてコンパクトな椅子があればいいのだが?(←フラグ)うーん迷う。

ダイソーの調味料セット。今回はサラダオイル、ごま油、醤油、塩胡椒、バカ○ぶし、ほりにしの6点セットで持って行ったけれど、正直ケースはかさばるし、量もあまり使わなかったから、もっと小さな容器でもよさそうだったし(←フラグ)工夫したら何かうまい手がありそうな気が。うーん迷う。(あれ?ダイソー3連発になってしまった。誤解しないでほしいんですが、物は全然良いんですよ。こっちの使い方の問題で 汗)

しかしいくら100均とはいえ、合計で、えーと1760円分だから、テヘペロでは済まないなこりゃ。もう少し購入には慎重にならないと。どうしても100均だと「ま、いっか」って気になってしまうけど、塵も積もればなんとやら、ですね。

  

とまぁ、帰ってきてから暇な時間にこんなことを考えていたのですが・・・はい、やらかしちまいました。キャンプ好きな方なら誰しも経験がおありの(・・・ありますよね?)「見に来ただけ」のつもりが「ハッ!」と気づくとなぜか道具の入った紙袋を手にしている(あるいは例の「笑顔のダンボール箱」が玄関にある)という、「後悔と満足のせめぎ合い」の時間が。その「くそったれのやらかし人生©どぶ〇っく」については、また次回ご紹介させていただきます。(あー、早く使いてぇ~!)

 

 

約20年ぶりのソロキャンプの顛末と断捨離への道③

夜中、風にテントがあおられて、壁面が何度となく頭をこすって目が覚めたりしたのですが、それよりも致命的だったのが微妙な傾斜でした。傾斜に対して高い方を頭、低い方を足側にして寝ればなんてことなかったのですが、斜面に対して平行?に寝ていたので、寝返りを打つたびにマットからずり落ちてしまい、マットのない堅いところにずれて寝心地の悪さで目が覚めるという、初歩的なミスのせいで眠りが浅く、ぐっすり熟睡ができないまま3時半ころに目が覚めてしまいました。(ただあまり深く眠れずに、早朝3時過ぎとかに起きてしまうのは家のベッドで寝ていても同じなんですけどね。睡眠障害かもしれません?)春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは少しあかりて、くらいの時間帯に目を覚ましても、することもなくシュラフの中でYouTubeを聴きながらモゾモゾと時間を過ごし、トイレに行きまたシュラフに入り・・・を繰り返し、まぁ起きて静かに作業を始めてもよかろう、という6時になってからテントの外に出て、置きっぱなしだった鉄板やらなんやかやをコソコソと洗い、たっぷり残っていた薪に火をつけて何となく焚き火をいじっていると、いつの間にか小一時間経っており、朝ご飯の準備に取り掛かります。

 朝飯は全て家からルパンしてきた(以前にも書きましたがYoutuber「少年カムイ」さんの決めぜりふ?をパクリインスパイヤしてます。)タマネギ1個、ちょっと目の出てるアブナイジャガイモ1個、ベーコンの小さなブロック1個を使って、ベーコンエッグで炊きたてのご飯をいただこう、という計画です。焚き火で焼いてもよかったのですが、昨夜使った鉄板の裏がすすで真っ黒になっていて、先ほど洗ってしまったので、もうすすだらけにしたくないし、今回はバーナーで作ることにしました。ベーコンを小さめに切り、鉄板で焼き、そこにタマゴを2個落として焼きますと、まぁこんな感じの↓朝飯っぽくなりました。(タマゴ1個つぶれてしまったのが残念)

それにしても、以前にも書いたけど「映える」というか単純に「ウマそうだ」と思える写真というのは、かなり難しいものですね。構図や照り、色味なんかを工夫する必要をひしひしと感じます。写真ですらこれだから、YouTuberの人たちは本当にスゲェなと、単純に思いますね。

醤油をざっとかけ回してから、オンザライスでワシワシといただいていくと、そこには紛れもなく「人生の楽しみ」がありました。都合3回、昼夜朝と1合ずつご飯を炊きましたが、どれも失敗なしで炊けましたから、飯炊きはもう大体大丈夫かな?(というか、若い頃読んでいた「野宿ライダー」シリーズの筆者である寺崎勉さん流の「心配だったら覗けばいい」作戦で失敗するわけがないんですけどね。)何にしても、昼がご飯と餃子、夜がご飯と焼き鳥、朝がご飯とベーコンエッグ。こりゃぁどう考えても体に悪い。野菜がほとんどないし!(アスパラは固くて食べられなかったしねぇ。)

ということで、まずはタマネギをごま油で炒め,醤油をさっとかけて食べ、さらに持ってきたジャガイモの芽をほじくり出し、皮をむき(この作業って楽しいですね。)※たまにやるから楽しいんだ!という世のマダムからの𠮟責が聞こえる気がする・・・薄く切ってごま油で炒め、「ほりにし」をかけてたいらげる。これで野菜も食べたから大丈夫?タマネギもジャガイモも丸いからゼロカロリー? 

   

なんやかやで小一時間、食事を楽しみ最後はスープを飲んで、久々にまったりと朝ご飯を食べた気がします。普段は職場に行くため食事を楽しむでもなく、カミサンが用意してくれたものを大急ぎでかきこんで、歯を磨いてそのまま出勤、という慌ただしい朝食でしたから、こんな感じに全て自分のペースで考えて作り、美味くても不味くても自己責任で、失敗もまたよし、というのんびりした朝飯は・・・これはクセになりますね。

ちょいとゴロゴロしてから「撤~収!撤~収!さっさと撤収!しばくぞ!」とばかりに(これ使うの2回目ですが、あのおばさんって今どうしてるんだろうな?)荷物を片付けにかかります。

今回のキャンプ場は、地面が干からびて固くなっていたのが残念ですが、いずれ整備されるとのことだし、雨が降って草が生えてくれば、なかなか過ごしやすくなりそうな気がします。いずれ野菜とかも取れたてのものが買えそうだし。今回の一泊キャンプで使ったのは、利用料1500円、飲食費2062円、薪代1000円のざっと4500円ナリ。これで一日楽しめたのなら、まぁお小遣いキャンパーとしては合格かな?このキャンプ場は、またいずれ整備が入って地面が柔らかくなった頃、往復にあまり時間の取れないような時に来るのにはいいかもしれない。ということでいろいろとやらかしたけど、20年ぶりのソロキャンプは満足できました。で、今回のしくじりを振り返ってみようと思いますが、その反省と断捨離への道(と実はやらかしちまったこと)については次回書かせていただきます。お時間があればまた読んでやってください。それではまた。

 

 

約20年ぶりのソロキャンプの顛末と断捨離への道②

さて、受付で買ってえんやこら持ってきた1000円の薪ですが・・・

 

これはヤバイ。こちらの武器はモーラナイフが一本あるだけ。鉈なり斧なりがあればまだしも、この大きさの薪にナイフ一本ではとうてい歯が立たない。(前回といい「歯が立たない」ばっかり)頑張ってバトニングしてみても、角のところをちょっと割るくらいはできても、角ばかり落としていると必然的に多角形→丸に近くなっていってしまうので、ある一定のところからは角を落とすのが難しくなってくるし、さぁ困ったぞ?と!その時に閃いたのが職業柄の知識でした。何かというと3年生の教科書、井上ひさし作「握手」という教材の登場人物「ルロイ修道士」の次の言葉。「うまくいかないときは、この言葉を思い出してください。『困難は分割せよ。』あせってはなりません。問題を細かく割って、一つ一つ地道に片づけていくのです。ルロイのこの言葉を忘れないでください。」

そうか、長すぎるなら切って割ればいいのか!ということで、ある程度角を落として多角形になった薪を、分割してからバトニングすることにしました。

 

という曲折を経て、ウッドストーブで煮炊き&焚き火をするには十分な薪、というか木っ端を作ることが出来ました。(でも結局大きなままの薪は残るし、木っ端も結構長時間焚き火をしたけど半分くらい残ってしまいました。無駄無駄無駄ぁ~!)ただかなり長い時間バトニングし続けたせいか、右の肘が痛くなってしまい閉口しています。テニスエルボーは聞いたことあるけど、バトニングエルボーってあるのか知らん?

 

さて、薪もできたことだし、焚き火&焼き鳥といきますか。そもそもキャンプにカムバックしようと思ったきっかけである「ヒロシ」さんのように、火打ち石から育てるようなスキルも根気も持ち合わせていないので、いきなりガスライターでつけちゃいます。薪のうちいくつかは白樺だったので、皮を剥いで火をつけたら、まぁ瞬殺でボウボウ燃え上がること、下手したら並行して米を炊いているアルストよりも立ち上がりが早いかも知れん。で、次々に割った薪、というか木っ端を放り込むと、こんな小さなウッドストーブから「かくも」と思うほどの豪炎が立ち上り、なんとも面白いこと楽しいこと。 

結局大人って、焚き火と称して子供の時に厳しく禁じられていた「火あそび」がしたいんですよね。大人がやってこんなに楽しいんだもの、子供がやりたがるのは無理もないわなぁ。

炊けた米を蒸らしている間に、ちょいとトイレにいきます。(焚き火して目を離すのは危険かも知れませんが、風も弱まってきたので大丈夫かと)トイレはこんな感じで↑普通にきれいな所でした。で、トイレから帰る時に目についたのがこの夕日。↓

・・・いいですねぇ。小さな子供も集まってきて写真を撮ってました。うん、こんな綺麗な夕陽が見られただけでも、来たかいがありましたな。

さて、サイトに戻りまして、いい具合に火が起きたところで鉄板を乗せ、油を敷いたところへ(あれ?油って引く?敷く?どっちが正しいんだろ?)買ってきた鳥串を乗せて焼いていきます。B6サイズの鉄板なので、一度に乗るのは4、5本くらい。肉は意外と厚みがあったので、焼き上がりには思ったより時間がかかりました。まずは塩胡椒をかけて食う。うん・・・早かった。まぁうまいんだけど焼きが不十分で中まで熱が通りきっていない。ちょいと生っぽい。でもまぁ腹も減っていたので、細かいことはスルーしてご飯とともにワシワシとかきこんでいく。しみじみ美味い。ただ焼いて塩胡椒かけただけなんだけど、うまいんだから、こういうのでいいんだよ、こういうので。

つくづくタト食反はいい。カミさんをディスるわけじゃないけど、俺はこんなのでいいんだよ。それに、例えノンアルのビールでも、グィッとあおれば「プハーッ!」って気分になれてイイ!滅茶苦茶弱いけど、全く飲めないわけではないから、次回は本物のビールを1本だけ飲ってみようか知らん? 

(ちなみにライトはこれでした↓)

 

ところで途中で味変として、貰い物の「ほりにし」をかけてみたのですが、うーん、これはまたこれでウマいのだが、スパイス自体がうますぎて全てが「ほりにし」味になってしまうのがちょっとイマイチかも。ただし「バカま○し」テメーはダメだ。

 ←ググるまでこれジョジョのセリフだと思ってました

チキンカレーっぽくなると思ったけど、スパイスの一部の、薬っぽい味ばかりが気になってしまって、焼き鳥には合わないと思いました。(※あくまで個人の感想ですが)結局、それこそ個人の感想では、焼き鳥には塩胡椒が一番合うということをつくづく感じされられましたな。ある意味新鮮な発見かも。こういうお試しというか実験は、キャンプとかじゃないとなかなか出来ないですね。(家で実験したら怒られそうだし)それともう一つ発見。ダイソーの110円のクッション?マット?に座って、地べたスタイルでずっとやっていたのですが、長く座ると何だか足に力が入らなくなって、立ち上がるときに倒れそうになるんですね。うーん・・・ワークマンの組み立て式チェアを、重たいから持ってこなかったけど、やっぱりイスはあったほうがいいなぁ。でもワークマンのは結構かさばるし、かなりの重量あるし・・・どうしたらいいだろう?(←後日談・・・はいそうです、沼のフラグが立ちました。)それはそれとして。

なんやかや焼き鳥を20本、米を1合も食べるとすっかり満腹になってしまい、食べようと思っていた味噌ホルモンはあきらめて、あとはまったり焚き火をして・・・と思ったのですが、これまた発見の一つ。あまりに薪を細かく割りすぎたせいで、一本一本が燃え尽きるのが早い。薪をくべつづける感じになってしまい、夢幻列車の機関士にでもなったかのよう。発見その②として、小さなウッドストーブでも、ある程度太い薪を残しておくべきである。φ(..)メモメモ(←さすが還暦、顔文字が古い)

長くなってしまいました。この後は寝て起きて朝ご飯を食べて帰るだけですが、その顛末と今回の反省はまた次回にさせていただきます。よろしければ次回も読んでやってください。どっとはらい

 

約20年ぶりのソロキャンプの顛末と断捨離への道①

ある天気の良い週末。朝イチの部活指導を終えて(←これが余計なんだよナァ実際)荷物を満載の自転車にまたがり、札幌市内のキャンプ場に直行しました。

 

札幌のほぼ最北部、拓北の農園の一部をキャンプ場として(確か)昨年オープンした「para-to sunset river」さんです。初めて来るのですが、さてどんなところやら?

toreta-fujii.com

それにしても改めて見ると、たった一泊なのにやたらに荷物が多い!

これはもう下手したら日本一周レベルの荷物。特にバックパックがパンパンになっているのが気になる。職場からそれほど遠くはなかったとはいえ、これを背負って遠出はちょっとキツイ。というかそもそも大げさすぎてカッコ悪い。しかも漕いでみてわかったけど、極端なリアヘビーでえらく運転しづらい。いずれ行こうと思っている次のソロチャリキャンプでは、もう少し遠くまで行ってみたいので、軽量化は必須ですね。まぁもともと、バイクに乗っていた時から過剰に荷物を積み込むタイプではありました。(下の写真はかつて日常で乗っていたバイクです。これまた超ヘビー級。)

1グループ1500円ナリの利用料を納め(ソロキャンプだとコスパが悪いけど、ファミリーだとまぁお安いですね。)場内へ。舗装されていない砂利道を通り、乾ききってひび割れたテント場へと向かいます。私の自転車は、最近流行と聞くグラベルロードではなく、シクロクロスですが、まぁ何とか走れまして、昼過ぎの段階ですでに何組か来ていたテントの間の、できるだけ平らっぽいところを選びまずグランドシートを敷きますが、何せ風が強いので風上2箇所に、えらく久しぶりのテントのペグをうちまして。

 ここをキャンプ地とする(言ってみたかっただけ)

そのまま(誰も見たことのないような不思議な形の)ペグに引っかけるようにインナーテント→フライシートとかぶせ、5分ほどで設営完了。

 

うーん、やはり張るのは凄く簡単でいいテントなんだけど、どうもこの色が周りからは浮いている気がしてならない。こうやって人は「沼」にハマっていくのだなぁ。だが、

 (人呼んで「やせ我慢」あるいは「負け惜しみ」)

とりあえず荷物をテント内に放り込み、これまた20年物のマットとシュラフを広げ

(一応、インフレーターマットはサーマレスト、シュラフはカリマーの物なんですが、すでにビンテージ物の雰囲気が。ちなみにモンベルのチタンマグカップには、エアピローが詰め込んであります。これも一つのスタッキング?)一息ついてからバックパックを背負って近くの(と言っても、向かい風の中自転車で10分くらいかかりましたかね。)スーパーに食料を買い出しに行きました。買った物・・・ノンアルコールビール(オールフリー)、同じくノンアルコールのリンゴサワー、餃子、南光園の味噌ホルモン、やきとり20本パック。なんやかやで計2062円。(このうち、南光園の味噌ホルモンは食するまでに至らず、あえなく家の冷蔵庫に眠ることに。無駄無駄無駄ぁその1)這々の体でテントまで帰り着き、受付まで歩いて戻り、薪を一束購入。(1000円ですが約10kg!今回小さなウッドストーブしか持って行ってなかったので、かなりの薪を焚き残してしまい、でも持って帰るわけにいかず、どなたかに使ってもらうべく置いてくることに・・・無駄無駄無駄ぁその2)ついでに受付の入り口で売っていたアスパラの切れ端詰め放題100円も購入し(「固いから皮をむいて食べてください」と言われましたが、まぁなんとかなるだろうと多寡をくくって(はい、フラグが立ちました。)なんやかやでもう13時半。かなり遅めの昼食を作ることにしました。

 

風が強かったので、アルストをテント内に持ち込み炊飯をしつつ、受付で買ったアスパラのを数本、よくわからんなりに言われた通り皮をうっすらと剥いて、餃子とともに鉄板で焼いてみました。炊飯はかなり慣れてきたのでうまく炊けるようになり、餃子も焼くだけなので問題なし。ワシワシとかきこんでいったのですが、アスパラが硬くて硬くて文字通り歯が立たない!今にして思えば皮の剥き方が甘かったのですが、なにせこういうことに慣れていないので、多分茹でれば柔らかくなるだろうと考え、空いたメスティンで茹でてみました。


そこそこ長い時間茹でてて、鮮やかな緑色に変わった辺りで、もうよかろうと取り出してかじってみた・・・のですが、どれもこれも全然ダメ。パンダが笹食べている気分。残念ながら諦めてアスパラは全廃棄することに(無駄無駄無駄ぁ〜その3)本日のメニューが肉ばかりなので、少しは野菜を取ったほうが良かろうと、要らぬ知恵を出したのが良くなかった。というかちゃんとしたアスパラも売っていたのだから、ケチらずに買えば良かったのにね。とはいえ、米はウマく炊けたし、餃子も普通に焼けたので、とりあえず昼食としては満足。

 

気持ち的にも落ち着き、ここでコーヒーを一杯、としゃれ込んだ後、暫くスマホYouTubeなど聴きながら(「辛坊治郎のそこまで言うか」が面白くてよく聴いてます。アシスタントの増山アナの声が大変色っぽい好みの声のうえに、暴走しがちの辛坊さんを上手くあしらうやりとりがもう絶妙。)

テント内でゴロゴロして時間を過ごし、さてそろそろ夜に焚き火をするために、薪でも割ろうか、とテントの外に出ました。(ここまでほとんどテント内に引きこもり)で、薪を割り始めたのですが、それがたたったのか、今現在あまり経験のない肘の痛みにみまわれています。その顛末については②の方で語らせていただきます。どっとはらい

 

 



1年生「シンシュン」についての迷いと「世界に一つだけのホニャララ」

えっと、国語の教科書の話です。(またこのパターンかよ)

以前にも書きましたが、1年の最初の小説「シンシュン」、2年の表紙裏の詩「見えないだけ」、同じく2年の小説「星の花が降るころに」は、(おそらくですけど)いわゆる「1年生ギャップ」や、2年進級時の新しい環境に不安感や不適応感を抱く生徒向けの忖度教材「教育的配慮に基づいた道徳的配慮に満ちあふれる素晴らしい教材」なわけですが(おいおい)1年生の「シンシュン」については、どうも1点教える時に迷う表現があります。皆さんはどうお考えでしょうか?

まずざっくりとあらすじを紹介します。(ネタバレを含みますので、本文を読みたい方は今回のブログは飛ばしてください。)

<あらすじ>中学の入学式で初めて会った「シュンタ」と「シンタ」は、見た目も好きな物も嫌いな物もぴったり同じで、「まるで磁石が引き合うみたいに。」すぐに仲良くなった。あたかも双子のような二人はクラスメイトから「シンシュン」と呼ばれるようになり、いつもいっしょで話がとぎれずどんどんでてきた。笑うところも、怒るところも同じだった。ところがある日、ちょっとした話題で意見(好き嫌い)が食い違い、シュンタはショックを受ける。しかし違うところがあることを認めたら、いっしょにいられなくなると思ったシュンタはとっさに相手にあわせてしまう。それからシュンタは、シンタと話すときに迷うようになり、当たり前のことしか話せなくなり、しまいには黙ってしまい、だんだん離れていってしまう。あるときシュンタは思い立ち、けんかになることを覚悟してシンタに話しかけると、シンタもそのことを気にしていたことがわかり、互いに好きなことも嫌いなこともどんどん話すことにしようと意見が一致した。「そっくりだけど、全然違う人間なのだった。」ということがわかり、「僕たちはそれから、前にもましておしゃべりになった。」・・・どっとはらい。という内容です。(まあ「同じ事だけしゃべる」のに比べれば、「違うこともしゃべる」ようになれば、ざっと話題が倍になりますからね。)

で、今回迷っているのが太字の部分。「まるで磁石が引き合うみたいに。」の解釈です。この教材は「もし見かけがそっくりでも、人間同士だったら違うところがあるのが当たり前。お互いの違うところも認め合いながら一緒に生きてこう。」というようなテーマだと思います。で、太字の部分は文中で2つめの段落に出てくるくらい、早い段階で出てくる表記なのですが、これを単に「お互いに強く惹かれ合う」ことの比喩表現だととらえるのか?それとも裏の意味として、「実は磁石は違う極だからこそ引き合うのだ」という、テーマを引き出すための伏線ととらえるべきなのか?・・・そのあたりがどうも自信を持って教えきれないのです。一応指導書も見てみましたが、特にそのことについて触れてはいませんでした。これが太宰治だとか山川方夫だとかだったら、ドヤ顔で生徒に、最後の時間あたりで問題提起し、自信を持って伏線として教えると思います。しかしながら、私は寡聞にして、作者の「西加奈子」さんの他の作品を読んだことがなく、おそらくジュブナイルとか若い人向けの小説が多いのだろうとは思いますが、この部分以外には伏線らしき描写も見あたらず、失礼ながらどれくらい「信用して読んでいいのかわからない」のです。まぁ1年生の小説に、それほどかっちり伏線を引く必要も無いのかも知れませんが。(このあたりかなり上から目線になってしまい申し訳ないです。)生徒には基本「小説家はもの凄く細かく神経を使って書いているから、伏線っぽいものはたいがい意識して書いてあると思って読め」と言ってきたので、とりあえず伏線として教えていますが、皆さんいかがお考えですか?

ところで、関連しているような、全然お門違いのような話題です。「お互いの違うところを認めよう」も「みんな違ってみんないい」も、テーマとして大切だし尊重すべき内容だと思いますが、昔からどうもひっかかるのが例の「ナンバーワンにならなくてもいい、元々特別なオンリーワン」って歌詞です。私自身の基本的な考え方が、昭和の「星一徹」に近いからでしょうが、どうもオンリーワンで満足してしまい、さらに上を目指すことを冷笑しているように感じてしまうのです。(そういえば、「花屋の店先にならんだ色んな花を見ていた」段階で、実はすでに選び抜かれたエリートの花である、なんてツッコミもよくありますね。)違いを認めるのは大切かも知れませんが、何でもかんでも「個性」だとか言って良しとする風潮は、昭和の男というか還暦の男としては、なんかこう「しゃらくせぇ!」って感じがします。(こういう人を「老害」というんでしょうね。)時代錯誤かもしれませんが、結果そうなれなくても、ナンバーワンを目指して頑張ることを尊いと思ってしまう、年寄りの「引かれ者の小唄」でした。

 

 

ポンコツタト食反と孤独のホニャララ(後編)

(しかし2ちゃんとかで使われてたこのタト食反とかタヒねとか、漢字を合わせて大文字にするという、「むべ山風を嵐といふらむ」式の言葉遊びって、いざ考えようとすると意外と見つかりませんね。「吾輩は猫である」の中の甘木先生って「某」の分解だと、何かで読んだ気がする。)

さて、それはそれとして、周りが家族連れやら学生サークルやら輩?やらがキャッキャウフフしている中で、場違い感疎外感をひしひしと感じながら、バックパックから色々と道具を引っ張り出して並べてみます。

 

(メスティンがトトロみたいに大中小あるのはご愛敬。全て100均)まずはコーヒーを一杯、ということでダイソーの1100円のミル&カップのセットに、途中で買った豆(マンデリン)を入れ、ガリガリ碾いて(※こんな字があるの知りませんでした。てっきり「挽く」だと思ってましたわ。)小メスティンで湯を沸かし、慎重にそそいでほっと一息。

 

スーパーの豆だからそれほどいいものではないと思うし(失礼)多分に雰囲気補正がかかってるのでしょうが、(妙に、うまい)のである。これはくせになるなぁ。

 

中メスティンで米を浸水させつつ、野菜炒めの野菜を切ろうと思ったら、カッティングボードがない!そして炒めるための鉄板やフライパン的なものも忘れてきた!・・・仕方ない。大メスティンの蓋をまな板にして、本体をフライパン代わりにして、ハム野菜炒めを作ることに。えらく久しぶりに引っ張り出した、30年物の「バックフォールディングハンター110」(釘が削れるとの触れ込みの)でハムや野菜を切ってみたところ・・・まぁロートルの割に切れることきれること。触れ込み通りに、「蓋ががっつり傷つきました」(泣)で、切れるのはいいんですが、やっぱり圧倒的に「重い」んですよね。有名なナイフの割には、あまり使っている人の動画や画像を見ないのも納得です。たしかにオピネルとか軽そうだもの。(でもここで「軽いナイフが欲しい」と思ってしまうのが、「沼への入り口」とわかっているのですよ。我慢我慢自重自重・・・)

  

計画では、アルスト一個だけ持ってきて、「米を浸水させておく」→「野菜切りと併行して米炊き」→「米蒸らしと併行して野菜炒め」→「炒め終わったころ蒸らし終わり」→(゚д゚)ウマー・・・という完璧な流れだったのですが、風が強くて意外と米が炊かさる(この○○さる、という北海道方言も、「いずい」と並んで説明しづらい言葉ですね。)のに時間がかかり、さらに炊きあがったらアルコールがなくなっていて、野菜炒めに移行するもなかなかジュージュー言わず、あっという間に継ぎ足したアルコールもなくなり、なんやかやですっかり炊いた米が冷めてしまう、という悲惨な状況に。(米を蒸らすためのタオルとかバッグとかも持ってきていなかったのも大失敗。)そこはダイソーの調味料入れをフルに活用し、(左からごま油、サラダオイル、醤油、乾燥ニンニク、塩こしょう、ほりにし、というラインナップ)かなり濃い味の野菜炒めに仕上げ、冷えた米にぶっかけて「ワシワシといただくのは人生の楽しみである(てなことを椎名誠が書いていたような)」ということで、何とか空腹は満たされました。しかしながら、食べてて感じた場違いな感じはなかなかキビシイものがあり、改めてソロでご飯だけ食べに来るところではないなという結論に達しました。孤独のタト食反は、独りだけでする分には逆に孤独ではない、大勢の中でするソロ飯こそ孤独である、というパラドックスを、今更ながら思い知らされました。(なんかブーマーさんの動画にも、そんなのがあったような。)次回は少なくとも、キャンプ場か橋の下か(調べてみると結構橋の下は火気を使っていい場所があるんですね。)ひっそりとタト食反、もしくはもう思い切って泊まりがけでキャンプに行ってしまおうと思います。

それにしても、いわゆる「映える」写真というのは難しいものですねぇ。いや、別に芸術的な写真を撮ろうとは思わないのですが、どうせ飯の写真なら、飯テロと言われるくらい「美味そう」に撮りたいじゃないですか。いろいろと工夫してみるとしましょう。それではまた。再見。(←※私は基本考え方は右傾してまして、現在の中国は大っ嫌いです。吉川英治三国志水滸伝は大好きでしたが。)

 

 

ポンコツタト食反と部活のボヤキと孤独のホニャララ(前編)

さて、GWも終わりましたが、特にどこに行くわけでもなく、そのうち3日間は部活の大会と練習で潰れまして、杜甫じゃないけど「今春看す又過ぐ」もいいとこ。

思い返せば三十数年間、部活の顧問を外れたことは1、2回しかなく、しかもその1、2回もサブという扱いで、全くフリーになれたことはなく、基本三十数年間毎回GWのうち半分くらいは部活で潰れてきました。よく世間では「先生って夏休みや冬休みとかあって、暇でいいですね。」とか言われますが、年がら年中、土日祝祭日が、丸々フリーにはならない、というのと相殺して余りあると思うんですよね。もちろん中には一切部活の顧問にならない、とケツをまくれる先生もいるわけですが、「うちの学校では全ての先生にスポンサーになってもらってます。複数態勢になってもらうので労力は軽減できてます。ドヤッ」という管理職やら、渋々やっている同僚やらの「同調圧力」というものをブッちぎるのはなかなか困難だと思いますよ。(そもそも管理職だって、若い頃にはなんらかの部活顧問をしていたはずで、複数態勢だからって2回に1回行けばいいとはならないことは、重々承知のはずなのに、「知らぬ存ぜぬ」と綺麗事で済ませる気満々なんですよね。)

そもそも3時間部活をやって2700円(土日休日なのに時給が900円)、大会で丸1日潰れても8時間分出るわけでもないし、平日の放課後は2時間以上部活の指導をしても全く無給。もしも放課後に教師としてのマストの仕事を優先したとして、部活についていない時に怪我などされたら絶対に責任問題になったりしますしね。年度初めに2万円とか指導者費はもらえますが1年間それでおしまい。昨今は「部活は土日のどちらか1日だけ」になりましたので、せいぜい月4~6回くらい=月の手当が多くても1万5千円くらい。(中体連の時はもう少し多い)私は基本これを小遣いとして生活していますが(お小遣いキャンパー 泣)月々1万ちょっともらって土日祝日のどちらかが必ずといっていいほど潰れるというのと、人生全体における時間の価値と比較した時に、決してお得な話ではないと思います。土曜の朝一に部活が入れば、まだしも土の午後~日にかけて自由になりますが、それ以外だと泊まりがけでどうするこうするという計画はかなり難しくなってしまいます。

ただし、かなりの割合で「部活動命」の先生もいますし、その方々については損得勘定は全く無意味で、持ち出しもひどいことになってると思います。もう何というかボランティアとか滅私奉公に近いのも確かですよ。社畜もいいとこ。聞くところによりますと、何やら文科省の方では「土日の部活を地域にゆだねる」ようなことを画策しているらしいですが、実際に教員が欲しいのはむしろ「平日の放課後の部活動指導者」だと思います。やったこともない部活の指導を無理矢理押しつけられ、ストレスを抱えて体調を崩したり家庭不和になったり、休職したり果ては退職したりする先生方の割合を調査してみてもらいたいですね。きっとドえらいことになると思います。

と、まぁGWのぼやきはこれくらいにし、ある休日遠出するわけでもないけど何もしないのも業腹なので、また昼飯をタト食反してみようと思いまして、家の冷蔵庫から米一合とタマネギとピーマンをルパンし(これも「少年カムイ」さんのパクリ)アルストその他できるだけ選りすぐって外飯の道具を背負い(まぁいろいろ忘れてしまったんですがね)自転車に乗って朝一の部活に行きました。私の学校は部活動は3部制になっていて、朝一だと大体11時過ぎに終わります。生徒を帰し何やかやで12時ころ、リュックを背負い、自転車に乗って学校を出たのですが、外に出てはたと行き先に困りました。最初は石狩の砂浜に行こうと思っていたのですが、やたらと風が強いんですよ。(予報では風は「弱い」となっていたのですが、いったい何mが基準なんでしょうかね?)砂だらけになってご飯を食べるのもあずましくない(あずましい=快適、の逆の意味の北海道方言)ので、さてどこへ行こうか?

とりあえず食材が米と野菜だけしかないので、近くの店で一番安いハムとコーヒーの豆を買い、それから行き先を考えた結果、最も近くて合法的な場所として(近くの川の河原も考えたのですが、合法なのか非合法なのかわからず断念)「前田森林公園」のバーベキュー場がいいのではないか?と思いつきまして出発しました。この段階で「メスティンを載せる五徳」を忘れてきたことに気づき、途中のキャ〇ドゥで購入して(100均の便利さは異常!)追い風にも助けられ軽快に走ります。(お気づきだと思いますがフラグが立ちました。)さてさて、初めて来た前田森林公園のバーベキュー場に着いて思ったこと。(・・・お呼びでない?お呼びでない・・・こりゃまた失礼いたしましたっと!←知る人も少なくなった植木等のギャグ)この場所でソロ飯はかなりキツい!というかイタい!でも腹ペコだし・・・ええいままよ!コレもまた一つの孤独のグルメ外飯!ということで開き直り荷物を広げ、飯を炊き野菜炒めを作ろう、としたところで後編へ続く。(部活のボヤキが長くなりすぎました。)

 

 

頭の体操の解答と回答と解説(ドヤガオデエラソウダネドウモ)

えっと、解答(回答)です。(←なんか新井素子のあとがきみたい。)

問①急な坂道で、重そうな荷物を載せた荷車を運ぶ親子連れがいた。後ろで押している人に「前で引いているのはあなたの息子さんですね?」と聞くと「そうです」という。ところが、前で引いている若者に「後ろで押しているのはあなたのお父さんですね?」と聞くと「いいえ違います。」という。こんなことがありうるか。

世知辛くて嫌だけどまぁそれでもありうるか、という答えとして、「前で引いている息子がすごく父親を嫌っていて、親だと思っていなかった」というのが昔ありました。親でもなければ子でもない、ってヤツですね。で、そういうひねくれたというかイタイ答えではなく、ちょっと鋭い子は「ありうる。お母さんだった」とすぐに出てきます。ではなぜその答えがすぐに浮かばないかというと、「急な坂道」「重そうな荷物」「親子連れ」という言葉で、「力仕事」「重労働」というイメージから、「父親」という先入観が生まれてしまい、なかなかそこから抜けられないとのこと。ただし、昨今の世間の情勢からいうと、「力仕事=男」というイメージ自体を思い浮かべることすら、「ジェンダー的にその決めつけはおかしいざます!qあwせdrftgyふじこlp;@:「」!謝罪と賠償を・・・」となりかねないので、何かとやりづらくなってきました。(んなこたーない)

      ,一-、
     / ̄ l |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ■■-っ < んなこたーない
    ´∀`/    \__________
   __/|Y/\.
 Ё|__ | /  |
     | У..  |  (←このAAも何のことだかわからん人ばかりだろうなぁ。)

問②あるところに、顔かたちがそっくりな二人の子供がいた。生年月日も両親も同じだというので、「では君たちは双子だね?」と聞くと「違います。」という。こんなことがありうるか。

一問めも二問めも、早く分かった子には時間かせぎに「〇字以内で答えてごらん。」とたたみかけます。(一問めは「ひらがな5字で=ははだった」もしくは「漢字一字で=母」となりますか。)二問目は「ひらがな6字で」と指定します。まぁそれで「みつごだった」という答えが出てきます。それでもよく分からない子には、「おそ松とチョロ松がいたんだよ。」と言えば理解してくれますね。(だから正しくは「三つ子以上のうちの二人だった。」ということになります。)これも問題をよく読むと、「そっくりな二人の子供がいた」という表現が実に巧みです。これがもし「そっくりな子供が二人いた」という表現だったとしたら、おそらくもっと簡単に考えが浮かんだことでしょう。「二人の子供が」で、人数を限定されたような印象を与えることができるわけで、「ちょっと表現が違っても受ける印象が変わる」例として使える問題です。

 当然私たちの年代は「おそ松くん」ですが。

③ある池に、近くにあった石を投げ込んでみると、その石はいきなりもぐったりしずんだりし始めた。これはいったいどういうことか?

これは一瞬で気づく子と、そうでない子に分かれ、気づいた子も何と答えたらいいかわからない問題です。これは4字もしくは5字で答えてごらん、と言いますが、中々思いつかないようです。(4字→とうぜん 5字→あたりまえ というのを答えとしておきます。今の子だったら、3字→ふつう の方が出てくるかも。)これくらいになると、「なんで気づかなかったと思う?」と投げかけると、「~たり~たりって表現は普通は逆のことに使うから」と、ちゃんと説明できる子が出てきます。いい傾向です。

④ある所に3メートルのロープで首をしっかりとしばりつけられた牛がいた。その牛をつなぐ丸太は、しっかりと地面にうちつけてある。意地悪な子供が来て、牛のえさを丸太から6メートル離れたところに置いていった。ところがしばらくしていってみると、その牛はえさを全部食べてしまっていた。丸太は抜けていないし、ロープも切れていないし結び目もほどけていない。これはいったいどういうことか?

そろそろいろいろ疑いながら読むようになってきたので、意外と気づく子が増えてきます。それでも「別の牛が食べた」とか答える子はいますし、それでも答えになるけど、「そういうことじゃないだろう」という空気がなんとなく生まれてきます。なかには「首は縛ってあっても、丸太につないでいるとは書いていない」などと具体的な説明ができる子も出てきます。

⑤大金持ちの「金羽有三(かねはあるぞう)」の家の召使いから警察に「大変です、ご主人様が毒殺されています」と電話が来た。警察が来てみると、密室の中に金田有三の死体と、青酸カリの入ったウィスキーのビンがあった。当日家には、客として主治医の「折賀八太(おれがやつた)」と甥の「半忍田太郎(はんにんだたろう)」孫の「青山リカ(あおやまりか)」がいた。さて、怪しいのは誰だろうか?

これは不肖私の作った問題ですが、さすがにかなり多くの子が見破りますね。それでもあまり深く考えない子は名前の印象で選んでしまったりします。でもコナンなんかを見ている子はすぐに「密室なのに毒殺と分かるのは変だ」と気づきます。推理小説や推理ドラマでよくあるパターンですね。これを端緒に推理小説を読んでくれる子が増えるといいなと思っています。「推理小説を読むと国語の力がつくよ」とは常々いろいろな場面で生徒に言っています。(が、私自身がここしばらく新しい推理小説を読んでいません。悲しいことに。)さて、ここまで続けてきて「メイン」の最後の問題です。

⑥ある所に、故障して銃口から1メートルしか弾が飛ばない銃を持った猟師がいた。その猟師が、10メートル離れた木の枝にとまっている鳥をその銃で狙って撃ったら、みごと命中した。鳥は木から離れていないし、猟師も木に近づいていない。ではどうして命中したのだろうか?

「銃を投げつけたら当たった」「後ろから強烈な風が吹いてきて弾が飛んでいった」などの答えがまず出てきます。「でもなんかスッキリしないよね?」と投げかけてさらに考えさせると、やがて「銃身が長かった」という答えを出す子が出てきます。つまり、「銃が9mあった」という回答です。たいていはみんなそれで「おー!」と納得するのですが、「馬鹿馬鹿しいようだけど、それがアリだとしたら?他には考えられないかい?」とたたみかけます。すると「枝が9mあった」「鳥が9mあった」「弾が9mあった」などと次々に出てきます。「猟師の手が9mあった」もいいでしょう。(昔やった時には、真っ先に「猟師がルフィだった」という答えが返ってきて、「腕が9mあったわけだね?」から広がったこともありましたね。)さらには、「猟師は木から10mの高さの崖の上から撃った」なんて3Dの答えを考えつく子もいました。どこの会社か知りませんが、入社試験でこんなのを出されたら、確かに柔軟な発想の人材が集められそうですね。国語では絞っていく解答も、広げていく回答も、両方大切だと思います。

前述したとおり、国語の読み取りではいろいろな考え方ができる場面があり、そのときに「馬鹿馬鹿しいと思うような考えも大切にする」「人と違う考え方があればそれを寄せ集めて(昔は元気玉の例えを使っていたのですが、なかなか通じなくなってきました。)考えを深めることを大切にする」「空想力、想像力をはたらかせ、書かれてある表現の可能性を考えることを大切にする」などのことを、授業で発揮してほしいという締めでオリエンテーションを終えています。(まぁその場は楽しんでくれても、実際の授業ではなかなか発揮させられずに悩むところではありますが。)長々つづってきましたが、国語のオリエンテーションとして(良いのか悪いのか分かりませんが)こんなことをやっている変な先生もいるということでご笑納ください。どっとはらい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オリエンテーションと頭の体操その③

さて、前回紹介した④と、今回の⑤は、時間があればやるし、時間が無ければとばして最後の問題に行くことにしていますが、この⑤は不肖私が考えて出していた問題です。そろそろ慣れてきたころなので、引っかかる生徒がかなり少なくなってきますが、とりあえずこんなのです。

⑤大金持ちの「金羽有三(かねはあるぞう)」の家の召使いから警察に「大変です、ご主人様が毒殺されています」と電話が来た。警察が来てみると、密室の中に金田有三の死体と、青酸カリの入ったウィスキーのビンがあった。当日家には、客として主治医の「折賀八太(おれがやつた)」と甥の「半忍田太郎(はんにんだたろう)」孫の「青山リカ(あおやまりか)」がいた。さて、怪しいのは誰だろうか?

はい、その通りです。この辺まで来ると「名前に引っかかって」という生徒は少なくなり、ピンときてキチンと読み取るようになってきますね。簡単なので、時間が無いときにはとばして次の問題に行きますが、次の問題こそは一番オリエンテーションとして重要な問題であり、今後の授業につなげていきたい内容です。ちなみにこれは、出典は「頭の体操」ではなく、確かどこかの会社の入社試験で出されたものだったはずで、何かで読んでえらく感心した問題です。では考えてみてください。

⑥ある所に、故障して銃口から1メートルしか弾が飛ばない銃を持った猟師がいた。その猟師が、10メートル離れた木の枝にとまっている鳥をその銃で狙って撃ったら、みごと命中した。鳥は木から離れていないし、猟師も木に近づいていない。ではどうして命中したのだろうか?

さて、いかかでしょう?これは今までの問題とは違い、「一つの答えでストンと落ちる」ものではありません。言うなれば「少年の日の思い出」で主人公がチョウを粉々に潰した理由や、「握手」で語り手が最後にした指サインの意味と同様、「みんな違ってみんな良い」類いの問題で、国語の授業において「世界観がぶち壊しにならなければ、いろんな考え方があっていいんだよ。」「馬鹿馬鹿しいと思うようなことでも、いろんな考えを出し合うことがすごく大事なんだよ。」ということを生徒に伝えるためのものです。(入社試験としては、「一つだけの考えで満足せずに、派生的発展的な考え方ができる人」を求めているのだと思います。)

以上、私が最初のオリエンテーションの時に使う問題のご紹介でした。お読みの皆さんは、大体おわかりだと思いますが、解答(回答)と解説、というかネタバレは次回まとめて載せたいと思います。よろしければ次回もご覧ください。

 

 

久々に国語の話題をば・・・頭の体操続きとジェネレーションギャップ?

さて、前回の続きで授業のオリエンテーションで使う「頭の体操」その③からご紹介しようかと思ったのですが、先日の授業でちょいと衝撃的?なことがありまして、先にその話をさせていただきます。

題材は井上ひさしの「握手」です。登場人物の「ルロイ修道士」が、昔は畑仕事などで手のひらが板を張ったように固くなっていた、という場面で生徒に、「こんなふうに毎日スコップやくわを使ったりして、皮膚が固くなったのを何という?」と質問したのですよ。すると生徒はポカーン。質問を変えて「野球部とか素振りしてたら指の付け根が固くなるだろ?それを何という?」と聞いたら、やっとわかった、という顔で「豆!」「んー、まぁそうもいうけど、豆通り越してもう潰れなくなるくらい固くなったやつは豆と言わないだろ?」「いや、豆です。」・・・はて、こちらとしては「たこ(胼胝)」という答えを期待していたのだが、「たこ」という言葉は死語なのかしらん?「ちなみに君たち、耳に胼胝ができる、という慣用句は知ってるかね?」と質問すると、半数以上が知らないとのこと。うーん、ペンだこは知ってるかい?と聞くとそれは分かるらしい。個人的には、水ぶくれになったのが豆で、潰れなくなるほど角質化したのをたこ、というのだと思っていたのですが、皆さんいかがお考えでしょうか?(ちなみに、同じ質問を三人の先生方にしてみたのですが、二十代四十代の二人は豆で、私と同じ感覚なのは再任用の先生だけでした。これもジェネレーションギャップ?(泣)

さて、気を取り直して前回の続き。3問目として出すのがこちら。

③ある池に、近くにあった石を投げ込んでみると、その石はいきなりもぐったりしずんだりし始めた。これはいったいどういうことか?

まさに先入観に縛られたら、なかなか読み取りが難しい問題です。ただしこれは、数人分かった子が出てきても、「何と答えたらいいかわからない」感じになります。もちろん中には、「地震が起きた」「魚の背中に乗った」「石じゃなく亀だった」「水切りをした」などの答えも出ますし、一概に不正解、とも言えませんが、ある程度答えを言わせたあとで、こちらの方から「答えはひらがなで4(5)字でこたえてください」と振ってみたりします。さて皆さん、おわかりでしょうか?

ここまでやってくると、意外と次の問題なんかは慣れてきた子はすぐ気づきますね。この問題なんかは、「契約書とか隅々まで読まないとだまされたりするよ」なんてことの実例として紹介したりしますね。

④ある所に3メートルのロープで首をしっかりとしばりつけられた牛がいた。その牛をつなぐ丸太は、しっかりと地面にうちつけてある。意地悪な子供が来て、牛のえさを丸太から6メートル離れたところに置いていった。ところがしばらくしていってみると、その牛はえさを全部食べてしまっていた。丸太は抜けていないし、ロープも切れていないし結び目もほどけていない。これはいったいどういうことか?

さて皆さん、おわかりでしょうか?(しかし人の作った問題をしたり顔で出しておいて、「おわかりでしょうか」もないもんだ、というご指摘は勘弁して下さい。)時間があるときにはあと2問出しますが、それはまた次回ということで。